〈1/28(木)本日の一言メッセージ〉
「クリスチャンの交わり」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/21947 (写真入り記事)
クリスチャンの交わりの対極にあるのは、世の中の交わりとも言えますが、あえて言うなら、宗教的な交わりです。
お互いを「兄弟」とか「姉妹」とは呼ぶけれど、仮面を被ったままで、宗教倫理や道徳的に正しいかどうか、隙か嫌いかで分類し、裁き合います。
「兄弟」とか「姉妹」と呼ぶのが悪いのではなく、大切なのは、本当の家族になることが大切です。
しかし、「兄弟」や「姉妹」と呼び合ったから家族になれるとは限りませんし、かえって距離を感じてしまう場合があります。
本当の兄弟を「兄弟」とは呼ばないからです。
自分と血のつながっているお兄さんや弟を、「〜兄弟」と呼ぶでしょうか?
教会以外でそのような呼び方をする人を見たことがありません。
本当の家族は、正しいか、正しくないかで相手を裁いて関係を切ってしまうことはありません。
家族は、お互いに弱さを見せ合い、わかり合っているので、かっこつけることはできないからです。
家族とは、お互いを見せ合いながらも、赦し合い、受け入れ合い、愛し合いますし、関係を切ることはないからです。
お互いを大切にし、お互いを受け入れあい、支え合って生きていくなら、離婚をしたり、関係が壊れてしまうことはないからです。
夫婦が離婚に至る原因は、不貞などの裏切り、酒癖が悪い、仕事をしない、暴力をふるうなどです。
それらの関係は、どこかで仮面を作り、どこかがずれているのです。
赦しと愛によって、関係は修復され、回復が可能です。
ダビデは、傷つき、心が痛む時には、「獣のようになった」と語っています。
人は誰でもそうなることがあります。
そういう時に、家族なら、相手を包み、その傷をいやし、獣から人間に戻れる温もりがあります。
私たちは、神様の愛によって、愛と忍耐と許容性を持って、お互いにすべてを見せ合い、同時に、すべてを受け入れ、包み込み、一生涯関係を続けていけるような温かさをいただきたいものです。
人は、人の変わらない愛を求めています。その愛は神様から与えられます。そして、その愛は私たちの中に与えられています。
人を好き嫌いで見たり、気が合う合わないで人を選別したりするのではなく、神の家族となって、互いに支え合いながら生きていけたら幸いですね。
それを、クリスチャンの交わりと呼ぶと思います。
そこには、「兄弟」「姉妹」 という言葉すら必要がないかも知れません。本当の兄弟・姉妹だからです。
【動画メッセージ】
「人生と老いを楽しむ」
【路傍伝道】
https://youtu.be/75tgY0TSvOw (田端駅 路路伝道)
https://evangelism-journal.wixsite.com/evangelism-network (ホームページ)
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