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2022年01月11日16:25

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子が不登校し、親が戦うべきは先ず、教員と呼ばれるヤクザ者だった。

武富士やアコムの取り立て並みに阿漕な教員からの毎朝かかって来る嫌がらせ電話に対処。

最後、校長に「母子心中しろとでも言いたいんですか!?」とキレる私。



小学校の校長を倒したら、次はイジメ加害者の保護者であるモンペ達を大向うに回して地域内で口先の格闘技を全力で繰り出しまくり都議会議員も巻き込んで口先の大乱闘を繰り広げる日々。

それを子の区立小学校在学中は年単位に及び学区内の住居等で繰り返し、加えて週1で警察署へ足を運び少年係と生安課にガタガタガタガタとイジメ加害者である相手方の氏名と学校名と、校長名を連呼しながら不満を並べたて続け、更に区役所へイジメ加害者の氏名を書き加えたFAXなんかも送りつける。

合間に3度の飯を作り洗濯をし、子の機嫌を取りつつ一緒に漫画を読みゲームのハイスコアを競い合い、ついでのようにフリースクールへの通学手続きをする。

(ここまでの間、イジメ加害者と若い担任は完全放置である)

子のフリースクール通学の手続きが済んだら次はフリースクールへの付き添いを始め、子が授業を受けている最初の丸1年を、フリースクールに子を預けるなり日中は横浜の中華街を散策し、寿町を散策し、カラオケボックスで暇を潰しては歴史的建造物を眺めて周り横浜開港資料館に日参、伊勢佐木モールでウィンドウショッピングして中華街を通り抜けたら山下公園で中華まんを食う昼飯を繰り返し、子の授業が終わる頃にフリースクールへお迎えに行く日々。

(その最中、東日本大震災時には全交通機関が止まったため、子もフリースクールに宿泊する大イベントが起きた)



丸一年のフリースクール付添いと送迎を果たし、子がフリースクールに慣れたら親の私は不登校児の親の会に出席するも、他の参加者たちの英雄的武勇伝が何一つ聴けずにガッカリして

(つまんねぇ、被害者ヅラしたチキンばっかりか!)

と感じて怒りにまかせて不登校児の親の会も、参加者ごと丸っと放置。

暇にあかせて図書館通いをしゲームで憂さ晴らしをしては、フリースクールから帰宅する子に飯を用意し洗濯をして、月に1度や2度はフリースクールへ授業参観に抜き打ちで出掛ける。



子の小学校卒業が近づく頃に、成長した子が

「(加害者と同じ)中学校なんて行きたくない」

と自己主張を始めた為に、親として潔く諦めをつけて子の安全を確保する為だけが目的で小学校の校長室に足を運び、

「娘が何としても区内の中学校進学を拒んでおりますので、隣接市内の市立中学へ進学を希望します」

と申し述べて区域外通学の手続きを粛々と進め、同時に子の進学予定の川崎市立中学へ30余年ぶりに

「学生時代には大変お世話になりました、つきましては現在小学校を絶讚不登校中の我が子もこちらの中学校へ通わせたく存じます」

等とふざけた態度で深刻な挨拶を、進学予定先の中学校校長にかまし、現役校長先生より私の在学中当時の写真がガッツリ写る卒アルの年度を訊かれて冷や汗をかく。

大田区内の小学校を不登校し横浜市内のフリースクールに通う6年間の闘いを済ませて後、娘は見事に大田区外の市立中学に進学。

環境と人間関係が変わった為、我が家の不登校児は中学校の丸3年間をインフルエンザで休む以外は無事に通学し、高校進学をした後は専門学校に進学し卒業、現在は社会人として介護職員として施設勤務。

休みの日には、稼いだ給料で出掛けた先の楽しそうな写真をラインで送って来てくれるまでに成長を遂げた。





もしも明日私が死んでも、悔いなんて何もない。

■不登校児の親になって初めて知ったこと「つらいのは子どもだけではなく、親もつらく苦しい」
(まいどなニュース - 01月10日 19:50)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=262&from=diary&id=6808074
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