
〈6/18(金)本日の一言メッセージ+動画+α〉
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22130 (写真入り記事)
❣「誰のご機嫌を取ったら良いか」
ストレスがたまりやすい人、肩がこって仕方がない人、胃が痛くなりやすい人、ちゃんと寝ても体の疲れが取れない人。
いつも空気を読み、周囲に気を使い、顔色を伺い、機嫌が悪い人のご機嫌取りをしていませんか?
機嫌が悪い人は、その人の問題です。
本当にご機嫌取りをしなければいけないは自分自身です。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(第一テサロニケ5:16〜18)。
神様が一緒だから・・・
「幸せ!」「満足!」「うれしい!」「ツイてる!」「良いことが起こる!」「大丈夫!」。
機嫌の悪い人は放っておいて、まずは自分の機嫌を取って下さい。そうしたら、機嫌が悪い人のために祈ったり、受け止めたり、理解する心のゆとりが生まれてきます。
機嫌が悪い人に調子を合わせて、あなた自身を犠牲にしないで!
あなたは幸せでいていいんです。いつも喜んでいていいんです。
🧡【動画メッセージ】
「類は友を呼び、親しくなる」
https://youtu.be/4-zluNumxQ8

【6/15(火)川口駅前 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/rJ_dpT8rOJc (正面)
https://youtu.be/b5dTWQe1i4I (側面)

【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/bRinP0k2hLs

【ジーザス・ジューン・フェスティバル2021】
https://youtu.be/ZxyV6DHV5jM

【クリスチャン防災士ネットワーク ニュース】
https://youtu.be/FM49Eq8mJ3U

「編集後記的メッセージ 『「アバタもエクボ的人間観」と「アバタはアバタと見る人間観」』」
「アバタもエクボ」と見るか? 「アバタはアバタ」と見るか? それは、1つの人間観です。
障がいを持っている人に対して、悪く思ったり、さげすんだり、差別するのはよくありません。
私が、精神障がい者、知的障がい者、発達障がい者などに触れると、反発が起こることがあります。
そして、「そういうことは言わない方がいいのではないか?」と。
もし、受け入れないで、裁く心であるならば、差別になるかも知れません。
「アバタもエクボ」と見るのではなく、「アバタはアバタ」と見た上で、相手を知り、受け入れ、共生を目指すために触れているのです。
「そういう話題に触れない方が良いのでは?」と考える人の中には、もしかしたら、障がい者を低く、悪く、ダメな存在と考えている点があるのかも知れません。
自分の基準で、「〜障がい者」と病名を付けるとしたら、それは偏見や行き過ぎです。しかし、医学の範囲で付けられた病名であり、その結果、障がい者手帳が出されたり、障がい者年金を受け取ることができたり、様々な優遇が受けられます。それは、好き嫌いや偏見や差別ではなく、助けが必要だからです。
私の父は、高校受験のために蓄膿症の手術を受けた結果、左半身不随となり、60年以上立派に生きています。障がい者枠での入社でしたが、定年まで仕事をしました。そんな父を尊敬していますし、さげすんだり、ダメだと思ったことは一度もありません。
しかし、世の中は冷たく、厳しく、さげすんだり、差別する人がいることを見て来ました。
賢い人は、それをあからさまに表しませんが、心の中でそう考えます。
そして、精神障がい者、知的障がい者、発達障がい者に対しても同じです。
私の子どもの頃には、「発達障がい」という概念はほぼありませんでした。
「付き合いにくいな」とか、「ユニークで変わった人だな」と感じました。その結果、本人も、まわりの人も苦労したのではないかと思います。
そして、さげすみ、ダメな人という烙印が押されることもあったと思います。
ところが、「発達障がい」という病名が付き、その症状を理解することで、受け入れ、共生していきやすくなったと感じます。
もし、厳密な意味で人に病名を付けるとしたら、きっと何らかの病名が付くのではないかと思います。そして、ある人は、健常者と障がい者を明確に区別し、区分し、差別します。
それとも、「アバタもエクボ」と見るのでしょうか?
障がいについては触れず、ない者と考えて接するのが良いのでしょうか?
私は、「アバタはアバタ」と見て、アバタを受け入れ、その人を丸ごと受け入れるのが1番だと思います。
それは、言葉で言う程、簡単ではありません。
私のまわりには、障がいを持った人がたくさん集まってくれます。本当にありがたく、うれしいです。
その方々は、言葉には尽くせないほどの喜びを与えてくれました。
しかし、振り回されたり、ボロボロになる程、苦労してきた面もあります。
しかし、神が送ってくださった方々を感謝し、受け入れ、牧会し、時には厳しい指導をすることもありますが、共に生きていこうとしています。
神が願っていることは、まずは、自分自らが赦されることです。そして次に、自分自身が赦されたように、他者を許し、そして、共生を目指すことだと思います。
そのためには、お互いに、弱さや特徴などを知ることから始めることです。そして、自分自身も神から理解し、受け入れていただいたように、相手を理解し、受け入れ、そして、祈りながら共に生きていくことです。
その原動力と秘訣は、赦し、愛するために死んで下さった「イエス様を主」と受け入れることです。
少なくても、「イエスは主、我らの救い主」と言える関係の中では、共生が可能です。
しかし、なかなかそうはなっていません。救いの道は完成しているのに、とても残念です。
私は、今日も聖霊に満たされて、「神を信じないこの世の価値観」と「その背後に働く悪魔・悪霊」と「罪の力」と闘います。
本日、6/18(金)17時〜19時まで、「市川駅 南口広場」で路傍伝道を行います。ご参加、お祈りをよろしくお願いします。
そして、それぞれの場所で、神と共にその闘いをしていきましょう。
素敵な1日でありますように。
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