熊本大空襲を伝えるパネル展
08月12日 12時06分
終戦の日を前に、平和の大切さを改めて考えてもらおうと、空襲により焼け野原となった熊本市街地の写真などを展示したパネル展が熊本市役所で開かれています。
会場には、熊本市の市街地が1時間半にわたって爆撃を受け469人が犠牲になったとされる、「熊本大空襲」についての写真や新聞記事などのパネル12枚が展示されています。
このうち、熊本動物園の人気者だった芸達者の象「エリー」が、食糧事情の悪化で殺処分された話では、飼育員たちの悔しさを描いたイラストや、当時の写真が紹介されています。
また、焼い弾により、市街地の5分の1以上が焼け野原となり家を失った4万人余りの人たちが、り災証明書を求めて列を作る写真は、日常生活を奪う戦争の恐ろしさを伝えています。
母親と訪れた男の子は「こんなに多くの人が熊本でも亡くなっていたとは初めて知った。動物まで殺されていたことが分かり、戦争は2度としてはいけないと思った」と話していました。
展示会を担当した熊本市の中村幸香さんは「ことしは、多くの方に見に来てほしいと言える状況ではないが、実体験を聞く機会が減る中で、熊本でも被害があったことを伝えたい」と話していました。
このパネル展は14日まで、熊本市役所本庁舎の1階ロビーで開かれています。
https://www.nhk.or.jp/lnews/kumamoto/20200812/5000009564.html
鳥栖空襲犠牲者の慰霊祭
08月11日 15時52分
終戦直前の昭和20年8月11日の鳥栖空襲で亡くなった旧国鉄職員などの慰霊祭が、11日、佐賀県鳥栖市で行われました。
昭和20年8月11日の鳥栖空襲では市民や軍人など合わせて119人が犠牲になったとされ、このうち鳥栖駅では旧国鉄の職員7人と勤労奉仕に来ていた生徒6人が犠牲になったということです。
慰霊祭はJR九州が主催して、鳥栖駅近くにある公園の慰霊碑の前で、空襲が始まったとされる午前10時半から行われました。
遺族やJRの関係者などおよそ20人が参加し、出席者一人ひとりが焼香して手を合わせ、親族の霊を慰めるとともに平和への祈りをささげていました。
4歳の時に鳥栖空襲で父親を亡くしたという男性は「当時の記憶はありませんがJR九州が毎年慰霊祭を行ってくれるのがありがたいです。戦争がおきれば必ず誰かが悲しむことになる。やってはいけないと思います」と話していました。
慰霊祭を行ったJR九州鳥栖電力区の原博文区長は「戦争で私たちの先輩が亡くなったということを忘れてはいけない。風化させないためにも慰霊祭を継続することが大切と思います」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/saga/20200811/5080006683.html
戦死の兄への手紙76年ぶり戻る
08月11日 15時12分
太平洋戦争中、加計呂麻島から出征し、その後、戦死した兵士に宛てて書かれた手紙が、76年ぶりに家族の元へ戻りました。
加計呂麻島で農業をしていた西田保さんは、海軍の兵士として召集され、昭和19年8月に北マリアナ諸島のテニアン島付近で戦死したとされていますが、詳しいことはわかっていません。
当時、家族が保さんに宛てて書いた手紙も行方が分からなくなっていましたが、テニアン島付近で任務にあたっていたアメリカ軍の海兵隊員が保管していたことがわかり、返還されることになりました。
手紙は2通で、11日、国や県と調査を行っていた瀬戸内町の町長から、保さんの弟の俊男さん(91)に手渡されました。
このうち、76年前に両親と姉から送られた手紙には「寒い日が続いていて、家は砂糖の製造準備で忙しい」などとつづられ、一家の大黒柱がいない中でも、ひたむきに暮らす家族の状況を伝えています。
また、弟の俊男さんからの手紙には「来年は、飛行練習生に合格して、兄上とともに米英打倒に邁進したい」などと、遠く離れた戦地にいる保さんを励ます内容が書かれていました。
俊男さんは「兄から返事が来ることはありませんでしたが、長い時間を経て家に戻ってきて感無量です。兄や両親も、天国で喜んでいると思いますし、平和な世の中になるよう、この手紙を大切に子や孫に引き継いでいきたいです」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20200811/5050011460.html
終戦の日を前に「平和美術展」
08月11日 14時28分
8月15日の「終戦の日」を前に、絵画や写真といった美術作品を通して平和への思いを伝えようという展示会が、鹿児島市役所で開かれています。
この「平和美術展」は、絵画や写真の愛好家で作る団体が終戦の日の前に毎年、開いていて、鹿児島市役所東別館には、およそ20点の作品が展示されています。
