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2022年06月22日02:06

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沖縄戦その3(戦後含む)

戦争の終結願い 砂川市の女性が「ゲルニカ」の貼り絵を制作
06月21日 12時17分

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が続く中、砂川市の女性が戦争の悲惨さを描いたスペインの画家、パブロ・ピカソの作品「ゲルニカ」の貼り絵を制作しました。
砂川市に住む一戸玲子さん(83)が制作したのは、ピカソの作品「ゲルニカ」の貼り絵です。
「ゲルニカ」は、ピカソがスペインで内戦が起きていた1937年にドイツ軍が無差別に爆撃を行った様子を描き、戦争による人々の悲しみや苦しみを表現した作品として知られています。
一戸さんは、縦70センチ、横1メートル30センチほどのキャンバスにちぎった色とりどりの画用紙を貼り付け、1か月間、毎日制作に取り組み作り上げたということです。
一戸さんは「私自身も戦争を経験しているので、平和を願って作りました。この作品を見てくれる人に少しでも戦争について考えてもらいたいです」と話していました。
作品を見た男性は「最初、貼り絵だとは思わず、とてもびっくりしました。1日でも早く戦争が収まるよう願うばかりです」と話していました。
一戸さんが制作した「ゲルニカ」の貼り絵は、「砂川市地域交流センターゆう」で来月1日まで展示されています。
https://www.nhk.or.jp/sapporo-news/20220621/7000047699.html

恩納村の「ガマ」を小学生が訪れ 平和の大切さ学ぶ
06月20日 13時09分

沖縄戦で住民の避難場所として使われた恩納村の「ガマ」を小学生が訪れ、当時の様子や平和の大切さを学びました。
恩納村の宇加地区にある自然洞窟「コージガマ」は、沖縄戦当時、地元の住民およそ100人が避難し、全員が助かったことから住民の命を救ったガマとして大切に語り継がれてきました。
「慰霊の日」を前に20日は地元の小学5年生36人が戦争の歴史を学ぶため、ガマを訪れました。
子どもたちは実際にガマに入り、暗闇の中での生活や砲弾が撃ち込まれる中での食料の運搬など、当時の様子を想像しながら見学しました。
このあと近くにある公民館の広場に移動し、戦時中、ガマで生まれた古波蔵義雄さんが、母親から聞いた話を紹介しました。
古波蔵さんは「艦砲は飛んでくるし、アメリカ軍の船が海いっぱいに広がっていた。安心したことはなかった、毎日が不安だったと聞いている」と語り、子どもたちは真剣な表情でメモを取りながら平和の大切さについて学んでいました。
参加した女の子は「平和を当たり前みたいに思っていましたが平和じゃない世界を教えてもらい、平和がとても幸せでうれしい世界なんだと改めて思いました」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20220620/5090018802.html

「慰霊の日」前に「平和の礎」に新たな名前刻んだ石板を設置
06月20日 12時58分

沖縄戦の戦没者を追悼する「慰霊の日」を前に、糸満市にある「平和の礎(いしじ)」に、ことし新たに追加される戦没者の名前を刻んだ石板の設置作業が行われました。
糸満市摩文仁の平和祈念公園にある「平和の礎」には、沖縄戦などで死亡した24万人を超える人たちの名前が刻まれています。
毎年、6月23日の慰霊の日を前に新たに申告があった戦没者の名前が追加されていて、20日はことし新たに追加される55人のうち、沖縄県の出身者の名前を刻んだ石板の設置作業が行われました。
作業員たちは小型のクレーンを使って平和の礎の台座に慎重に石板をはめ込んでいました。
ことし新たに追加される人の内訳は、▽沖縄県の出身者が27人、▽県外の出身者が28人で、礎に名前が刻まれた人はあわせて24万1686人となります。
沖縄県 女性力・平和推進課の新垣耕さんは「強く平和を求める沖縄の心を世界に発信して次世代に継承していくために平和の礎は重要な役割を果たしている。引き続き、戦没者の追加の刻銘を続けていきたい」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20220620/5090018801.html

