先日の岡山・レマーニと、新潟・松本遠征で使った18きっぷが2回分残っている。
なので、18きっぷ消化乗り鉄の旅を敢行しなければならない。
なので、日帰りの乗り鉄の旅を二つ、企画してみた。
その、第一回目。
元々、28日の日曜日に実行しようと思っていたのだが、出勤になって仕舞った為に振替休日の今日、行く事にした。
最も、日曜日は荒天らしいのである意味良かったのだが。
昨夜は早目に就寝して、4時に起床。
4時半には汁パレスを出た。
近所のフレスコで朝食等を購入。
何せ紀勢本線は亀山も新宮も駅弁の販売を辞めて仕舞っている。
一日、欠食児童になりかねない。
念のため非常食になる物を仕入れておいた。
京都駅までは徒歩で移動する。
5時10分には到着出来た。
9番線の奈良線ホームには5時32分の始発、奈良行き普通が停車していた。
車輛は221系だったから、発車までの間にゆっくりと朝食を頂いた。
メニューは、フレスコで購入した、冷やしぶっかけうどんとおにぎり。
ただ、奈良線のホームにはゴミ箱が無いので閉口した。
六地蔵の辺りでうっすらと明るくなって来た。
靄が掛かっているのが、窓外の灯火が滲んで見える。
宇治川も、霧に包み込まれて霞んで見える。
城陽を過ぎると益々、霧が濃くなりちょっとの先のですら白い闇に覆われて仕舞っている。
霧に包まれた木津川を渡り、6時25分、木津に到着。
次の加茂行きは6時46分。
ホームは大阪方面や京都方面へと向かう客が列車を待っている。
環状線に入る区間快速や、新三田行きの片町線、京都行きの奈良線が出た後、漸く加茂行きが到着。
車輛は勿論、221系。
一駅で加茂に到着。
6時55分の亀山行きはキハ120、木津川に沿って伊賀盆地へと山を越える。
以外な程混んでいる。
笠置の駅前の、木津川の河川敷にはキャンプしている人が多数いた。
大河原を過ぎて、勾配がきつくなる。
エンジンが唸りをあげ、トンネルを潜る。
霧に包まれた山々は、一面、白い世界だ。
島ヶ原で加茂行きと交換。
雨がぱらついて来た。
伊賀盆地に入る。
伊賀上野でも加茂行きと交換。
そして、何人か乗車がある。
伊賀の街中を走るから、なんと無く都会の雰囲気が漂う。
開けた土地に店や工場が建ち並んでいる。
しかし、柘植が近付いて来ると、いよいよ伊賀盆地も尽きて来る。
左側から草津線が合流して、柘植に到着。
柘植を出ると、関西本線最大の難所、加太越えに挑む。
鴉山池を右に見て、加太トンネルへと入る。
エンジン音が嘘の様に静かになる。
トンネルを出ると、日が差して来た。
段々と霧が晴れて来る。
峠を下ると関に到着。
その、関の手前の田んぼの中に、雉がいた。
車窓から雉を見るなんて90年3月の宮津線以来の事だ。
亀山の街の中に入り左側に機関庫が見えて来て、8時16分、亀山に到着。
次の列車は8時23分発の伊勢市行き。
キハ25のロングシートだった。
先程のキハ120が加茂行きとなり発車して行き、続いて伊勢市行きも発車。
関西本線から別れて、紀勢本線へと入る。
紀勢本線とは云うものの、亀山から津までは本線ルートからは外れており、ローカル線の雰囲気が漂う。
高田本山専修寺の最寄り駅、一身田で亀山行きが停車していた。
駅前に、専修寺の屋根が見える。
一身田を過ぎると、伊勢鉄道が近付いて来る。
伊勢鉄道はかつての国鉄伊勢線で、関西本線の河原田から紀勢本線の津を短絡化した路線で、今は伊勢鉄道経由が名古屋からのメインルートになっている。
近鉄とも合流し、津に到着。
近鉄のホームに「ひのとり」が停車していた。
