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2022年10月01日13:30

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昨日の円楽師匠に続き、長い病との闘いの人の訃報が続く。

アントニオ猪木さん死去、8月には「24時間テレビ」出演
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=7131738
プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木(猪木寛至)、亡くなる、ですか。昨日、落語家の三遊亭円楽の訃報が伝えられたばかりで、長い闘病生活の末に、また、この8月にその近況がマスメディアに報じられたばかりということも共通していますが、国指定の難病である全身性アミロイドーシスなどに苛まれながら、YouTubeなどでの発信や8月の「24時間テレビ45」への出演などでその姿を示し、“「燃える闘魂!」のアントニオ猪木”であり続けることに拘りを持ち続けていた印象がありますね。
プロレスラーとして、その初期にはジャイアント馬場との「二大看板スター」として当時の日本プロレスを支えながら、昭和46年に日本プロレスを離れて「新日本プロレス」を立ち上げ、社長に就任。昭和51年に日本武道館で行われた「格闘技世界一決定戦」と銘打った、当時のボクシングの世界ヘビー級チャンピオンであるモハメド・アリとの異種格闘技戦では世界的な注目を集めましたが、勝敗がついた戦いではなかったからかどこかすっきりしない感じの「世界一決定戦」だった印象は拭えなかった印象を持ちました。
アントニオ猪木の入場曲として知られる「炎のファイター」は、後にアリから健闘を称えたテーマ曲として贈られた曲のアレンジだったそうですが、平成元年の「スポーツ平和党」結党、参議院選挙での当選に始まる政治家としての活動に繋がる動機のようなものが、あの「世界一決定戦」だったのではとも感じます。
平成2年、参議院議員として飛行機をチャーターして湾岸戦争下のイラクに入国し、イラク側と交渉して日本人全員を含む人質の解放に繋げる行動を取り注目を集めた一方、収賄や女性問題などのスキャンダルなどが災いし、平成7年の改選となる選挙で落選、平成10年にプロレスラーとしての「引退試合」を行い、平成25年には当時の日本維新の会から参議院選挙に出馬し当選しましたが、第2次安倍晋三政権下にあったその年に、当時から繋がりがあったと言う北朝鮮へ、要人との会談やスポーツ交流を目的として参議院の許可を得ずに訪問、30日間の登院停止の処分を受けたこともありました。当時、前年の終わりの衆議院選挙で自民党が与野党逆転となる大勝を果たし、内閣総理大臣に返り咲いた安倍晋三政権のもとで、拉致事件の解決と未帰還拉致被害者の早期解放、帰還に向け国中の世論が一つに纏まっていた最中、その人脈もあったのだと思いますが、北朝鮮に向かったことには非難も少なからずあり、正直、この人のイメージはずいぶん下がった感がありました。
政治家としては、このことがあったからかあまり良い印象が持てなかったのが正直なところで、「何を理想に、何を掲げて政治をしているのかが分かりにくい人」という感じで見ていましたが、長い闘病生活の末、「燃え尽きた闘魂」となったのかなと思います。
今日(10月1日)、心不全で亡くなったとのこと。享年79。合掌。
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