77年前の静岡空襲に耐えたクスノキの挿し木を小学校に植樹
06月20日 11時56分

77年前の静岡空襲に耐えた木として平和の象徴となりながらも樹勢が衰えてきている静岡市中心部のクスノキを、後世に語り継いでいくために、枝から育てられた挿し木が市内の小学校に植えられました。
77年前のきょう、昭和20年6月20日のアメリカ軍による静岡空襲では、市の中心部にある静岡赤十字病院前のクスノキも焼けて炭のようになりましたが、3年後に芽が出て、いまではおよそ15メートルに成長し、市の平和の象徴として親しまれています。
しかし、樹木医による診断では、樹勢が衰えてきているとみられることから、枝を挿し木にした幼木を葵区の竜南小学校で育てることになり、20日、植樹式が行われました。
式では、小学校で児童会長を務める本山苺香さんが「私たちは戦争を学んで、静岡でも空襲でたくさんの建物が燃えたことを知りました。クスノキを育てて戦争について考えていきます」とあいさつしました。
そして、造園業者が校庭に掘った穴に園芸用の土を入れて40センチほどの幼木を置くと、児童たちがスコップで土をかぶせました。
児童の1人は「すくすく大きく育って、未来の人に平和の大切さを伝えてほしいです」と話していました。
挿し木を4年かけて育てた静岡平和資料センターの眞田喜代美さんは「感無量です。クスノキの寿命は2000年ともいわれ、平和でなければ育ちません。平和の願いを込めて育ててほしいです」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/shizuoka/20220620/3030016293.html

沈没船の犠牲者を悼んで 遺族たちが「海鳴りの像」を清掃
06月20日 06時45分

太平洋戦争中、沖縄の近海などでアメリカ軍の攻撃を受けて沈没した船の犠牲者を悼む「海鳴りの像」を19日、遺族たちが清掃しました。
那覇市にある「海鳴りの像」は、引き揚げ船や疎開船など25隻の船に乗っていた1900人余りの沖縄出身の犠牲者を悼むため、終戦から42年後の昭和62年に遺族たちによって建てられました。
19日は今月23日の「慰霊の日」を前に遺族会の関係者など7人が線香を供えたあと、像と犠牲者の名前が刻まれた刻銘板を清掃しました。
例年「慰霊の日」に行われていた慰霊祭は、新型コロナの影響でことしも中止となりますが、祭壇を設置し、午後に自由参拝の時間を設けるということです。
また「慰霊の日」までに、沖縄から鹿児島に向かう途中に沈没し多くの犠牲者が出た「湖南丸」の乗客と船員、それぞれ1人の名前を新たに刻銘する予定だということです。
遺族会にはおよそ40年前の発足当初、500人ほどがいましたが、現在、活動に参加できる人は数人程度にとどまるということです。
遺族会の大城敬人事務局長は「遺族は亡くなってほとんどいない中で船での犠牲を若い世代に訴えるのことは難しくなっている。遺族の関係者には周りの人に伝えてほしいし、特に学校現場で子どもたちに伝え、像を見に来てもらうことが大事ではないかと思う」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20220620/5090018792.html

福岡大空襲から77年 戦没者追悼の献花式
06月19日 19時04分

太平洋戦争末期の福岡大空襲から77年となるきょう、戦争の犠牲になった人たちを追悼する献花式が福岡市で開かれました。
献花式は、福岡市と福岡市社会福祉協議会が合同で開き、新型コロナウイルス対策として高島市長や遺族会の代表など4人のみが参列しました。
式では黙とうのあと、高島市長が「ウクライナの情勢もあり、平和の大切さを語り継ぐ意義がより高まっている。戦没者の祖国への思いを胸に刻み、平和のために全力を尽くす」と追悼のことばを述べました。
そして、4人が献花を行って戦争の犠牲になった人たちを追悼しました。
福岡市遺族会連合会の津田隆士会長(77)は「戦争の惨禍は繰り返され、多くの悲しみや困難を生み出している。戦争の記憶を風化させず、平和の尊さを語り継ぐことの大切さをみなさんとともに確認していかなければいけない」などとコメントを出しました。
会場では、式のあと希望する人が献花できる時間が設けられ、訪れた人たちは花を手向け、犠牲者を追悼しました。
60代の女性は、「戦争は体験していないが、このような日を絶やしてはならず、来れる間は来たいと思っています」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/fukuoka-news/20220619/5010016143.html

元特攻隊員の千玄室さん 慰霊式でお茶をたて仲間の死を悼む
06月18日 14時37分

茶道・裏千家の前の家元で、戦時中旧日本軍の特攻隊員だった千玄室さんが、那覇市で行われた旧海軍飛行予備学生時代の同期の慰霊式に出席し、お茶をたてて亡くなった仲間の死を悼みました。
航空自衛隊那覇基地には、旧海軍飛行予備学生14期の慰霊碑があり、18日、遺族会が主催して慰霊式が行われ、茶道・裏千家の前の家元で同じ14期だった千玄室さんが出席しました。
玄室さんは、亡くなった仲間のためにお茶をたて、慰霊碑の前に供えると、手を合わせて「日本を見守って下さい」と祈り、亡くなった仲間の死を悼みました。
このあと「戦争は二度と起こしてはならないのに、世界ではいろんなことが起きている。和やかな世界になってほしい」とあいさつしました。
玄室さんは、予備学生として士官になるための教育を受けたあと特攻隊員になり、当時、仲間の求めに応じて、お茶をたてて飲んでもらったこともあったということです。
玄室さんは、式典のあと「当時、『どうして死なないといけないのか』というのが本音だった。でも沖縄をなんとか救いたい。『みんなで一緒にやろう』という気持ちだった。そのじくじたる思いを思い出しました」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20220618/5090018763.html