津を出て、暫くは近鉄と並走する。
津新町を過ぎると近鉄が右へと離れて行き、阿漕に到着。
列車交換で3分程停車する。
次の高茶屋でも特急「南紀」に道を譲る。
旅客用のホームの隣に、貨物用のホームげ残されている。
かつては津海軍工廠へ引き込み線が整備されていた。
伊勢中川方面から近鉄が迫って来る。
伊勢平野を走り抜け9時23分、松阪に到着。
次は9時38分発の名松線伊勢奥津行き。
15分ほど時間があるので、松阪駅「あら竹」へ。
ここで駅弁を買わなければ、もう買うチャンスは無い。
とは云え、種類も牛肉弁当とモー太郎寿司しか無い。
牛肉弁当は前に食べたし、と思っていたらモー太郎弁当が届いたので購入。
1500円也。
伊勢奥津行きはキハ11の単行。
名松線に乗るのは92年の8月以来、29年振り2回目の乗車。
松阪を出て、近鉄が右へと離れて行く。
続いて紀勢本線も右へと離れて行った。
伊勢平野を淡々と走る。
ただ、並行して近鉄も走っており、運転本数が少なくキハ11単行な名松線が不利なのは仕方がない。
一志を過ぎると、段々と山が迫って来る。
両側を山で挟まれた谷間を走る。
井関を過ぎ、トンネルに入る。
トンネルを出ると、眼下に雲出川が迫る。
そこから、また少し拓けて田畑や工場などが見える。
そして、家城に到着。
松阪行きの列車が待機している。
今では数少なくなった、キャリアで通票を交換する駅である。
松阪行きが先に発車し、10時28分、伊勢奥津行きが発車。
家城で平野が尽き、雲出川が織り成す渓流へと入って行く。
伊勢鎌倉を過ぎて伊勢八知が近付いて来ると、CMでお馴染みの美杉リゾート魚九が見えて来た。
この辺りは地名の通り林業が盛んの様で駅の近くに伐採された杉が大量に置かれている。
いよいよ、平地は全く無くなり雲出川と山に挟まれて、喘ぎながら勾配を上がって行く。
急カーブが続き、車輪がキイキイと鳴らしている。
遂にスマホの電波も切れて仕舞った。
11時2分、伊勢奥津に到着。
途中でちょん切られた様な、中途半端な駅である。
それもそのはずで、名松線はその中の通り松阪と名張を結ぶ路線として計画・建設された。
しかし、険しい山脈に阻まれ伊勢奥津で力尽きて仕舞った。
折り返し松阪行きは11時30分。
30分近くあるから駅前を散策してみる。
伊勢本街道の宿場町として発展しただけあり、旧家などなかなか見所がある。
駅に隣接して「津市伊勢奥津駅前観光案内交流施設 ひだまり」なる施設があった。
折角なので立ち寄ってみた。
まあまあの盛況で、弁当等もあった。
美杉にある季節料理「ちとせ」謹製のお弁当と、名物のあまごを使用した、あまご味噌を購入。
名松線で来た人には、名松線クリアファイルのサービスもあった。
しかし、これで欠食児童にならずに済む。
11時30分、松阪行きが発車。
乗客は僅か3組で、皆、さっきの列車からの折り返しである。
山の傾斜部を拓いて、茶畑が並んでいる。「ひだまり」に寄った時に頂いたお茶も美味しかった。
のんびりと車窓を眺めていると、伊勢竹原駅の向こう、雲出川の向こうにお堂が見えた。
真福寺と云うお寺さんらしい。
山の中腹にお堂があり、桜が包み込み事の他美しい。
家城に到着。
男の高校生の集団が、部活帰りなのか大量に乗り込んで来た。
誠に鬱陶しい。
ほぼ一輛、貸し切り状態だ。
先程同様に、通票の交換をする。
そして伊勢奥津行きが到着。
勿論、撮り鉄をする。
伊勢奥津行きも通票を交換。
私の他にも二人程、鉄の者がいた。
12時17分、松阪行きが発車。
伊勢八太と権現前の間で、停車した。
