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2021年08月25日10:55

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8月25日 本日の一言メッセージ

クラクラ〈8/25(水)本日の一言メッセージ+動画+α〉

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22203 (写真入り記事)

ラブレター「試練の目的はあなたをグレードアップさせるため」

今日あなたの人生に試練はありますか?

今試練の中にいなくても、過去に試練を経験したことがあるはずですし、未来に試練は必ずやって来ます。現在試練の中にいる人もいるでしょう。

試練はなぜやって来るのでしょうか?

�� 因果応報のため?
�� 運が悪かったから?

しかし聖書は、次のように語ります。

�� 訓練のため
�� 平安な義の実を結ばせるため

(1)「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」(ヘブル人への手紙12:11)。

試練を喜ぶ人はまずいません。試練を手放しで喜ぶ人がいるとしたら、M(マゾヒスト)を疑った方がいいかも知れません。

しかし聖書は、「試練を喜びなさい」と語ります。
試練には目的があるからです。

(2)「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります」(ヤコブ書1:2〜4)。

1つ目の聖書の言葉には、試練は、�〃盈�のため �∧唇造糞舛亮造魴襪个擦襪燭瓩箸△蠅泙靴燭�、2つ目の聖書の言葉には、試練は、�Gβ僂�身につき �でβ僂鯑�かせると、「何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な人になる」とあります。

試練を「うれしい!」と感じることはまずありえません。試練とは、思い通りに行かない経験だからです。

しかし、試練によってより良い自分自身に成長できるとしたら、試練は祝福となります。

そうだとしたら、試練がないことは悲しむべきことかも知れません。試練がないと、人は楽な方に楽な方に進み、堕落し、腐ってしまいやすいのです。

権力者が既得権の上にあぐらをかいていることは、世界中どこででも見られる光景です。

試練に会うと、人は目を覚まし、真剣になり、堕落した歩みを捨て、あるべき姿に立ち戻るチャンスに直面できます。

試練を毛嫌いせず、感謝して受け止めましょう。
人はどこからでもやり直せるし、人は無限に成長できる存在だからです。

また、試練を経験した人は、人の痛みや悲しみが実感としてわかるようになり、同じような痛みや悲しみを経験している人に同情することができ、慰め、助けることができます。

「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです」(ヘブル書2:18)。

キリストは、人が味わう可能性のあるすべての喜怒哀楽を先に体験されたので、私たちのどんな苦しみや悲しみをも理解し、慰め、助けることができます。今日、キリストのもとに行って、「私を助けて下さい」と祈りませんか?

最後に、あなたは試練を経験し、キリストの助けによって乗り越えることができた人ですので、同じような苦しみの中にある人を助けることができるはずです。

世の中には、顔で笑っていても、心で泣いている人がたくさんいるものです。人から羨ましがられるような生き方をしている人が、「死にたい!」と思っていることもあります。

神様は、あなたを通して、苦しみ、悲しみの中にある人を助けたいと願っています。神の手となり、足となり、心となり、口となり、人を慰め、友なきものの友となり、支え、助ける人になりませんか?

試練はあなたをグレードアップさせ、祝福します。あなたは祝福された人です。素晴らしい一日でありますようにお祈りいたします。


🧡<毎日更新>【動画メッセージ】
『さよなら、クヨクヨ人生』
https://youtu.be/wwwg30qX2Vo


ハート<毎日更新>【8/16(月)新宿駅 路傍伝道】
https://youtu.be/A9fnHLnW1Wo 〈後半〉


ハート(紫)<週毎に更新>【8/22(日)新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/K8_bOyJwzeI 〈朝礼拝〉
https://youtu.be/424hQ1RagEY 〈夕礼拝〉


ハート(緑)<ドキュメンタリー番組>【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


ハート(矢)「編集後記的メッセージ 『神の支配に信頼しよう!』」

バプテスマのヨハネは、「天の御国は近づいた」と語りました。そして、バプテスマのヨハネがペレアの領主ヘロデ・アンテパスによって捕らえられると、イエスも「神の国は近づいた」と宣教を始めました。

ここで、「天の御国」と「神の国」は同じ意味です。ユダヤ人たちは、神の名前を口にすることさえ畏れ多いことでしたので、ユダヤ人に対しては、「神の国」を「天の御国」と表現しました。