死者1157人 浜松大空襲の犠牲者追悼する式典
06月18日 12時23分

77年前の「浜松大空襲」で亡くなった1157人の犠牲者を追悼する式典が18日、浜松市で行われました。
戦時中に軍需工場が集まっていた浜松市の中心部は、アメリカによる空襲をたびたび受け、特に昭和20年6月18日未明の浜松大空襲では6万5000発もの焼夷弾が投下されて1157人が亡くなりました。
18日、市内のホテルで行われた犠牲になった人たちを追悼する式典にはおよそ100人が参加し、ワクチンの接種が進んだとして高齢の遺族も出席しました。
鈴木康友市長は「世界情勢は混とんとしているが、平和を維持するために活動していきたい」と述べました。
会場には大空襲の経験を継承するために遺族の音声をもとに開発されたAI=人工知能を使った語りべの装置も設置され、「平和とは何か」という問いに対して「戦争がないことです。消しゴムがあったら、世界中から戦争という言葉を消してしまいたい」と答えていました。
浜松市戦災遺族会の飯田末夫会長は「ロシアによるウクライナ侵攻でたくさんの人が平和への思いを新たにしたと思う。若い世代への継承を引き続き行っていきたい」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/shizuoka/20220618/3030016278.html

大空襲で13人犠牲の鹿児島女子高校 全校生徒出席で追悼行事
06月17日 15時29分

太平洋戦争末期の鹿児島大空襲で、13人の生徒が犠牲になった鹿児島市の鹿児島女子高校では、追悼行事が行われ、平和への誓いを新たにしました。
鹿児島市にある鹿児島女子高校の前身、「女子興業学校」では、昭和20年6月17日の鹿児島大空襲で、寄宿舎にいた13人の生徒が亡くなりました。
17日は、生徒およそ700人が出席して体育館で慰霊式が行われ、福永純一郎校長が「戦争は2022年の今の時代に実際に起きています。みんなで平和の尊さを考えて欲しい」と述べました。
そして、生徒会長や卒業生らが献花台に花をささげたあと、1分間の黙とうを行いました。
鹿児島女子高校では、以前は、鹿児島市中央町にある「女子興業学校」の跡地で、同窓会や生徒会の役員だけで慰霊祭を行っていましたが、より多くの生徒に大空襲の歴史を知ってもらおうと、3年前から全校生徒が出席して追悼行事が行われているということです。
参列した3年生の生徒は「自分たちと同世代の方が空襲に遭われたということですごく胸が苦しくなりました。自分たちがしっかりと語り継いで、2度とこのようなことが起こらないようになればと思います」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20220617/5050019073.html

鹿児島大空襲から77年 遺族らが出席して慰霊式
06月17日 11時18分

太平洋戦争末期、8回にわたる空襲で最も多い2300人以上が亡くなった鹿児島大空襲から17日で77年です。
鹿児島市内では、遺族らが出席して慰霊式が行われ、犠牲になった人たちに祈りをささげました。
太平洋戦争末期、鹿児島市は8回の空襲を受け、あわせて3329人が亡くなり、なかでも昭和20年6月17日の鹿児島大空襲では最も多い2316人が犠牲になりました。
大空襲から77年となる17日は、鹿児島市のみなと大通り公園で慰霊式が行われ、遺族や地域の住民らおよそ20人が参列しました。
そして、公園に建てられた慰霊碑に全員で1分間の黙とうを行いました。
このあと、菊の花を献花台に手向けて、静かに祈りをささげていました。
鹿児島市遺族会の吉見文一事務局長(81)は「戦争で亡くなった人たちに生かされていまの自分がいます。ウクライナで続く戦争では、子どもまで犠牲になり、あまりにも悲しく、あってはならないことです。戦争の記憶を次の世代につないでいくことが重要だと感じています」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20220617/5050019070.html

