加賀美長清
知略57武力68優雅10勇名25菩提51加護80無常27弓術67
武田信義のおじか兄弟かハッキリしない加賀美遠光の子。後に小笠原を名乗り、小笠原流礼法で有名な小笠原氏の祖となる。兄弟たちは加賀美の他に、秋山(秋山信友の一族)・南部(南部信直の一族)・於曾などを名乗った。
明暗ハッキリ分かれがちな甲斐源氏の中でも、優遇されてた側の人物。遠光の嫡男である秋山光朝こそ平重盛(清盛の長男)の娘を娶っていたため頼朝に殺害されたが、遠光や長清らは厚遇されている。後に阿波守護にもなっていて、三好氏はその時にできた庶流と言われている。
もっとも、厚遇された結果として権力に近づきすぎてしまったのか、数代ほど後に北条時宗死後の政変・霜月騒動に巻き込まれてしまい、敗北した安達一族に連座するかたちで一族もろともに一時衰退。
ゆえに鎌倉末期になると、加賀美一族は反鎌倉として活動開始することになるが、小笠原が足利の下で信濃守護として戦ったのに対して、北畠顕家の下で戦った南部と、その立ち位置は分かれた。
戦国時代。小笠原長時は同じ甲斐源氏の武田に没落させられ、同族と言われる三好氏を頼って畿内へ。セレブとして方々を渡り歩きながら、小笠原流礼法をまとめ上げ、最期は蘆名氏の客分として死んだ。初代である長清の母は 三浦もしくは和田氏の出身とされている。三浦氏を祖に持つ蘆名は親戚ということだろうか。三浦氏が滅んだ宝治合戦においても、小笠原氏から三浦氏に付いた人間が出ている。
ステータス。子孫は小笠原流礼法で有名なのに、長清の優雅は10。確認したところ、優雅のワーストは8で2人。9が2人(その内の一人は那須与一)。10は長清を含めて3人で、その内の一人は鷲尾義久。甲斐源氏でありながら、そのへんの猟師と同じくらいの優雅さとか、一体どうなってるのかと。
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