強風の為、停車したとの案内がある。
松阪での乗り換えは9分しか無い。
かなり際どい事になって来た。
12時45分、運転を再開するが、徐行での運転となる。
15時54分、本来なら松阪に到着している時間だが、まだ上ノ庄にも到着していない。
12時59分、漸く紀勢本線が近付いて来る。
そして、近鉄も迫って来た。
しかし、松阪の手前で信号停車。
停車している間に、次の鳥羽行きの時間である13時3分を過ぎて仕舞った。
結局、松阪には13時7分に到着した。
しかし、今度は次の鳥羽行きが来ていない。
こうなると、ここから先の旅程が怖い。
13時13分、鳥羽行きが到着。
本来なら多気に到着している時間である。
車輛はキハ25のロングシート。
近鉄の路線が左へと離れて行く。
次の徳和で、また大量に部活帰りの高校生が乗車して来る。
今回は2輛編成だし、女子の比率が多かったから、むさ苦しくは無い。
13時23分、多気に到着。
新宮行きは既に停車していた。
車輛はキハ25のロングシート。
さて、駅弁はあるが流石にロングシートの車内では、駅弁を食べるのは躊躇われる。
ましてや酒など。
前回の新潟行きでは駅弁が無くて欠食児童になったが、今回は座席がロングシートで欠食児童となって仕舞った。
思案している中、亀山行きが。
続いて鳥羽行きが発車する。
13時27分、新宮行きも発車。
5分の遅れである。
新宮到着は17時4分となっており、3時間40分もの乗車。
それをロングシートで過ごすのも辛い。
参宮線が左へと離れて行く。
多気から先の紀勢本線に乗車するのは1999年8月の夏コミ前に乗車して以来、22年振り。
当時の車輛はまだキハ58だった。
栃原を過ぎて、段々と山深くなる。
紀伊山地を縦断して行く。
川添で多気行きの列車を待つ。
ここで遅れを取り戻した。
川添を出て暫くしたら、城の天守の様な建物が見えた。
三瀬谷を過ぎると、ダムが見えた。
そして、谷が深くなって行く。
大内山川が山を削っているのだ。
滝原で列車交換。
名古屋行き特急「南紀」が通過して行く。
1線スルー式になっていないから、速度を落として通過する。
滝原を出て、渓谷が見えた。
そろそろ、車内も空いて来たから呑み鉄を始める。
松阪で買ったビールがあるから、松阪駅「あら竹」のモー太郎弁当を頂く。
すき焼き風に炊いた松阪牛がとろける様な味わいを醸し出している。
ビールにも合うが、日本酒が欲しくなる。
なので、昼は軽めにして、肉を少し残しておく事にした。
梅ケ谷を過ぎると伊勢と紀伊の境にある荷坂峠を荷坂トンネルで抜ける。
そして、Ω状のカーブを幾つものトンネルで抜けるながら峠を降りて行く。
途中、右側に熊野灘がちらりと現れる。
地図だと熊野灘は紀勢本線の左側になるから、余程曲がりくねっているのだろう。
峠を降りきり、左側に熊野灘が現れて、紀伊長島に到着。
ここからは熊野灘に沿った海岸沿いの路線だが、リアス式海岸が発達しており、紀勢本線が開通するまでは陸の孤島とまで云われていた地域。
海を眺めつつ、山を越えつつと進む。
三野瀬で15分程停車する。
その間に多気方面の普通列車と交換。
相賀で長らく沿っていた大内山川が船津川と合流し、海に注ぐ。
続いて銚子川を渡りトンネルへ。
何本かのトンネルを抜けて、尾鷲に到着。
ここで20分停車して、特急「南紀」に道を譲る。
「南紀」は15時37分発だったが、2分遅れで到着。
到着と発車、両方で撮り鉄が出来た。
発車は51分で、まだ時間があったのでスタンプを押しに行く。
しかし、ゴムが擦りきれて何が何やら解らない。