神の国とは神の支配です。イエス様が来られたことを言っています。

しかし、イエス様が来られると、ユダヤ人たちはそれを拒み、拒否しました。ベルゼブル論争においては、イエス様を悪霊呼ばわりました。

さらに、イエス様の道備えをしたバプテスマのヨハネでさえもイエス様に躓きました。

ヨハネは牢屋の中から弟子たちを遣わして、イエス様に質問をさせました。「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか。」(マタイ11:3)。

その質問に対してイエス様は、「イエスは彼らに答えられた。『あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです』」。(マタイ11:4〜6)と語られたとあります。

神の国には、いくつかの要素があります。

� 岷扮鵑硫�国」です。
�◆嵶酖�王国」です。
��「神政王国」です。
�ぁ岷�された王国」です。
�ァ崟蘿�王国」です。

� 岷扮鵑硫�国」は、神が、ご自身の権威を持って世界の流れのすべてを支配しておられる支配のことです。

�◆嵶酖�王国」は、神を信じる者の心の中に創られる王国です。

��「神政王国」は、イスラエルという民族、国家に対する神の支配です。一人の人アブラハムからはじまり、それが民となり、モーセの律法が与えられて国となり、指導者、士師、預言者などを通して、神がイスラエルを統治して来られました。しかし、ユダヤの指導者たちは、ベルゼブル論争を起こし、イエス様を悪霊呼ばわりして、拒否したことで、神政王国は、異邦人へ移っていきます。

�ぁ岷�された王国」は、神政王国がユダヤ人から異邦人に移った時から、いつの日にか、イスラエルがイエス様を受け入れる時まで、隠された形でその王国は続きます。この期間には、「麦と毒麦」が共に共存し、成長します。偽教師、異端、カルトが生まれて来ることは不思議なことではありません。

 「ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現れた。それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう』。主人は言った。『敵のやったことです』。すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか』。 だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう』」(マタイ13:25〜30)。

�ァ崟蘿�王国」は、 イエス様の再臨により、直接王の王として、千年間この世界を統治されます。「彼らはキリストとともに、千年の間王となる」(ヨハネの黙示録20:6)。

今日、目を向けたいのは、�,痢岷扮鵑硫�国」です。神は、ご自身の権威を持って、世界のすべてを支配しておられます。

「二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない」(マタイ10:29 )とあります。

米国は、9.11の同時多発テロの首謀者である『ウサーマ・ビン・ラーディン』をかくまったイスラム原理主義組織の『タリバン』を攻撃し、アフガニスタンから追放し、統治して来ましたが、米国が撤退した途端に、再び『タリバン』が国を掌握しました。

すぐに彼らが行い始めたことは、クリスチャンへの弾圧です。次々に処刑されています。彼らが守られるようにと祈るばかりです。そして、共に祈りましょう。

「なぜ神がおられるならば、そのクリスチャンたちを見殺しにされるのだろか?」と考える人もいらっしゃると思います。

また、国内に目を向けますと、先般に日本各地で起こった水害の被害。そして、新型コロナウイルスのパンデミック。世界各地で起こっている戦争、飢餓、国家・民族・宗教的ジェノサイドなどなど。

この世界は、アダムとエバが罪を犯した瞬間に、世界の統治権は、アダムからサタンに移譲されました。

その悪魔の業を滅ぼすために、イエス様が2021年前(誤差に関してはここでは扱わない)にこの地上に来られました。

しかし、その神の支配・統治という御国が来る以前から、神は、永遠にこの地を支配しておられるのです。

神の御許しなしには何一つ起こらず、先ほど掲げた聖句にあったように、「父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない」(マタイ10:29)とあります。

私たちは、イエス様が教えられた主の祈りにあるように、「天にまします我らの父よ 願わくは 御名をあがめさせ給え 御国を来たらせ給え 御心の天に成る如く地にもなさせ給え」と祈らなくてはなりません。

しかし、もう一方においては、神がすべてを知っておられ、すべてを支配しておられるという事実に目を留めていきましょう。

私たちは、日ごとに神の御心が行われるように祈ると共に、神の永遠の支配を信じ、神に信頼して、恐れず、心配せず生きていきましょう。

そして、その神の福音を今日も伝えていきましょう。
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