
〈6/2(水)本日の一言メッセージ+動画+α〉
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22114 (写真入り記事)
❣「忘れるべきこと、忘れてはいけないこと 〜幸せの秘訣〜」
人生には、忘れるべきこと、忘れてはいけないことがあります。
忘れるべきことは、失敗や嫌なマイナスの記憶です。これらは教訓としたら、きれいさっぱり忘れてしまうことが一番です。
次に、忘れてはいけないことは、良かったこと、うれしかったこと、感謝の記憶です。ことあるごとに思い出し、思い巡らし、感謝をして下さい。短時間で、心は喜びで一杯になるはずです。
人は、忘れるべきことに限ってなかなか忘れられないで、クヨクヨ悩んでしまいます。しかし、忘れてはいけないことを、いとも簡単に忘れてしまいます。これを逆にしたらすごいことが起こります。
意識して、忘れるべきことを忘れ、忘れてはいけないことを思い出し、感謝する習慣を身に付け付けませんか。
聖書は、「後ろのものを忘れ、前のものに向ってからだを伸ばしつつ、目標を目指して走り・・・」(ピリピ3:14)と語ります。この後ろのものとは、忘れるべきことです。
また聖書は、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(詩篇103:2節)とも語ります。この主の良くして下さったこととは、忘れてはいけないことです。
私は、人生の中で、数数え切れない悲しい、つらい、痛い、苦しい経験をして来ました。もしこれらのことをしっかり記憶していたら、何回も自殺できるかも知れません。あるいは、人生を投げ出して、ろくでもない生活をしていたかも知れません。
しかし、神を信じ、祈ることによって、マイナスの記憶を忘れられるようになりました。さらに、マイナスの記憶が宝のようになり、プラスの記憶に変わったのです。
プラスの記憶をいつも心に記憶し、思いめぐらしています。
神が私を愛しておられ、私を救い、天国に行けること。祈りに答えて下さり、数々の祝福が与えられたこと。
何よりも感謝しているのは、マイナスだと思っていたことが、後で振り返ってみたら、すばらしいプラスに変わっていたできごとです。
私は、毎日が幸せです。そして、毎週日曜日、教会で神を賛美し、神をたたえます。
また、人から受けた親切は、特に心にしみます。人は、自分のことで精一杯です。そんな中で、親切にしてくれることは決して当たり前ではなく、奇跡です。
インターネットを通して、あなたと出会えたこと、文章を通して心通わすことができること、毎日幸せを感じています。
毎日、祈りを通して、忘れるべきことを忘れ、忘れてはいけないことを記憶し、感謝することで、幸せを感じています。
今日も、祈りからスタートし、朝一番から幸せ一杯になって歩んで下さい。おはようございます。そして、行ってらっしゃい。
🧡【動画メッセージ】
「あなたは愛され、愛するために生まれた」
https://youtu.be/btJEiJdvYp0

【5/31(月)新大久保駅 路傍伝道】
https://youtu.be/yPYxGvwFWHI (側方)
https://youtu.be/9etYkNSqhsY (右側)

【5/30 新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/SYisb4_Kk_Q(夕礼拝)

「編集後記的メッセージ 『神様の愛の教育』」
神様は、人が思い上がることがないように、しばしば思い通りにならない状況を与えてくださいます。
神様は、人が潰れてしまうことがないように、しばしばうれしい状況を与えてくださいます。
イエス様の弟子のペテロは、模範的で正しいしんこう告白をした時に、イエス様から、「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です」(マタイ16:17)とほめられました。
しかし、ほめられた結果、勘違いし、思い上がり、調子に乗ってしまいました。傲慢になり、先生であるイエス様をいさめるという失態を犯してしまったのです。
「するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。『主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません』」(マタイ16:22)。
「いさめ始めた」(ギリシャ語の「エピティマオウ」)とは、とても強い動詞です。「そんなことが、あなたに起こるはずはありません」。
サタンはペテロに、「あなたは一丁前の人間なのだから、言うべきとを言うべきです」と誘惑したのでしょう。
「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません」。
神が決めたことよりも、自分が良いと思うことを主張しました。「十字架抜きに、神の御国が到来するべきだ」と考えたのです。
当時のユダヤ人も同じように考えていました。
しかし、当時のユダヤ人とペテロの違いは、弟子がラビ(先生)に歯向かったり、批判したり、公衆の面前で口答えするような事は決してありませんでした。ペテロの態度は非常識であり、越権行為だったのです。
イエス様はペテロに対して、「しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。『下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている』」(マタイ16:23)と叱責されました。。
文語訳では、「サタンよ、我が後に退け」(マタイ16:23)という言葉です。
イエス様は、サタンの側につき、サタンの言葉を語るペテロに、単に「退け」と言っているだけではなく、「我が後に退け」と語ったのです。
「ペテロよ、わたしの前にしゃしゃり出るな。わたしの後ろに退き、わたしについて来なさい」と言われたのです。
私たちも、ともすると、イエス様から愛されている事実の前で思い上がり、傲慢な態度をイエス様に取ってしまう可能性があります。
また、善意で家族や兄弟姉妹に対して、思い上がった態度を取ってしまう可能性があります。
その時イエス様は、「サタンよ、我が後に退け」と叱責されるのです。
しかし、なぜサタンなのでしょうか?
「あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」からなのです。人の考え、サタンの思いを正しいとし、主とすることは、サタンの働きなのです。
イエス様はペテロに、良くできた時にはしっかりとほめましたが、間違った時にはそれをうやむやにせず、しっかりと叱られました。
神様は、私たちがしっかりと成長できるように、ほめたり叱ったり、うれしいことを与えてくださったり思い通りにいかない試練を与えられるのです。
その時、イエス様の愛に感謝しましょう。
「そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである』。訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」(ヘブル12:5〜11)。
素敵な1日でありますように。
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