駅員さんから紀勢本線開業60周年のメモ帳を頂いた。
尾鷲を出て、海沿いを走る。
弁財島を眺めて、大曽根浦。
目の前に漁港が拓けている。
リアス式海岸だから、年末年始に行った三陸の車窓を思い出す。
大曽根浦を出たら、またトンネルで半島の付け根を縦断する。
大曽根浦から先は長大トンネルが続くから、トンネルとトンネルの間に駅がある。
幾つかのトンネルを抜けたら、九鬼水軍発祥の地である九鬼。
九鬼を出ると、再びトンネルを抜けて三木里。
三木里から新鹿までの間は、紀勢本線で最後に建設された区間である。
トンネルを抜けて、リアス式の深い入江の奥に集落が、平地が殆ど無い為に山の中腹辺りまで固まっている。
二木島は、当初はトンネルで抜けるはずだったが、住民から国鉄に対して陳情が行われ経由する事となった。
駅前に倉庫の様な建物が朽ち掛けた、ひなびた漁村である。
そして新鹿へ出ると砂浜が広がり、もっと開けた感じがした。
その新鹿で、多気行きの普通列車が停車していた。
大泊は何て事の無い小駅だが、行き止まりの引き込み線の跡があった。
かつては貨物扱いをしていたのかもしれない。
大泊を出て、またトンネル。
このトンネルの半島の先が、景勝地として名高い鬼ノ城であり、志摩半島から続くリアス式海岸の最南端になる。
大泊の次が熊野市。
学校帰りの高校生が幾人が乗車して来る。
熊野市からはリアス式海岸とも別れ、平野部をひた走る。
神志山で多気行きが停車していた。
神志山を出てすぐ、左側に壺の池と云う小さな池が見える。
平野部を走るから、家も建ち並び何とも賑わっている。
鵜殿を過ぎて、工場の高い煙突とプラントが見える。
熊野川を長い鉄橋で渡ると和歌山県。
そのまま新宮城の下をトンネルで潜り抜け、17時4分、新宮に到着。
新宮から先は久し振りのJR西日本。
ここから先は電化区間で、227系電車が案内する。
勿論、ロングシート車である。
17時10分発の紀伊田辺行き。
6分程時間があったから、スタンプでもと思ったが止めておいた。
新宮は、多分だがまなにゃーさんが熊野詣でをしたいと云って、また来る様な予感がする。
新宮を発車して、町を抜けて海岸沿いを走る。
さっきまでの、リアス式海岸とは丸で違う。
紀伊佐野で、名古屋行き特急「南紀」と交換。
次の宇久井でも3分停車。
新宮行きを待つ。
「南紀」の終着駅である紀伊勝浦を過ぎて、湯川へ。
駅前に森浦湾が広がっている。
夏になれば海水浴も出来る。
太地の半島の付け根を幾つかのトンネルで抜けて、鯨の町として有名な太地に到着。
そしてまた、トンネル。
トンネルを抜けると、玉ノ浦沿いを走る。
日本で一番短い川と云われる「ぶつぶつ川」はこの辺りに流れているそうだ。
玉ノ浦の最深部が、紀伊浦神。
玉ノ浦は、万葉集でも詠まれた景勝地としても名高い。
深い入江の浦神は、良い漁港になっているのだろう。
漁船が多数、停泊していた。
紀伊浦神を出て、浦神の半島を越える為に勾配がきつくなって来る。
半島を越えて紀伊田原。
再び海沿いを走る。
18時回り、段々と辺りが暗くなる。
洗濯板の様な岩が続く海岸を眺める。
沖には紀伊大島が見える。
線形も悪く、列車はゆっくりと走る。
古座川を渡り、古座に到着。
月が出て来た。
紀伊姫が近付いて来ると、弘法大師伝説で名高い橋杭岩が見えて来る。
紀伊大島に向かい、橋桁の様に岩が連なっている。
紀伊姫を過ぎてトンネルを抜けると、目の前に一瞬、橋杭岩が通過する。
橋杭岩が過ぎると、本州最南端の駅である串本。
潮岬の付け根をぬけ、紀伊半島の西側へと出る。
