HImaP取締役(自称)渡部学
2021/07/15 9:36〜
今日のコラムというか思ったこと。
渡部学は日本にいて、当たり前の環境で生きてる。
当たり前って?普通って?
それはその地域の多くの人が常識として認識してることが当たり前。
普通ってのは常設された物事や考え方が普通だけど。
そこで生活スタイルの話。
アフリカの難民とか過酷な地域の人達の人達いるじゃん?
飲水にも困ってる。電気はない。トイレは水洗じゃないし、トイレのウォッシュレットすらない。当然風呂も家にはないとか。
そういうの見るとさ。そういう生活できる?
一日か2日だって大変さに気付く。
アフリカの難民や過酷な労働者達が水がないから少しの水を掘り出して飲む姿はとても衛生的ではないし、日本人の感覚なら汚くて飲めないような水と飲み方。
なりふりかまわず、体が水分を必要してるから生命維持のための行動としか見えない。
いや、正確には生命維持ではあるけど。
感覚的な話ではアフリカの過酷な労働者達にはそれが当たり前なんだ。
そういうふうにさ。
結局、我々は裕福な暮らしをしてることに当たり前になってしまい、それが裕福だということを忘れてる部分がある。
とはいえ、裕福に慣れた、それが当たり前の人間にはもっと良い生活、もっと贅沢に、遊びたい、飲み食べしたい、金を稼ぎたい、気持ち良いことが好き。
誰もがそれはそうなんだけど。
上を見過ぎて、自分自身の居る安定した空間を見えなくなってる。
それが悪いという話ではなく。
幸せを感じるためのパラメーターを上げすぎてないかい?
物価とか生活スタイルを
例えばの話、高級なA5和牛を毎回食べてると、普通の牛肉が美味く感じなくなる。舌が肥える。
広くて素晴らしい新品の機材や家具が揃う家に住んだら、古い家に住むことになると不満足。
それが悪いって話じゃないよ。良いものは依存症になる。
日本人の多くは、アフリカ難民と同じ設備のような暮らしを我慢できるか?
もう無理だと思う。
昔ながらの裸で生活するような原始人が文明をどんどん取り入れると昔には戻れないと同じ。
でも、そういう話をしたいんじゃなくて。
その当たり前の生活スタイルがもう全て幸せなんだと再認識させられるというか。
それを狙って上位の人間がそういう世界を作り見せてるような感覚になるときもある。
無自覚、無認知で幸せな環境に生まれたら、それ以下を知らないと幸せである事に気付かない。知っても当たり前の自分自身の生活とは別問題だと思ってしまう。
日本人に産まれて、日本人の環境で生きてきて、アフリカの難民やインドとか衛生的ではないところで生活可能な柔軟性のある生命力に長けた人でないとなかなかそこに馴染むことは難しい。
過酷なところで産まれた人達は辛いのはあっても、それが普通に生きているのだから、日本人のそれを体験した感覚と比べるとその辛い体感は全くレベルが違うはず。
渡部学ももう家があって、風呂入れて、水道から綺麗な水がでて、衣類洗濯できて、洗剤使えて、飲食にこまらなくて美味しいもの食えて、トイレは水洗でウォッシュレットがないと無理だ。
もうここから下げれない。
だから上げるのが悪いって話ではない。
でも生活水準を上げるってことは下げるのにはかなり苦悩や精神的苦痛に値する。
上げすぎも危険だなって思う。
そう考えると、無自覚にも我々は普通という空間で一定の生活を守られてる。とも言える。
それをどうやってここまで組み上げたか?なんてのは凄いよね。考えると(笑)
話がまとまらず、何を言いたかったのか伝えるのは難しい。色々伝えたいことはある。
ふと思ったこと。
よく渡部学が言う、善悪の悪人の話でいうと。
人は権力を持つとその権力に慢心し、傲慢になり、自分自身より弱い者を虐めてる。
このようにレベル上げるってのは人の心を誤った方向に向かわせる。
誤った方向に行く危険性を持つ人格の無自覚な人間を権力を持たせることはしないだろ?
その危険性がある時の罰則が世の中にはある。だから拮抗してる。
話がそれてなんだかわけわからなくなってきたね。話に一貫性がないから、読み手は混乱するね。
幸せってのはさ。よく今の状態を知ることにある。
美味い飯食えて、住まいの設備には困らず、風呂も入れる、衛生的であってトイレも水洗。
衣類にも道具にも困らず。
こんな最高な環境で生活してる。
まっ一部は最低限のその生活すらままならないほど、金がない人達は別だからみんなで助ける必要がある。
でも、金があり、使い方が贅沢なだけの人間の金がないとか、もっと贅沢したいとかは少し我慢してもいいかなって思う。
正確には渡部学も含めて我慢する生活なんて誰もしたくはないけどね。
物価ってのは本当に世の中では素晴らしいと思う。
確かに物価がなかったら、例えばの話、美味しい食材は美味しいと変わらないのに、物価がなかったらA5ランクの牛肉を毎日食うかもしれない。美味しい牛丼も安くて美味い。物価がなければの例え話なら、好みで食すものが違うだけで、美味いものを食うって視点では同じなんだ。けど、世の中には物価があることで、高価なものは高級で最高と金が全ての世の中の人間はインプットされてる。
俺が思うのは、物価とは素晴らしい。
豚肉のハムとか?あれはさ。豚肉を加工して手間暇かけてるのに、生の豚肉より安かったりしてる。不思議じゃない?手間も材料も時間もかけて安いって。
冷凍食品もあれもこれも、豆腐とか納豆も。
物価とはさ。実は疑問に思うと変なんだ。
無自覚にも一般人はそこを疑問に思う人達はいない。
世界を作るシステムが計り知れない。
飲食店が豊富にあるってのは資源を考えてる人達はいない。そこに材料があるから使う。それしかない。物価がついてるからね。
でも、それはどうやって作られてる?それが育つ時間などを考えたら品揃えが不自然に感じる時があるぐらい。
トップシークレット事項に突入しそうなので、話まとめます。
何が言いたかったのか明確じゃない。
『今の幸せを見つけてほしい。ないものねだりはみんなするけど、まずはあるもの。』
いや、まとめたけど、言葉で当てはめようとすると当てはまらない事ってあるね。
物事には表と裏があって、物事の表を言えば、裏を言われたら困るし、裏を言えば、表を言われたら困ることはあるように。
伝えたい気持ちを言葉ではパーフェクトに当てはめることのできないことはある。
そういうことで話終了します。
おそまつでした(笑)
HImaPひまぴー(暇プロジェクト)自称取締役渡部学
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