本日起床、午前9時6分。
今日は外仕事なし。原稿関連仕事は、新年度レギュラー(現役生向け)テキストの再校、阪大用模試の公募素材チェック。
■三十三年前の本日(1989/4/2/日):スドウコウヘイ、夜くる。
この日の手帳に記された記憶はまったくないが、へえ〜、こんなことがあったんだと思った。スドウコウヘイは高校の同級生。オレも含めて、みんなヘーコーと呼んでいたけれど、当人はヘーコーと呼ばれるのを嫌っていたことを後々になって知る。
オレは今や大阪に来て四十三年。この1989年だとちょうど十年めだ。それにしても、大阪に来て、これまで何百回聞かれたかわからない質問に、「なんで大阪に来たん?」というのがある。そして、続けて「東京じゃなく、なんで大阪なん?」と。大阪の人は、北海道人が大阪に来ることをよほど不思議と見える。
自分でも、最初のうちはある程度まともにうけ応えしていたかもしれないけれど、何十回めくらいからか、もうめんどくさいから、「忘れた」とか「あったかいところに住みたかったから」とか適当な答えになってしまっている。たぶんこの1989年にはそういう答えかたになっていただろう。そして、今でもそう。初対面の人にはよく聞かれる。
まあ、高校の同級生で、大阪というか関西に出てきた者は確かに少ない。たいていは札幌または東京だ。オレの記憶にまちがいがなければ、夕張北高の同期で関西に出てきたのは、オレを含めて五人。その一人がヘーコーだった。そして、ヘーコーは神戸垂水に住んでいた。大学はどこだったっけ、忘れてしまった。いや、もしかすると、ヘーコーは大学から関西ではなかったかもしれない。記憶曖昧。でも、そのヘーコーが三十三年前の今日、オレを訪ねて来たのだなあとしみじみ……。
高校のころ、ロック系のバンドをやっていて、かなり真剣にプロをめざしていたなんてオレの笑い話がある。はじめはベースを弾いていたけれど途中からギターにした。そして、ヘーコーも別なバンドでギターだった。
すこしさかのぼって、中学のとき、「二十二才の別れ」がものすごく流行った。オリジナルのかぐや姫じゃなく風によるカヴァーである。
みんなこぞってコピーしたから、校内でフォークやロックの音楽を披露できる、とあるイベントがあったとき、六組の出演者中、なんと三組も「二十二才の別れ」をコピーするユニットが出た。一組が三人でのユニットだったオレ。そして、あと二組のうちの一つがヘーコーのいたユニットだった。
オレは自分がスリーフィンガーのアルペジオで歌うことばかり考えていたから、アコースティックでリードを入れることなどまるで考えていなかったところ、ヘーコーのユニットは、ヘーコーのリードギターでそれを完璧にコピーしていたのである。嗚呼、負けた!と思ったのである。とにかく、ヘーコーは中学からギターがすこぶる巧かった。……to be continued。
■本日の失敗:午前中、公園で桜を見ながら酒を飲んでいると、すぐそばで幼子が無邪気に花を摘んで遊んでいたので、いささか恥じ入る。やれやれ……。
□本日のウォーミングアップ落語:笑福亭生寿「狸の鯉」。
□昨夜のクーリングダウン・チューン:私立恵比寿中学「ハッピーエンドとそれから」。
★ロケンロ★Love&Peace,Osaka,ひこにゃん.Thank you.
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