HImaP&Σ 自立できない人間の弱音 渡部学
2022/07/19 8:35
渡部学は自立できてない人間。
心の大富豪と自信を持って言えるほど、金にも衣食住にも困ってない幸せで平穏な日々をずっと過ごしてる。透析患者であることだけがハンディだけど、透析患者だからこそ今の無職自由な日々を過ごせている。
そんな渡部学は自分自身しか守れない。いや、自分自身すら守る力はない。
多くの人の味方が今の幸せの地盤だと言える。見えなくても、全容がわからなくても渡部学の味方がこの幸せを持続させてる。
未知の領域と渡部学が呼んでるこのSNSでよく書いてる内容などそれらを知り
家庭では人格や性格で心地よい人間関係もできている。だが、社会にでて働くとなると、自分自身の人格や性格の変化で悪さしないとも言えないから怖くて働けない。
いや、無職が心地よくて抜け出せない。子供と同じ。
両親や次兄に頼りにしている日々。
そうなんにも自立してない40代のゴミクズニート。
でも、自分自身では幸せで平穏な最高な日々が今だ。
この先、母や父に何かあって病気や痴呆症や死が訪れたらと考えると、その前に、死にたい、急死したい。自分自身はこれ以上病気を悪化させたくないし、肉体的苦痛は恐怖だ。死ぬなら苦しまないで死にたい。わがままだ。死にたいわけじゃないけど。自立してない俺は両親が居なかったら何もできない赤ちゃんと同じ。40代のおじさんが言うことでないけどさ。歳なんて関係ないのさ。自分自身がいかに何も出来なくなった人間かを思い知る。両親に不幸が訪れたら、俺は生きてられない。長兄は自分自身の家庭で手一杯、次兄にも自分自身の世話の重荷を背負わせれない。
自立できてないから、そう思う。
この先の不安がある。
渡部学の甘えがあり過ぎる。
強烈に守らなければならないほどの子供がいるわけではない。例え話過去に愛した人に子供が出来てたとしてもその事情を知らない渡部学は子供のままの大人。
今の状況でしか得られない無職の幸せな日々。
家族が大事で大事で仕方ないのに、家族を逆に守る力も努力もしてない。
守られている側にいる。赤ちゃんと同じ。
この幸せしかない自由な日々。
だからこそだけど、それが崩れる心配もある。
幸せな日々の内に肉体的苦痛なく急死できたらいいなって自分勝手な弱音を考える。
自立した自分自身に戻りたいようで、今の心地良い日々からの脱却が難しい。
年齢と無職期間それと紋別市ということの職業の幅の狭さと転職歴でもう雇われる場所も少ない。
自立という問題では崖っぷち、自立する道も、もうそう多くはない。
コロナウィルスを理由にもう三年間も無職の居心地良さに居座っている。
渡部学自身はこうなる自分自身を若かりし時は敬遠し軽蔑していたのに、今は自分自身はそれになっている。
でも、無職で幸せで安定してて平穏で自由な日々が今で、今が最高の幸せな日々。
反面で最高に社会に何も担っていない役立たず。自立もできてないクソニート。
これからどうしようかな。
今が最高の幸せのまま、急死できたら。
後腐れなく、貯蓄も家族に葬儀代くらいにはなるだろう。
死にたいわけじゃない。幸せの日々が自分自身で全て作れてるわけじゃない。
両親や次兄の力。
目に見えてない部分を考えると例え職が見つかり収入源で自立していても、幸せとは多くの人の恩恵で成り立つ。
それを知ってるから。今の幸せもそれだと思ってるけど。
だからこそ、何か貢献したいとも思っている。
お金に換算できない幸運をもらってるだけに。その恩返しが俺には生きてて自分自身ができることをしたいけど。できることが少ない、代償が大きいものはやっぱり無理だし。
心は日々癒やされていつも幸せ感覚で満たされる。
心の大富豪ってのはお金に換算できない部分の幸せの恩恵をいう。
生きてるうちに誰かにもその恩返しがしたいけど。渡部学にできることって?
能力も才能もない渡部学には何ができる?家にいても家事や掃除と母に任せきりでする気も起きないこのダメ人間な自分自身が。
幸せな日々とかっこつけてそこから抜け出す努力から逃げている。
もう一歩、何かできたら?そう思いながら足踏みしてもう三年間も経過した。
渡部学は弱い人間だ。
強くありたい。
そういう独り言の記事でした。
今日も自由な時間で柔軟体操と筋力トレーニングをします。肉体を鍛えることで自己満足する日々。
この夏ももうすぐ終わる。足踏みする日々を変えないと。
そう思ってる今日このごろです。
渡部学なんかが役に立てる場所がある職場は紋別市にまだあるのかな?
渡部学の能力でできるだろうか?
おわり
おまけ
安楽死がこの世に充実してさ。死んでもいいっていう死神業界があるとしてさ。
もし、肉体的苦痛がなく睡眠中に死ぬことができて、さらには死ぬ恐怖心ない状態や状況で実施してくれるとしてさ。
幸せに暮らしてる内に死んでも悔いはない渡部学が居るけど。
幸せだから死にたいわけでもなく、でも死神業界なら委託されたらどうやって死期を決定する?
人間は死ねばその人に起こる、起こす不幸は全て消えてなくなるけど、幸せの未来も途切れさせることになる。
その死期の決定権ってどうしたらいいんだろ?