宜野座村で慰霊祭 沖縄戦で米軍が収容所や野戦病院設ける
06月17日 06時10分

今月23日の「慰霊の日」を前に、沖縄戦のさなか、アメリカ軍が収容所を設けた宜野座村で慰霊祭が行われました。
沖縄戦で、現在の宜野座村を占領したアメリカ軍は、避難した住民の収容所や収容された人の手当てを行う野戦病院を設けましたが、戦争によるケガや栄養失調などで1000人あまりが亡くなったとされています。
16日中央公民館で行われた慰霊祭は、新型コロナの影響で規模を縮小し、村や遺族などの関係者、30人あまりが参列しました。
慰霊祭では、まず、宜野座村の當眞淳村長が、「悲惨な戦争を二度と繰り返さないために、戦争のない平和な世界に向けて特段の努力をすることを誓います」とあいさつしました。
続いて、地元の漢那小学校6年生の児童たちが「77年前の青く美しい海に囲まれた沖縄で戦争があり、たくさんの命が失われました。世界が平和になるよう、思いやりの心や優しい心を大事にしていきます」と作文を朗読をしました。
このあと三線による奉納演奏が行われ、参列した人たちは祭壇に手を合わせるなどして犠牲者になった人たちの霊を慰めていました。
戦争で父親を亡くした70代の女性は、「私が幼かったので、父への思い出がなくさみしいです。これからも平和になるよう願いました」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20220617/5090018735.html

慰霊の日を前に 戦争を「自分事」で考える企画展 石垣市
06月15日 05時45分

今月23日の慰霊の日を前に、石垣市で戦争について考える企画展が開かれています。
企画展は、戦争を過去のことや他の国のことと考えるのではなく、「自分事」として考えてもらおうと、石垣市の八重山平和祈念館で開かれています。
14日は、白保小学校の6年生13人が訪れ、島の人たちが旧日本軍の飛行場で使っていた鉄かぶとを再現したものをかぶるなどしていました。
また、会場には、体験談や写真などのパネルも展示されていて、沖縄戦で疎開した人を、現在、紛争などで他の国に避難している人と比較したり、沖縄戦で旧日本軍に動員された学徒と、現在、戦地に派遣されている子どもの兵士と比較したりしています。
見学した小学生は「もっとよく知って、戦争が起きないようにしていきたいと思いました」などと話していました。
また、八重山平和祈念館の米原明子主査は「77年前の沖縄戦も、いま世界で起きている戦争も、ひと事ではなくて、これからの未来をつくる当事者として深く考えてほしい」と話していました。
この展示会は、来月10日まで、石垣市の八重山平和祈念館で開かれています。
https://www.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20220615/5090018708.html

「平和の礎」新たに追加される55人の名前刻む作業始まる
06月15日 11時54分

沖縄戦などで亡くなった人たちを悼む今月23日の慰霊の日を前に、戦没者の名前が刻まれている「平和の礎」にことし新たに追加される55人の名前を刻む作業が沖縄県南城市で始まりました。
沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園にある「平和の礎」には、沖縄戦などで犠牲になった24万人を超える名前が刻まれていて、毎年、新たに申告された戦没者の名前が追加されています。
ことし追加されるのは55人で、15日は南城市の石材工場で名前を刻む作業が始まり、職人が、高さ1メートルあまり、幅2メートルほどの黒い石の板に研磨剤を吹きつけて、名前を刻んでいました。
55人の内訳は、沖縄県出身者が27人、県外出身者が28人で、「平和の礎」に名前が刻まれるのは今回を含め24万1686人になります。
沖縄県女性力・平和推進課の新垣耕さんは「把握できていなかった戦没者の方を毎年追加で刻銘している。しっかり調査をして1人でも多くの人をできるだけ早く刻銘できるようにしたい」と話していました。
作業を終えた板は今週中にも平和祈念公園に設置されることになっています
https://www.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20220615/5090018712.html

慰霊の日に「平和の詩」朗読 沖縄市の小学2年生が会見
06月15日 18時21分

今月23日の「慰霊の日」に、沖縄全戦没者追悼式で「平和の詩」を朗読する沖縄市の小学2年生が会見し、「緊張するかもしれないけれど、天国にいるひいおじいちゃんに届くように頑張ります」と抱負を述べました。
「平和の詩」は、毎年、沖縄県内の学校から応募があった作品の中から選ばれ、「慰霊の日」に行われる沖縄全戦没者追悼式で作者が朗読します。
ことしは沖縄市立山内小学校の2年生、トク元穂菜さんの「こわいをしって、へいわがわかった」が選ばれ、15日、学校で会見しました。
この中で徳元穂菜さんは、「どきどきして、緊張するかもしれないけど、大きな声でゆっくり読めるようにしたいです。天国にいるひいおじいちゃんに届くように頑張ります」と抱負を述べました。
��元穂菜さんのひいおじいちゃんは沖縄戦で亡くなったとみられ、毎年、「慰霊の日」には家族で平和祈念公園を訪れているということです。
徳元さんの詩には沖縄戦の悲惨さを伝える悲しい絵を見て「怖い」と感じ、そばにいた母親にくっつくと温かくてほっとしたという体験から、日常の中にある平和を失いたくないという思いがつづられています。
��元さんは「美術館で見た戦争の大きな絵を見て怖い気持ちと悲しい気持ちを書きました。だから反対の平和のことを考え、大切にしたいと思いました」と話していました。
※トク元さんのトクは「徳」の心の上に「一」
https://www.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20220615/5090018717.html

