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2022年10月22日14:27

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おそらく「鎌倉殿」には出て来ない人・22

佐原義連
知略70武力83優雅28勇名46菩提54加護55無常32弓術71 操船

三浦義澄の兄弟の一人(つまり義村のおじ)。頼朝挙兵時からの近臣の一人。岡崎義実と上総広常が頼朝のお下がりの服を取り合って取っ組み合いになった際、割って入っておさめたエピソードが知られる。

北条時房の烏帽子親でもあって、時房の初名が時連だったのは義連から一字を貰っていたため。もっとも、ドラマでもやっていたとおり、平知康が「連は貫と同じ音なので不吉」とか言い出したため、あえなく改名されてしまったが。

没年は諸説あるけれど、三浦氏の没落を見ることなく亡くなったのは間違いないらしい。

で、この佐原義連の息子が、北条泰時と謎の離縁をした矢部禅尼(三浦義村の娘)の再婚相手である佐原盛連。泰時の嫡男・時氏の継父ということで、泰時と入れ替わりで六波羅探題(北)に就任した時氏の側近として入京するが、1年もしないうちに酒を飲んで暴れ回るようになり、ついた二つ名が「悪遠江守」。

このやらかしっぷりでは、さすがに鎌倉も庇うことはできず、盛連は追放されて諸国を放浪。さらに数年後、何を思ったのか官兵の静止を振り切り入京を試みようとして、そこでとうとう殺害されるに至る。

継子・時氏が早世してすでに数年、どんなアテがあっての上京だったのかは定かではない。父・義連が烏帽子親を務めた時房の子で、当時六波羅探題(南)だった北条時守というのは さすがに縁が薄すぎるよなと。

盛連は良く分からない死に方をしたものの、その子供たちは 矢部禅尼のコネクションもあってか、宝治合戦でも三浦一族に連座すること無く 御家人として繁栄。その一部は東北に移り住んで、蘆名氏や猪苗代氏になった。

ドラマ内でもそろそろ離縁する頃なのだけれども、やっぱり和田合戦が契機なのだろうかと。
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