終活のように、死ぬ前に死んだらとしたらのお金や葬儀代や色々なことを生きてるうちに支払い。
安楽死執行官のような死神行政がその人の望む死へ送る。決して殺人とは区分しないものとするなら。
幸せな内に死にたいって言うけど、本人からしたら死期に困る。死にたいわけじゃないけど、今死んでも悔いはない。けど、幸せならもう少し生きていたい。
そういう矛盾の場合。
生きてるのが辛いって人間の【死】を望む人にもちゃんとした審査やそれを執行可能か?本当に本人の人生を終結していいか?行政が審査し、心理面でカウンセラーも必要だろう。
だが、安楽死が充実した世の中になれば、死神業界は肉体的苦痛のない安心安全な死を与えることができる。
安易な考えで死にたい人も死ねる。この先幸せがあったとしても簡単に審査が通れば肉体的苦痛のない安らかな死ができる。
それが極論で問題点。
だが、若い頃から終活を意識する時代になれば、安楽死は自分自身で設定できる。
介護が必要になり家族に介護負担をなくすためと不自由で生きづらい自分自身の覚悟の死を選べる。死にたくても死ねない時代じゃなかったら。
介護負担に悩む家族もなくなる。医療機関も患者を減らせる。
死は不幸なことだけじゃなく、不幸を減らすことにもなるんじゃないか?
そう思うんだ。
今は渡部学が言うように、安楽死つまり睡眠薬投与で寝て、寝ているうちに肉体的苦痛がほぼ感じることもない状態で急死できる技術があるとしたら?それを選びたい人達がたくさんいるのに。
現在はそれを執行するのは日本では殺人罪になる。
死にたいのに死ねないのが辛い。
死にたいぐらい辛いのに死ねない人はどれくらいいるか?
そうしないのは悪人を抑制するための未知の領域の内容での事?同一人物の個体一つでしかないとか?そういうことでの病気?
確かにそういう未知の領域の内容を組み込むと、同一人物の複数体意識も記憶も連動する肉体をたくさん持つ人間なら連動する一部を攻めて抑圧するための病気であり、結果は病気とは自然現象ではなく、人類の覇者の虐めであり虐待である。罪人への制裁でもあるのかもしれない。
でも、やっぱり。
一般的な見解で言うなら、辛く死にたい人間が簡単に安心安全な肉体的苦痛ない死を執行してくれる行政が確立すれば、この世の中はもっと生きてる人間が楽になる。
人間個体では死は免れないのなら、死に方は重要だ。死期も重要になる。
そして、死期は不幸の回避でもある。それは死ぬ本人にしても、家族や関わる人間をも救うはず。
そう思うのは渡部学だけだろうか?
この考え方をもっと世の中に広げて審議したいものだ。
生きやすい死に方を選べる安楽死の死神業界の行政が市民の負担ない金額で執行できる世の中は必要だと思うんだ。
おまけ おわり
おまけ2
もし、安楽死が日本の世の中に定着して、国からの支援金や負担額補助を受けて住人が終活を自身から選び設定し、死神業として安楽死行政が正当な審議にて決まった審査を経て執行するなら?
生きてる人間は安心して死を迎えられる。
そうなるとして、そうなったら、介護福祉施設や病院は利用者や患者は減るし、福祉施設や病院は経営は限られたものとなる。
これも審議だね。実は介護負担つまりは糞尿の下世話や臭いの問題や介護される側の生きづらい日々があるとしても。
健康で生きてる人達の賃金を稼ぐ職を与えているとも言えるんだ。
職を与えられてる人間はその大変な境遇に愚痴るけど、なくなれば職もなく、稼ぐ方法がなくなるわけだ。
介護福祉施設も病院も利用者や患者がいるからこそ賃金を得られる職を持つことができるのだから。
少し安楽死を世の中に定着する議論から違う側面で話を進めよう。
近未来は安楽死を定着することができる。なぜか?
それは人型ロボットや全自動人工知能の機械達が人間のするべき仕事を任せられる。
全てを任せられるが、人間が必要でもあるわけめさ。人間がやらないとならない仕事はなくならない?かもしれない。無くなるかもしれない。
そうなれば、実は賃金や為替の物価は必要なくなる。
逆に言えば、安楽死を定着させなくても、今の仕事を人型のロボットがやればいい。
人型ロボットは別に人間と同じスリム体系でなくても可能な仕事はたくさんある。仕事によって人型ロボットと言っても形を変えればいい。
手の器用さを必要なら手だけ、バランスよく走る、転んでも起き上がる足があればいいとか。
手足だけ人間と同じ器用さを持っただけで体系は大きくなってもいいとか人型ロボットと言っても内容で必要な機能は変わる。人型でなくても全自動機械であれば用が足りるものもたくさんある。
そこで安楽死定着の話に戻る。そうなれば、安楽死は必要かと言うと、大幅に生きやすくなるために、現在ほど安楽死を必要と思えないのかもしれない。
でも、人間には死は免れないのならやっぱり安心安全な肉体的苦痛の感じない安らかな死は必ず必要になる。
そうなると問題は安楽死の死神行政が執行するための死期の決定である。本人の意思もあるだろうし、本人が死期を定められない人達もいる。幸せなら生きていたい。快適な日々ならなおさら。
生きてるのが不自由で死んでもいい人は現在と変わらず安楽死の執行を覚悟してすぐにでも受け入れるはず。
近未来の話です。
みなさんも想像力の中でまだ現実的なものではないが、審議や構想を組み立てませんか?
机上の空論ではなく、そういう時代が本当に迫ってきてる。そんなことあるはずないしそんな時代にはならないではないんですよ。
真剣に審議しませんか?
さぁSNSの皆さんの応答を聴けるかどうかわかりませんが、渡部学がこの議題を提起します。
おまけ2 おわり
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