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2021年01月25日13:20

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教職員が負うべき安全配慮義務とは?

■いじめで自殺未遂、報告書公表されず 女性が茨城県と元同級生を提訴
(朝日新聞デジタル - 01月25日 10:42)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6388663

学校において児童・生徒が安全な環境で安心して生活できるよう、学校・教員は安全配慮義務を負っている。本稿は本義務がその改善過程からさらに改善・強化されていくことを目的とする。

1 学校における安全性の確保
児童・生徒(生徒等)の安全は生活安全、交通安全及び災害安全に分類されるが、本稿では主として生活安全のうちいじめ等に関する安全について取り扱う。なお、いじめ等は生徒間の「事故」として対処されることもあったが、筆者は「事件」として扱うのが適当であると考える。
安全(性)は一般施設等にも求められるが、教員及び学校設置者等(学校等)はその性格上、生徒等に対する安全性を特に強く求められる。生徒及びその保護者(保護者等)は学校等に対し、筆者は生徒等が安全で安心して生活、学習できる権利を有すると仮定する。生徒等はこの仮定から、少なくとも登校から放課後まで教室外であろうと、休憩中であろうといじめ等を受けないで安全に生活し、学習できる権利を有し、生徒等の生活安全が全面的に保障されると考える。
しかし、これらの権利及びこれに対する義務には法的根拠がなく、いじめ等に関する民事判例の判断に従うことになる。被害者にとってはそれが最大の課題になる。判例は法的規範力の高い最高裁判所(最高裁)判例、少なくとも高等裁判所(高裁)判例が必要とされる。だが、現実的にはこれらの判例は極めて少なく、地方裁判所(地裁)の判例も参考にしていくことになる。

2 安全性確保の権利と安全配慮義務(安全保護義務、安全保持義務、安全保障義務等)
生徒等の学習権の付随的権利としての安全性確保の権利に対し、教師等には「安全配慮義務(本義務)」があると考えられる。本義務は民法上の「保護義務」がその淵源とされ、契約における給付義務に対する付随義務として、学校関係に限定されない一般的な義務であると解されている。
元来、安全配慮義務は最高裁が構築した用語であって、1975 年の最高裁判決(昭和 50 年 2 月25 日最判「損害賠償事件」民集 29-2)において、「国は国家公務員に対し、生命及び健康等から危険を保護するよう配慮すべき義務を負」う、と判示された。本判決において、本義務は「当該法律関係の付随義務」とし、その根拠は民法上の「信義誠実の原則(信義則)にある」とされた。
その後、国家賠償法(国賠法)1 条 1 項にいう「公権力の行使」には「公立学校における教師の教育活動も含まれる」とする判決(昭和 62 年 2 月 6 日最判「損害賠償事件」判時 1232)があり、本義務は学校・教育関係に適用されることに至ったが、教師の教育活動とは言い難い「生徒間のいじめ等」に関し、本義務はいじめ等の不法行為には適用できないという課題があった。

3 安全配慮義務の根拠について諸説本義務の根拠が信義則とされることから、星野雅紀は「学校設置者と生徒らとの間に『契約関係』が観念されなければならない」(判タ 457、1982)と述べる。法理論では妥当であるとも言えるが、義務教育の公立学校に在学関係という契約を求めることは難しいと考える。高橋眞は同趣− 117 −旨ながら、不法行為が「人身侵害である以上、もっぱら不法行為規範によるべきである」(『民法の争点』2007)と述べる。すなわち、信義則は不法行為に関し、必ずしも適切ではないとされる。また、兼子仁(『教育法〔新版〕』1982)は、「学校側は原理的に安全義務(安全保障義務・安全配慮義務)を有し」、「本義務の根拠は信義則ではなく、教育を受ける権利に伴う『原理的』な義務ないしは『条理上』の義務である」と述べ、本義務の根拠は原理的、条理的なものとする。さらに、國井和郎(判タ 357、1978)は、ある地裁判決の評論において、「被害者救済に向けた処理発想が『安全配慮義務』に収束した」と述べ、被害者救済を有力な根拠、ないしは背景としている。既述の 75 年最高裁判決も一般には被害者を時効消滅から救済する判決だったとされている。本義務のいじめ等への適用論に関しては否定的な論がある。宮本健蔵は、本義務は「少なくとも契約締結の目的で接触する直接の当事者間に限定する必要があろう」(民法�� 債権〔第 2 版〕2014)と述べる。しかし、直接の当事者を狭義に解釈し、学校設置者等が含まれず、さらに、教師がいじめに直接関与しないとされれば、彼らの責任はないのかという疑問が生じてくる。

4 民事判例における安全配慮義務に関する裁判所の判断
1981 年の新潟地裁は原告の主張に対し、保護監督義務に包含される「予見可能性を否定した」(判時 1031、1982)。しかし、90 年の福島地裁(いわき支部)は安全保持義務違反に関して、学校側に悪質重大ないじめの認識があれば、「自殺するまでの予見可能性があったことを要しない」(判時 1372、1991)とした。この判示は実質的に安全配慮義務を認定したものと推察される。また、94 年の東京高裁判決(高判)は、「教員には生徒の安全の確保に配慮すべき義務があり、(中略)事態に応じた適切な措置を講ずる義務がある」(判時 1495、1994)と判示した。また、2002年の東京高判は「教員には安全配慮義務があり」、いじめが継続した場合には、本件自殺を「予見すべきであり、予見することが可能である」と判示した(判時 1773、2002)。さらに、12 年の名古屋高判は私立学校の事例として、学校法人は在学契約に基づき、「生徒の安全を保護する義務を
負う」(安全保護義務)(判時 2185、2013)とし、契約関係を前提として本義務を認定した。安全配慮義務は 1990 年代の後半から安定して認められ、その内容は予見可能性から予見義務、指導監督義務、結果回避義務、防止対策義務及び連絡報告義務等に拡充していると推察される。

2004 年に「犯罪被害者等基本法」が成立したが、その前文に、国は「安全で安心して暮らせる社会の実現を図る責務を有」し、「犯罪被害者等の視点に立った施策を講」じる、とされた。また、07 年施行の「労働契約法」第 5 条には「労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をする」とする安全配慮義務が規定された。いじめ被害者にもこれら二法と同趣旨の立法化が必要であると考える。なお、13 年制定の「いじめ防止対策推進法」には本義務の規定がなく、本法はいじめの根本的解決には貢献し得ないと推察する。本義務を規定できない理由は、日常的に多忙な教員に更に負担を課することになるからであると推認される。学校における生徒等の安全性の確保から、本来なら、本義務は生活安全にとどまらず、交通安全及び災害安全にまで拡充していくことが必要であり、本義務の立法化は必然であろうと考える。

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