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2021年05月16日08:25

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5月16日 本日の一言メッセージ

クラクラ〈5/16(日)本日の一言メッセージ+動画+α〉

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22096 (写真入り記事)

❣「死海写本 これぞ世紀の大発見!」

1947年、イスラエルのクムランで、20世紀最大の発見といってもいい過ぎではない、世紀の大発見がありました。

それまで知られていた最古の旧約聖書写本より、さらに1000年も前に記された写本、死海写本が見つかったのです。

特に第4洞窟からは、最も多くの写本が見つかりました。

死海写本発見の翌年の1948年には、1900年ぶりにイスラエルが建国されたことは、神のタイミングであると感じざるを得ません。

ある日、ベドウィンの羊飼いの少年が、飼っている子ヤギを追いかけながら石を投げると、偶然、死海写本の入った壺に当たり、「カーン!」という音がしたことから、壺に入った死海写本を発見するに至りました。

ベドウィンたちは、見つけた4つの写本をベツレヘムの古物商の靴職人のもとに持っていき、その価値がわからないので二束三文で売り渡してしまいました。

古物商は、古代シリア語の文書かと思い、死海写本を聖マルコ修道院のアタナシウス院長に見せました。

アタナシウス院長は、4つの写本、��「イザヤ書」、��「ハバクク書註解」、��「共同体の規則」、��「外典創世記」を100ドルで買い取りました。

同じころ、ヘブライ大学の考古学教授であるエレアザルとビンヤミンは、ベドウィンたちが発見した写本を、さらに古物商が入手したことを知り、命の危険を冒して、1947年11月29日に、��「戦いの書」、��「感謝の詩篇」、��「イザヤ書」を買い取りにいきました。

1948年1月、ヘブライ大学のエレアザル教授とビンヤミン教授は、聖マルコ修道院のアタナシウス院長のもとにいって、3つの写本のほかに、さらに4つの死海写本を買い取ろうとしましたが、商談が決裂しました。

その後、死海写本の第三者による客観的評価を知ろうとしたアタナシウス院長は、アメリカ・オリエント学研究所の研究者であるトレヴァーに写本を見せました。

トレヴァーは、写本の書体や語法が1898年に発見されたナッシュ・パピルスのものとよく似ていることから、「本物である」と断定しました。

1948年5月には、第一次中東戦争が起こり、アタナシウス院長は、写本を安全のためにレバノンのベイルートに移送し、その後、アメリカ合衆国に移送しました。移送先では、様々な商談がなされますが、最終的にアタナシウス院長が、1954年6月1日のウォール・ストリート・ジャーナル紙に「写本売り出し」の広告を出しました。

「売りたし。四つの死海文書。少なくとも紀元前200年ごろにさかのぼる聖書テキスト。個人・団体を問わず教育機関や宗教施設に最高の贈り物也。」

写本は、イスラエル政府の意を受けたエレアザル教授とビンヤミン教授の息子によって、25万ドル(現在の価値で200万ドル以上)で購入されました。

当初、ベドウィンによって二束三文で売られた死海写本は、買い戻すのに随分高いお金を出すことになりましたが、イスラエルは、最初の7つの写本の全てを入手することができました。

7つの写本は、エルサレムのパレスティナ考古学博物館に置かれましたが、1961年に隣国のヨルダンが、「死海文書はヨルダンの財産である」と宣言したことから、1966年には、博物館もイスラエルの国有化としました。しかし、ヨルダン政府は、それ以降も死海文書返還要求を続けているそうです。

死海写本は、2000年には、「キリスト降誕2000年」を記念して、東京のオペラシティで、「東京大聖書展」が行われ、私も展示会に足を運びましたが、日本でも展示されました。