沖の方に潮岬が見える。
そして暫く、内陸部を走る。
もう大分と暗くなり、山の稜線だけが群青色に照らされおり、その他の風景は闇に覆われ溶け込んで仕舞った。
田並で特急「くろしお」と交換。
オーシャンアロー283系だった。
もう真っ暗だから、撮影は不可能。
車窓も、なんと無く海辺を走っているなと云うのは、陸地との藍色の濃さの違いで解るが、それも余程目を凝らさないの解らなくなって来た。
南紀白浜ジオパーク和深海岸の最寄り駅、和深に到着。
車窓から海岸が良く見える筈なのだが。
スマホで撮影してみたが、走る車内からは矢張り、良く撮る事は出来ない。
暗闇の中を走り、18時58分、イノブタで有名な周参見に到着。
20分程停車して、その間に特急「くろしお」に追い抜かれる。
暇なので、撮り鉄しながら駅前へ出てみる。
まだ19時過ぎだと云うのに、深夜の様である。
そんな駅前に、「しのぶ」と云う小料理屋が暖簾を出しており、ご近所のおっさんが上機嫌で店から出て来た。
駅に戻ると、もう閉まっている窓口に「周参見いぶ」なる萌えキャラのポストカードが展示しているあった。
窓口が開いていたら、間違い無く購入していただろうに。
残念である。
周参見を発車する特急「くろしお」を見送り車内へと帰る。
19時20分、漸く発車した。
白浜着19時44分。
10分程停車し、「くろしお」と交換する。
売店は既に閉まっていた。が、彼方此方に、黒潮しららのポスターが貼ってあった。
19時55分に発車。
終点の紀伊田辺には20時9分に到着。
次の電車まで30分程あるので、駅前をぶらついてみた。
駅前の通りが全くの呑み屋街で、居酒屋から焼肉屋からラーメン屋から、ありとあらゆる店が軒を連ねている。
明るく賑やかな通りを歩いていたら、深夜の様な駅前ばかり見てきたから、別世界に思えた。
駅構内のセブンイレブンで酒を購入して紀伊田辺駅の3番ホームへ。
調度、和歌山行きが到着した所だった。
車輛は225系、勿論、クロスシート車。
遅くなったが、今から夜の呑み鉄。
伊勢奥津の「津市伊勢奥津駅前観光案内交流施設 ひだまり」で買った、季節料理「ちとせ」のお弁当を頂く。
酒は、海南の「長久」他、色々。
「ちとせ」のお弁当は、これはただ事では無い。
この炊き合わせは、割烹や仕出し屋などで出て来る味だ。
弁当としては、余りにもレベルが高い。
器を変えて、京都の仕出しですと云っても通用するだろう。
更に炊き込みご飯。
おかずが必要な位に味が薄いが、出汁がしっかりしているから、実に旨い。
何時の間にやら、海南に到着していた。
時間は22時10分。
1994年、この海南から出ていた野上電鉄を乗り鉄撮り鉄しに来たが。
今や駅は高架になり、当時の面影は何も残っていない。
当日は、阪和色の113系や湘南色の165系で海南まで来た。
何故、その車輛の写真を撮って置かなかったのだろうか。
22時24分、和歌山着。
次の列車は22時31分の天王寺行き。
車輛は225系。
車内は割りと混んでいた。
和歌山を出て、紀伊山地を越える。
右側にの眼下に、紀ノ川沿いの集落の灯りが見える。
先週の姨捨を思い出す。
紀伊山地を越えて、大阪府に入る。
23時1分、日根野に到着。
23時2分発の関空快速京橋行きに乗り換える。
後は、関空快速と新快速の太く速い流れに任せれば良い。
半ばうとうとしながら天王寺に到着。
環状線に入り大阪を目指す。
大阪には23時55分の到着。
いよいよラストランナー、新快速京都行き。
0時丁度の発車だ。
ログインしてコメントを確認・投稿する