霧島市の白坂伸子さんが墨汁を使ってモノクロの作品に仕上げた「アンジェラスの鐘」は、原爆で破壊された長崎市の浦上天主堂から見つかった鐘がモチーフで、戦後、再建された天主堂や今も鳴り響く鐘を平和の象徴として描いています。
また、霧島市の山内英右さんの「特攻の雲」は、特攻隊員が空の上から家族やふるさとに思いをはせながら戦地に赴いたのではないかと想像しながら描いた作品です。
このほか、何気ない日常の風景などを描いた作品なども並べられ、平和に暮らせることの大切さを訴えています。
主催した団体の代表を務める鈴山市郎さんは「戦後75年を迎え、ことしも、それぞれが平和への思いを込めて制作しました。多くの人たちに見てもらい、平和の尊さや命の大切さを感じてもらいたいです」と話していました。
この展示会は、今月14日まで開かれています。
https://www.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20200811/5050011459.html
核兵器廃絶願い 平和祈念式
08月11日 13時46分
広島や長崎で原爆が投下されてから75年がたち、山口市では、11日、市民グループが核兵器廃絶や平和を願う式典を開きました。
この「平和祈念式」は、核兵器の廃絶や世界平和を訴える活動を続けている市民グループの「山口折鶴の会」が、毎年、開いています。
32回目となることしの式典は、新型コロナウイルスの感染防止などを考慮して初めて室内で行われ、山口市の男女共同参画センターには、親子連れなどおよそ20人が参加しました。
はじめに、広島や長崎に投下された原爆で犠牲になった人たちに黙とうをささげました。
このあと参加者の代表が、「緑美しい山口の街を、核兵器によって破滅させてはならない。子どもや孫たちの未来を閉ざすようなことがあってはならない」と平和の誓いを読み上げました。
そして参加者は、核兵器の廃絶や戦争のない世界を願う歌を合唱したあと、山口市の担当者に会員たちが折った千羽鶴を手渡しました。
千羽鶴は、市の施設などに供えられるということです。
「山口折鶴の会」の杉田信夫事務局長は、「原爆が落とされたら大変な状況になるということを子どもの世代まで伝え、核兵器のない世の中になることを期待している」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/yamaguchi/20200811/4060006705.html
米国立公文書館の資料展示 鹿屋
08月11日 07時47分
戦争中、アメリカ軍の上陸地の一つとなった鹿屋市で、アメリカの国立公文書館に保存されている、当時の写真と映像を紹介するパネル展が開かれています。
鹿屋市役所1階にある市民ホールでは、アメリカ軍が太平洋戦争の戦中・戦後に撮影したと見られる写真と映像、合わせて25点が展示されています。
昭和20年3月19日に上空から撮影された写真には、アメリカ軍の航空機3機と現在の海上自衛隊鹿屋航空基地がある、当時の「鹿屋基地」の格納庫があったとされる場所から煙が上がっている様子が写っています。
また、昭和20年9月に撮影された映像には、「鹿屋基地」で、上陸したアメリカ軍と見られる人たちが建物を見上げている様子が映っています。
鹿屋市ふるさとPR課の松矢功一郎課長は「アメリカ側から見た戦争に着目して展示しているので、ぜひ見てほしいです」と話しています。
このパネル展は、今月19日まで開かれています。
https://www.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20200811/5050011456.html
戦争テーマの絵本原画展 田川
08月10日 19時21分
田川市の商店街の空き店舗を使ったギャラリーで、戦争をテーマにした絵本の原画の展覧会が開かれています。
この展覧会は田川市の美術館が子どもたちに戦争のことを知ってもらおうと開きました。
市内の中心部にある後藤寺商店街の空き店舗を利用したギャラリー「街なか・図書館・美術館」には、作家、野坂昭如さん原作の「戦争童話集」を北九州市のイラストレーター、黒田征太郎さんが絵本にした作品の原画など8点が展示されています。
このうち童話の「干からびた象と象使いの話」の原画は、動物園から逃げ出したやせ細った象が途中で死んでしまった飼育係の男性を背中に乗せて歩いている場面を描いています。
また、童話の「凧になったお母さん」をイメージした作品は横が3メートル、高さが1メートルあまりの大型の作品で、空襲の炎が迫る中、母親が子どもをしっかりと抱きしめている場面を表現しています。
田川市美術館の船津ほなみ学芸員は「子どもたちにもわかりやすい内容になっていますのでぜひ見てもらいたい」と話していました。
この展覧会は田川市、後藤寺商店街の「街なか・図書館・美術館」で9月19日まで開かれています。
https://www3.nhk.or.jp/fukuoka-news/20200810/5010008991.html
