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2021年06月30日09:07

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6月30日 本日の一言メッセージ

クラクラ〈6/30(水)本日の一言のメッセージ+動画+α〉

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22142 (写真入り記事)

❣「弱さと向き合う」

神の永遠という大局から見て、すべてはうまく進んでいるのに、そのように感じられず、落ち込んでしまうことがあります。

悪魔は、一人ひとりの弱い部分を攻撃して心を萎えさせたり、罪の罠を仕掛けて倒れさせようと活動します。

神に頼り、神と共に戦っている時には、飛ぶ鳥でさえ落とすような勢いです。悪魔はそういう人を直接攻撃しないで、間接的に攻撃します。

その人が大切にしている領域を攻撃するのです。

例えば、家族を攻撃して怪我や病気にさせたり、仲間や友人を攻撃して誤解させて関係を壊したりします。

どんなに強い人も、どんなに自信に溢れている人も、必ず弱い部分を持っています。

悪魔は、その弱さに漬け込んで、人を倒そうと狙っています。

牧師やクリスチャンの働き人が狙われることがあります。それは、悪魔が嫌がることをしているからです。

特に悪魔が嫌がることは、人を愛し、神の愛を伝え、導くこと。伝道です。

悪魔は、人を自分の配下に置いておきたいのです。だから、人々が神に目を向けることに貢献する人を憎みます。そして、それをやめさせようと攻撃するのです。

しかし、神様の許しがなければ何も起こりません。

「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません」(マタイの福音書10章29節)。

つまり、悪魔が攻撃することを神が許されているのです。

神は、悪魔の攻撃というマイナスを許すことで、人々が自分の罪深さと弱さを知り、神の下に立ち返り、神に頼るというプラスに変えられます。

神は悪魔を使って、弱い部分を神にさらけ出すようにさせて、その部分を強めたいと願っておられるのです。

だから、間違った対応をしないように注意しましょう。

神があなたを裁いたり、憎んだり、嫌っているのではありません。むしろ、神のラブコールなのです。

「あなたを愛しているよ」。
「私のもとに来なさい」。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイの福音書11章28節)。

神が許される試練には、試練と同時に、逃れの道、脱出の道も用意されていますが、倒れない限界の、生きるか死ぬかの厳しいものであることがあります。

しかし、それくらいの試練を与えないと、私たちは、全面的に神様を呼び求め、頼ることをしないのではないかと思います。

「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(コリント人への手紙第一10章13節)。

神に立ち返り、神に頼りましょう。

そして、強さを誇ることをやめましょう。

私たちが誇れるものは、ただイエス様の十字架だけです。

そして、もう一つセットで誇れるものは、私の弱さです。

「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです」(ガラテヤ人への手紙6章14節)。

「もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります」(コリント人への手紙第二11章30節)。

「しかし、私自身については、自分の弱さ以外には誇りません」(コリント人への手紙第二12章5節)。

「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」「コリント人への手紙第二12章9節)。

人は自分の強さ、実績、能力を誇りたがります。

そして、イエス様の十字架や自分の弱さは恥であるとさえ感じます。

しかし、自分が何かできるというのは、神がそうさせて下さったのであり、人からお膳立てしてもらってのことであったり、誰かの犠牲の上に成り立っているようなものです。誇ってはいけません。

私を愛し、私をいのちの代価で買い戻し、救って下さったイエス様の十字架こそが誇りです。

そして、弱さは、私を傲慢から守り、神に頼らせることで、強くして下さるので、誇れるのです。

「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」(箴言18章12節)。

「主我を愛す 主は強ければ 我弱くとも 恐れはあらじ」(賛美歌)。

すべては神の恵みです。神に感謝致します。


🧡【動画メッセージ】
「愚痴をやめると人生が変わる」
https://youtu.be/k6BVmxe_UbM


ハート(紫)【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/cuYmiQ0dbgU (朝礼拝)


ハート(青)【TV番組 説教収録】
https://youtu.be/u3YkZuvDk6o (説教�ぁ�


ハート(緑)【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


ハート(矢)「編集後記的メッセージ 『試練を肉の働く機会とせず、神に近づく機会とせよ』」

試練の中で、霊的・精神的・肉体的にダメージを受けると、主によっていやされ、主に荷っていただかなければ、願っていなくても、結果として、人や自分を攻撃し、神に敵対する行動を取ってしまうことになります。

痛み、苦しみ、イライラを我慢するのではなく、主に申し上げ、主の手に委ね、そして、手渡しましょう。

我慢し、自分の力で何とかしようとするのは、肉の働きです。そこには解決がないばかりか、悪循環のサークルにはまってしまいます。

使徒パウロは、その悪循環のサークルにはまってしまって、もがき苦しみました。

「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか」(ローマ7:24)。

しかし、解決の糸口を見つけました。

「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します」(ローマ7:25)。

「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです」(ローマ8:1〜4)。

肉の働きを止めて、いのちの御霊を迎え入れ、頼ることです。そこに解決の糸口があり、完全な解決があるのです。

「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。肉にある者は神を喜ばせることができません。けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです」(ローマ8:5〜11)。

� 崙�に従う者は肉的なことをもっぱら考えます」「御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます」とあります。・・・考えを変えることです。

�◆崙�の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです」とあります。・・・肉、つまり、自分の力で何とかしようとしても、神に反抗し、神の律法に服従できないことを知ることです。

��そして、極めつけは、「肉にある者は神を喜ばせることができません」とあります。・・・肉の働き、つまり、神抜きの頑張りは、百害あって一利なしなのです。

�い靴�し、「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです」とあります。・・・御霊を宿し、主として迎えるならば、死ぬべき体も、あらゆるすべての業も生かされ、完全な解決がもたらされるのです。

そのために、今置かれた場所を荒野とし、その荒野で主の恵みを受けることです。

「【主】はこう仰せられる。『剣を免れて生き残った民は荒野で恵みを得た。イスラエルよ。出て行って休みを得よ』。【主】は遠くから、私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた」(エレミヤ31:2〜3)。

なぜ、主が遠くから現れるのでしょうか?

私たちの罪の性質、つまり、神を除外し、自分の肉(力)でことをなそうとする性質が神を遠ざけてしまっているからです。

荒野から主に助けを叫び求めてください。主は、遠くから現われ、近づかれ、あなたの中に入られて、神の恵み「ヘセド」(חֶסֶד)を得られるのです。

「ヘセド」(חֶסֶד)とは、契約に基づく神の恵みです。

神は、一方的に与えられた契約に基づいて、あなたに恵みを与えられるのです。

神の気分や、こちらの状況に左右されないのです。

今日、あなたの中に、神の恵みの支配が介入し、神があなたを愛し、祝福し、あらゆる問題を解決してくださいます。

試練を肉の働く機会とせず、神に近づく機会としてください。

素敵な1日でありますように。
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