2021年2月11日木曜日
9時45分〜
渡部学からの記事
人であるとすれば、人には必ず感情と思考がある。
その人物の思考と人格や性格を知り尽くせば誘導や誘発は簡単な事。
例えば、最近、父である渡部勇が排便しにこの時間に帰宅してくる。それが不自然であると、嫌がらせであるとか、こういう場で記事にする。
そうすれば渡部学に対して執着心がある人間は必ずどういう行動に誘発してくるかわかる。
そういう遊びを最近してる。
渡部学の言動一つで自由自在に心理を操り、操り人形のごとく思ったようなアクションを起こす人物達。
執着心があるとはそういう事で、執着心ある人物を利用するのは簡単な事だなって感じてる。
それで、自分自身の言動を無視しても、無視しなくても、その人物の思考や特徴や人格や性格が把握できる。
その人物の好む行動や考え方、感情が丸わかりする。
把握するってのは無知でなくなる。
渡部学は個人で組織力や能力や技術はないけど、個人では無力だけど。
その知識と把握は役に立つ。
人の心理を操るのは簡単なこと。
知ってるってそういうことなんだよな。
同じ人間であり、感情がある。それを熟知すると
その人物の好む、嫌がる思考と行動を探れる
終わり
おまけ
それを巧みに熟知すれば、視覚的姿化けであろうが、別人格操りであろうが、統計とか感情や思考の好む行動、嫌がる行動など反応を見てその人物を少しずつ割り出す。
そういう感知が盲目ゆえに、完全に正確に把握は出来ないけど、だからこそ、認知してそれを探る感知力が向上してる理由。
感知能力が欠落してるがゆえに、敏感に把握する術がついてくる。
それはつまりは完全に把握する人間より未知数であり、波乱を呼ぶかもしれない。
だけど、危険だとか言われてもそもそも自分自身を操る人達に逆らえはしない。
だから、こっちも出来る限りで逆探知じゃないけど、それを遊びの内容に加える。
人である限り、感情や思考があるものなら
それを探る遊びを磨く。
おまけ 終わり
おまけのおまけ
人って産まれてから死ぬまで、本質は変わらないんだ。
だから、それを熟知すれば視覚的姿化けであろうが、肉体に潜む別人格とかそういうのが完全に見抜けなくても、盲目でもそれがあるのがわかってるなら対処法があるって事。把握や知るまで後手に回ったりするけど。
だからって無力の渡部学は元々無力。把握したからって組織力や強者には敵わないまま。
でも、無知より良いはず。自分自身にもね。
渡部学の意識や記憶あっても、自覚症状なし操られる。行動や感情、言動などね。
この記事もそう。だから渡部学を知り尽くされてるのはもう百も承知して自分自身それを悟ってる。
だからといって、こっちはその周りの人物の素性を探ったらダメとかいうルールはない。
強者はどういう性格や人格であるかを探っても問題ないはず。強者だけでなく、渡部学の関わる人達の感情や思考など。
結局、渡部学の味方も、敵も身近にいるもの。
なぜかって、渡部学に執着心を抱く者は近くに必ず配置してる。それが人であったり、道具であったり、技術であったりね。だからその渡部学に執着心ありや執着心なくても関わる人間ってのは近隣というのは距離や直接関わる事であるだけでなく、渡部学を知るための近接な何かを必ず配置してる。情報もそのひとつ。
ただ操り人形ごときの渡部学は言っても駒のひとつ(笑)それを自分自身でも自覚してる。
おまけのおまけ 終わり。
追記
当たり前だけど、それをしっかり正しく認識して考えると単純で簡単な当たり前が本当に重要不可欠な人を観察眼で見抜き磨くのに必須項目だよね。
終わり
ログインしてコメントを確認・投稿する