戦争の記憶伝える企画展 諫早
08月10日 11時15分
太平洋戦争当時の様子や戦争関連の資料を紹介する企画展が、長崎県諫早市の美術館で開かれています。
これは「諫早市美術・歴史館」が戦争の記憶を次世代に伝えようと、開いているものです。
諫早市美術・歴史館には戦時中の写真や戦争関連の資料などおよそ150点が展示されています。
この中には戦時中、諫早市にあった日本海軍のパイロットの養成施設「長崎地方航空機乗員養成所」の写真があり、数台の練習機に人が乗り込む様子が写っています。
「諫早市美術・歴史館」によりますと、ここで訓練をしたおよそ100人が特攻隊員として命を落としたということです。
また、昭和19年に諫早市上空でゼロ戦がアメリカのB29に体当たりしたことを紹介する資料もあります。
この戦闘で両機の乗員が亡くなっていますが、亡くなった日米双方の乗員を慰霊するため、戦後、諫早市内に建てられた石碑についても紹介されています。
このほか、長崎に原爆が投下された時の諫早市の様子を描いた絵もあり、訪れた人たちが静かに見入っていました。
「諫早市美術・歴史館」の大島大輔専門員は「長崎市に比べると空襲や被害が少なかったが、諫早市内の戦跡を見て改めて身近な平和を考えてほしいです」と話していました。
企画展は今月17日まで「諫早市美術・歴史館」で開かれています。
https://www.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20200810/5030008768.html
志位氏「核禁条約 早期批准を」
08月09日 18時25分
共産党の志位和夫委員長は、日本は唯一の戦争被爆国であり、核廃絶に向けた取り組みの先頭に立つべきだとして、核兵器の開発や保有などを禁止する「核兵器禁止条約」に早期に、署名・批准するよう政府に求める考えを強調しました。
共産党の志位委員長は10日、長崎市で開かれた平和祈念式典に出席したあと長崎市の長崎市民会館で記者会見しました。
この中で、志位和夫氏は、政府の核廃絶に向けた取り組みについて「『立場の異なる国々の橋渡しに努め、国際社会をリードする』と言うが、欺まんそのものだ。核兵器保有大国のお先棒を担いでいるのが実態にほかならない」と批判しました。
その上で「日本は唯一の戦争被爆国として先頭に立つべきで、政府に対し、早期に『核兵器禁止条約』に署名・批准するよう強く求める」と述べました。
また、志位氏は、広島で、いわゆる「黒い雨」を浴びた住民が健康被害を訴えた裁判で、広島地方裁判所が全員を被爆者と認めた判決を評価した上で、政府に対し、控訴を断念するよう求めました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20200809/5030008764.html
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-08-10/2020081001_03_1.html
首相 核廃絶に向け引き続き努力
08月09日 18時19分
「長崎原爆の日」の10日、安倍総理大臣は長崎市で被爆者団体の代表と面会し、核兵器の廃絶に向けて引き続き努力を重ねるとともに、被爆者への支援や、原爆の体験を伝える取り組みを進めていく考えを強調しました。
安倍総理大臣は平和祈念式典に出席したあと、長崎市内のホテルで加藤厚生労働大臣とともに、被爆者団体の代表らと面会しました。
そして団体の代表は「核兵器禁止条約」の署名・批准を含め、日本政府が主導して、核兵器の廃絶に向けた取り組みを進めることや、広島で、いわゆる「黒い雨」を浴びた住民が健康被害を訴えた裁判で広島地方裁判所が全員を被爆者と認めた判決について、広島県や広島市の要望を踏まえて対応することなどを求めました。
これに対し安倍総理大臣は「核廃絶に向けて努力を重ねるとともに、被爆者への援護施策、原子爆弾の悲惨な経験を世代と国境を越えて伝えていくための取り組みを誠心誠意進めていく」と述べました。
また加藤厚生労働大臣は判決への対応について、現在、広島県や広島市と協議しており、控訴期限の12日までに結論を出す考えを示しました。
このあとの記者会見で、安倍総理大臣は、日本をめぐる安全保障環境は厳しさを増しており、防衛力に加え、日米同盟による抑止力も強化していく必要があると指摘した上で、「『核兵器禁止条約』は、わが国の考え方とアプローチを異にしていると言わざるを得ない。政府としては、立場の異なる国々の橋渡しに努め、核軍縮の進展に向けた国際的な議論に積極的に貢献していきたい」と述べました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20200809/5030008763.html
首相 核禁条約には否定的考え