豊見城の旧海軍司令部壕で慰霊祭 「悲痛な史実風化しない」
06月14日 07時31分

77年前の沖縄戦で旧日本海軍が司令部を置いた豊見城市にある「旧海軍司令部壕」で13日、慰霊祭が行われました。
豊見城市にある「旧海軍司令部壕」には沖縄戦当時、およそ4000人の兵士がいましたが、激しい戦闘でほとんどの兵士が壕やその周辺で戦死したり、みずから命を絶ったりしたといわれています。
ことしの慰霊祭は、新型コロナウイルスの影響で参列者が40人に絞られました。
この中で、壕を管理する沖縄観光コンベンションビューローの下地芳郎会長が「遺族の悲しみは癒やされることなく、この悲痛な史実はいささかも風化することはありません」と追悼の言葉を述べました。
その後、遺族や関係者が献花台に花を手向けるなどして戦没者を追悼しました。
遺族の1人で「沖縄県民斯ク戦ヘリ」と沖縄戦の惨状を記した司令官の電文を打電したとされる通信兵の子孫、荒川恒光さん(83)は「戦乱のなかで日本を守るという意気に燃えて戦ってくれた尊いものと思っています。そのうえで、私たちもこうして生きてこられたと感謝をし、お参りさせてもらいました」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20220614/5090018695.html

慰霊の日前に 小学生が北部の沖縄戦を学ぶ 名護市羽地小学校
06月13日 18時22分

今月23日の慰霊の日を前に、名護市の小学校では、地域の戦争の歴史について学ぶ学習会が開かれました。
学習会は、本島北部の沖縄戦の歴史を知ってもらおうと開かれ、名護市の羽地小学校の6年生およそ60人が参加しました。
北部地域の沖縄戦に詳しい川満彰さんが講師を務め、児童たちは羽地小学校の校舎がアメリカ軍政府の事務所として使われたことなどの説明を受けたあと、戦前から残る校門を見学しました。
そして学校から見える山々を見ながら、北部地域では住民が山に避難し、食糧不足になったことなどについて説明を受けました。
最後に川満さんは「ウクライナの戦争で起きていることは沖縄戦でもあったことです。みなさんも戦争にならないように考えて下さい」と訴えました。
児童のひとりは「戦争は怖くて二度と起こしてはいけないことだと思った。平和のためにほかの国との交流も大事だと感じました」と話していました。
講師の川満さんは「子どもたちには見慣れた暮らしの中にある風景でも、ここで戦争があったことを実感してもらい、それを感じとってくれたと思います」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20220613/5090018693.html

高校生が沖縄戦で動員された学徒隊について学ぶ
06月13日 11時42分

今月23日の慰霊の日を前に、県立首里高校の生徒が、かつて先輩に当たる少年たちが軍に動員され、戦争に巻き込まれていった歴史を学びました。
77年前の沖縄戦で、県立首里高校の前身の旧制県立第一中学校では、生徒たちが軍に動員されて戦場にかり出されるなどして、生徒と教師あわせて307人が死亡しました。
首里高校では毎年、慰霊の日を前に、平和学習をおこなっていて、13日は1年生およそ40人が学徒などを追悼する「一中健児之塔」の前で黙とうしました。
このあと資料館を訪れ、学徒隊が結成された背景や証言などの説明を受けました。
生徒たちは、学徒の顔写真や遺書などを見ながら、同じ年頃の少年たちが戦争に巻き込まれていった歴史に思いをはせていました。
解説員の大田光さんは、生徒たちに「何人亡くなったのか数字を知ることも大切だが、1人1人に人生があった。亡くなった人たちを数字だけで捉えないでほしい」と話していました。
参加した生徒は「小学生のころから沖縄戦について学んできましたが、まだ知らないことがたくさんありました。知っているつもりにならないことが大切だと思いました」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20220613/5090018685.html
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