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2021年08月20日10:36

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8月20日 本日の一言メッセージ

クラクラ〈8/20(金)本日の一言メッセージ+動画+α〉

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22197 (写真入り記事)

ラブレター「希望こそが人を生かす」

スイスの哲学者であり、「幸福論」を書いた「カール・ヒルティ(【Carl Hilty】1833〜1909)」は、『寝床につくとき、翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である』と言いました。

昨晩、布団の中に入った時、明日が来るのを楽しみにしながら眠りについた人はどれくらいいますか?

人が生きて行くために必要なのは希望です。

希望がなくなると明日が見えなくなり、生きて行くのがつらくなります。

しかし、希望があれば大丈夫です。

希望を持つためには、まず、「希望の対極にある絶望を知る」必要があります。

絶望は、人類の先祖であるアダムとエバが悪魔に誘惑されて、神から禁じられた「善悪を知る木の実」を食べようと心で決めた瞬間からはじまりました。

罪が人類に不幸をもたらし、絶望を与え、人は絶望的な存在になってしまいました。

夫婦や隣人との関係に、憎しみ、争い、怒り、悪意、ねたみが入り、互いに愛し合い、励まし合い、支え合いたいのに、さながらハリネズミのジレンマのように、慰め合い、罪というハリがお互いを刺し合うので、近づきたくても近づけないのです。

人生には様々な苦しみがあります。体や心の病気。現実に対する心配や恐れ。借金地獄。人間関係の不和。そして、人の最後は死です。人間は、とことん絶望的な存在です。

絶望がわかってそれがどう希望につながっていくのでしょうか?
そんな私たちを救ってくれる人はいるのでしょうか?

多くの宗教があり、宗教は人間の努力やがんばりによって救いに到達しようとつとめます。あるいは、避けられない運命として受け入れ、あきらめることを教えます。

もし、「底なし沼」に落ちた人がいたとしたら、何とか自力でそこから抜け出す努力をするか、あるいは、底なし沼に落ちることを運命として受け入れてあきらめるかのどちらかの選択のようです。

底なし沼は、絶望的な状況に陥っている人の状態を示すたとえですが、「自力でがんばるか?」「あきらめるか?」のどちらかではなく、もう一つの道があります。

その底なし沼の中にまで入って来て下さり、命をかけて救い上げて下さる方がいます。

そのために、2021年前に救世主がこの世に誕生しました。そのお方は、神の一人子イエス・キリストです。

キリストは、私たち人類の罪と不幸と死を十字架で全て背負って下さり、死んで墓に葬られ、三日目に復活されました。

ここに、完全な救いがあります。
ここに、絶望を希望に変える力があります。
ここに、希望があるのです。

希望を持って生きて行くならば、どのような状況にあっても幸福です。夜寝る時にも、明日の朝起きることが楽しみで仕方がありません。希望こそ人を生かす力です。

キリストの十字架と復活は、人類最大の敵である死を滅ぼしましたので、それ以下の試練や患難が私たちを絶望させることはありません。希望は決して失望に終わることがないからです。

そして希望は、あなたにハッピーエンドを約束してくれています。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。−−主の御告げ−− それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ書29章11節)と聖書に書かれています。

あなたもそんな力強い希望を持ちたいと思いませんか? 

希望は、今あなたの目の前に差し出されています。

希望は、キリストの十字架と復活を信じる心によって今あなたのものとすることができます。

その希望を持って毎日を幸福に生きて行きましょう。

今日も素晴らしい一日でありますように。


🧡<毎日更新>【動画メッセージ】
「自分の考えを大切にしよう」
https://youtu.be/JOT-vYUj1E0


ハート<毎日更新>【8/13(金)東中野駅 路傍伝道】
https://youtu.be/sOEzJSwXSsk (後半)


ハート(紫)<週ごとに更新>【8/15(日)新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/Uueh2aXI624 (朝礼拝)
https://youtu.be/gcgebsTEUt0 (夕礼拝)


ハート(緑)<ドキュメンタリー番組>【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


ハート(矢)「編集後記的メッセージ 『希望は希な望みと書くが、確かな希望は失望に終わる事はない!』」

「希望」とは、「希(まれ)な 望(のぞ)み」と書きます。

字義通りならば、「希(まれ)にしか叶わないものを望む」ことになります。

それではギャンブルとあまり変わりません。

「まず当たらないことはわかっているけれど、もしかしたら当たるかも知れない」と思って宝くじを買うのではないでしょうか?

宝くじを買う人は、ある意味、希望を持って買うのです。

クリスチャンでも宝くじを買う人がいるものです。

「先生、宝くじを買いました。もし当たったら献金しますからね」と、申し訳ない感じで言っていました。

仮に1億円が当たったとしても、「献金する」と言ってしまった手前、献金しない訳にもいかないし、きっと葛藤し、「いくら献金するか?」を迷うだろうと思います。

当たるなんて思ってもみなかっただろうし、「献金する」と言えば、神様が当たるようにしてくださるかも知れないと考えたかも知れません。

ちなみに、年末ジャンボ宝くじで1等に当選する確率は、「2,000万分の1」。「つまり0.000005%」です。0とは言えなくても、限りなく0に近い数字です。

しかし、そんな確率を夢見るようなものが希望だとしたら、人を支えることができないのではないでしょうか?

聖書の約束はどうでしょうか?

今のところ、聖書の預言が成就する確率は100%だし、これからも100%成就し、実現していくと信じます。

聖書自身がそう語っておられるからです。

「まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます」(マタイ5:18)。

「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません」(マタイ24:35)。

ことわざに、「形あるものは必ず壊れる」とあるように、「この天地は滅び去る」のです。

希望は、形ある、目に見える、この天と地の中にあるものに置くのではなく、聖書の言葉、イエス・キリストの言葉に置くべきです。

天地が滅びても滅びず、一点一画ですら決してすたれることなく、全部が成就し、実現するものなのです。

ここに希望を置かないで、どこに希望を置くのでしょうか?

クリスチャンの中でも、聖書の言葉を本気で信じ切れていない人もいると思います。

しかし、信仰とは選択です。

「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」(ローマ10:17)。

信仰は、キリストの言葉を聞くことから始まります。

今日も、聖書を読み、祈りましょう。

そして、「信じる」と「決断する」ことで信仰が生じます。

その信仰が希望となり、「この希望は失望に終わることがありません」(ローマ5:5)なのです。

みなさん、「希望は希な望みと書くが、確かな希望は失望に終わる事はない!」のです。
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