クムランの洞窟の中で眠っていた時には、ほとんど劣化が見られませんでしたが、展示のために、度々移動しているうちに劣化が進んでしまいました。

しかし、日本のマイクロフィルムの技術により、死海写本は、当初の色合いと姿をしっかりとフィルムに残すことに成功しています。

その後の10年で、さらに200巻の巻物の写本と、数千に及ぶ写本の断片とが発見されています。

旧約聖書のイザヤ書は、全巻の写本が発見されていますし、旧約聖書の他の書も、エステル記を除いて、すべての書の一部が発見されています。

聖書は、信仰によって神の言葉であると信じられて来ましたが、死海写本の発見によって、それを確認することができました。

『「呼ばわれ」と言う者の声がする。私は、「何と呼ばわりましょう」と答えた。「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」』 (イザヤ書40章6節〜8節)。

目に見えるすべてのものは、必ず過ぎ去ります。私たちは、過ぎ去るものの上に人生の土台を据えるのではなく、何が変わっても変わることがなく、一点一角であっても地に落ちることなく、そのまま成就する聖書の言葉に人生の土台を据えて歩んでいきましょう。

「まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます」 (マタイの福音書5章18節)。

まことに、神様は今も変わらずに生きておられます。


🧡【動画メッセージ】
「健康も病も気から」
https://youtu.be/Rjb_UlwDLr0


ハート(緑)【市川駅前 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/5AEvUsOQ5l8


ハート(青)【コロナや問題解決のための祈り】
https://youtu.be/7eCJzicCs6k


ハート(矢)「神様は不思議なお方です」

神様がなさることは本当に不思議です。死海写本の発見と守りも神様の手の中にあったと確信します。また、私自身の生と死も神様の手の中にありました。

小学3年生の時、私が生まれ育った東京都品川区中延にあった東急池上線の無人踏切で、警報が鳴ってしばらくして自転車で通過しましたが、何と電車がギリギリ2〜3mまで迫っていたのです。「死ぬ」と思いましたが、間一髪のところで助かりました。

18歳の時、環状8号線をバイクで田園調布から甲州街道に向けてシグナルGPをしながら見知らぬ数台のバイクで競争をしながら走っていたところ、私より少し早く走っていたヤマハのRZ350が目の前で右折して来た乗用車と右直事故事故に遭い、即死するという事故が起こりました。これも本当に間一髪で助かりました。

この他にも、何度も人生の絶体絶命と思えるような危機を間一髪で助かって来た経緯をがあります。生と死はまさに紙一重です。一瞬タイミングが狂っていたら、その時に死んでいてもおかしくなかったのです。これを強運の持ち主と考えるか、神が守ってくださったと考えるか、それは人それぞれだと思いますが、私は、間違いなく神によって守られたと確信しています。その時のことを思い出すと、クリスチャンになった後もうなされるほどでしたが、ある日祈っていた時に、「間一髪ではあったけれど神様に守られたのだから、これ以上思い出して苦しみのはやめよう」と決断しました。「私の命は、少なくても2回、多く数えて10回くらいは守られたのだから、何度も命が与えられたものと考えて、この命を神にささげて、神のために用いていただこう!」と。その日以来、徐々にうなされなくなっていきましたが、思い出すたびに、神への献身を新たに決意しています。偶然ではあり得ない死と隣り合わせの体験だったからです。

あなたにもきっと、そのように偶然では説明できないような素晴らしい体験があると思います。反対に、間一髪で不幸な体験をされた方もいらっしゃるかもしれません。これは、良かったとか、ラッキーだつたとか、不運だったとか、最悪だったなどの言葉では表現できない世界だと思います。もう自分自身で善悪の判断はやめて、神の守りと摂理に感謝をし、退路を絶って、神への献身を決意し、それを新たにする機会としませんか?

「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です」(ピリピ人への手紙1章21節)。
「ただ一つ。キリストの福音にふさわしく生活しなさい」(ピリピ人への手紙1章27節)。
「"神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道者の書3章11節)。

善悪は神が決められることです。そして神は、最善以外はなさらないのです。そこに立ち、すべてのことを感謝しながら生きてまいりましょう。私たちには今現在は理解できなくても、やがて理解できる時が来るはずです。

今日も、私たちをはるかに超越した神様を共に礼拝して、一週間をスタートしていきましょう。素敵な一日でありますように。


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