原稿に書いてあるので、本題とはいささか外れてしまうが、山梨の巳之助について
もう少し書いておく。弘化二年の暮に中泉代官所に召し捕らえられ入牢するまでは、
袋井宿に住んでいた。
安政の初めに出牢するが、牢から出た巳之助は、袋井宿から北の山梨の生家に移り
住んだ。安政五年に天宮村に大事件が発生。万松寺に強盗が押し入り、老住職を切り
殺した上に、寺に放火するという「万松寺事件」が発生し、下手人として、巳之助の
子分の重五郎が召し捕らえられた。
巳之助も重五郎を匿い逃亡させた罪で捕らえられ、八丈島に流島となった。ところが、
子分の堀越の藤左衛門が、黒駒の勝蔵と共謀して島やぶりを企てたが、このことが未然に
発覚して、巳之助の流罪は取り消されて、江戸に戻されて万延元年九月、鈴ヶ森の刑場の
露となった。
祖祖父についたあだ名は「ゆっくり桂サ」
桂次郎が婿入りした頃の「はな」の実家は、そこそこの財産もあったと思われる。はなは
お嬢様育ちで、芝居や相撲が好きで、必ず見に出かけるという人であり、桂次郎も大地主のおぼっちゃん育ちであり、財産を使い果たすのにそれ程時間はかからなかったと予想。
森の天宮本町に移住して以降、桂次郎は車引きを家業とするのだが、生来の性分が変わる
訳ではないので、みんなに「ゆっくり桂さ」と呼ばれた。当時、森の明治町にせっかちな
車引きが居て「あわてソウサ」とあだ名がついていた。名のとおり早朝出発して、奥から
荷を積んで帰る途中に、日が高くなって家を出た「桂サ」の荷車と城下を抜けたあたりで
すれ違うのだったという。
「江尻のお茶わん屋」
祖父の與一郎が奉公にあがった江尻宿(清水市)の瀬戸物屋で質屋も兼業のお店ですが、古い書類から安倍郡入江町37番地の滝治作様と判明。昔の江尻の地図を探して場所
を確認。巴川にかかる稚児橋の近くにお店があった。現在は駐車場になっているようだ。
昔は江尻にお城があったようだが、武田方が築城した特徴も残るという。宿場町でもあり
久能へ向かう街道と港へ向かう道の点だ分岐点だ。
巴川の川に掛かる橋の近くに横断歩道がないという、川を挟んで両側に飲み屋街がある。
夜間になると横断歩道を渡らずに道路を横切る人が増えて、1月、2月で3名の死傷者が
発生しているらしい。清水警察署も注意を呼び掛けたり、チラシを配布したりと躍起に
成ってるという。祖父の居た頃には交通量も少なく、自動車も殆ど通らなかっただろうね。
ログインしてコメントを確認・投稿する