08月09日 17時09分
安倍総理大臣は、長崎市で行われた平和祈念式典に出席したあとの記者会見で、核兵器禁止条約について、署名・批准には否定的な考えを改めて示す一方、核軍縮の進展に向けた国際的な議論に積極的に貢献したいという考えを強調しました。
この中で安倍総理大臣は、核兵器禁止条約について「核兵器国を巻き込んで核軍縮を進めていくことが不可欠だが、安全保障の現実を踏まえることなく作成されたため、1か国として参加していない。また現状では、核の脅威にさらされている多くの非核兵器国からも支持を得られていない」と指摘しました。
また安倍総理大臣は、核兵器をめぐる国際情勢について「わが国周辺で、核兵器の開発や近代化が進んでいることも残念ながら事実だ。近年、国際社会では核軍縮をめぐって、国家間の立場と隔たりが拡大している」と述べました。
そのうえで「現実の安全保障上の脅威に的確に対処しながら、一歩一歩、信頼醸成を積み重ね、現実的に核軍縮を前進させる道筋を追求していくことが適切だ。条約は、こうしたわが国の考え方とアプローチを異にしていると言わざるを得ない」と述べ、署名・批准には否定的な考えを改めて示しました。
一方、安倍総理大臣は、「『賢人会議』における議論の成果もしっかりと活用しながら、立場の異なる国々の橋渡しに努め、相互の関与や対話、共通基盤の形成に向けた努力を粘り強く促すなど、核軍縮の進展に向けた国際的な議論に積極的に貢献していきたい」と述べました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20200809/5030008760.html
灯火台に折り鶴
08月09日 16時39分
長崎市の爆心地近くにある灯火台では、平和を願ってギリシャでオリンピックの聖火と同じように採られた火がともされ、訪れた人たちは色とりどりの紙で折り鶴を折って台を飾りました。
長崎市の平和公園にある高さ5メートルの灯火台では、ギリシャ政府がオリンピックの聖火と同じように採った火がともされていて、「長崎を最後の被爆地とする誓いの火」と名づけられています。
9日は、長崎市の現代アートの活動団体が、訪れた人たちに折り鶴を折ってほしいと呼びかけ、灯火台に飾ってもらう取り組みが行われました。
折り鶴を折った人たちは、思い思いのメッセージを書いてから灯火台に飾りつけていました。
長崎市の68歳の女性は「日本の伝統ある素朴な折り鶴を使ったアートで、平和発信に携われるのはいいなと思います」と話していました。
山梨で英語教師をしているアメリカ出身の24歳の男性は「折り鶴を折るのは初めてで、難しかったです。長崎の悲劇を忘れず核兵器の恐ろしさを思い起こして、核兵器を使わずに、みんなの力を合わせて平和の実現を目指そうという願いを込めて『平和』と書きました」と話していました。
神奈川県から家族で長崎を訪れていた小学2年生の女の子は「『平和はだいじ』と書きました。平和になればみんなが楽しくなるからです」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20200809/5030008756.html
長崎原爆の日
08月09日 16時38分
長崎に原爆が投下されて、9日で75年です。
新型コロナウイルスの影響で平和祈念式典の規模が縮小されるなか、長崎市の田上市長は、新型コロナウイルスの脅威と同じように核兵器の脅威も世界共通の課題だとして、すべての人々が当事者として問題解決に向けて参加するよう呼びかけました。
長崎市の平和公園で行われた平和祈念式典には、被爆者や安倍総理大臣のほか、68の国の代表などが参列しました。
ことしの式典は、新型コロナウイルスの感染を防ぐため、一般の参列者席が設けられず、参列者は例年の1割ほどの500人程度となりました。
式典では、この1年に亡くなった被爆者などあわせて3406人の名前が書き加えられた18万5982人の原爆死没者名簿が納められ、原爆がさく裂した午前11時2分にあわせて黙とうをささげました。
長崎市の田上市長は、平和宣言のなかで「新型コロナウイルス感染症が、自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまう」と述べ、新型コロナウイルスの脅威と同じように核兵器の脅威も世界共通の課題だとして、すべての人々が当事者として問題解決に向けて参加するよう呼びかけました。
そのうえで、「核兵器廃絶は、人類がみずからに課した約束」として、被爆者の長年の悲願である核兵器禁止条約を、日本政府が1日も早く署名・批准するよう求めました。
これに対し、安倍総理大臣は、広島原爆の日に続いて今回も核兵器禁止条約には触れず、「唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向けた国際社会の努力を1歩1歩、着実に前に進めていくことは、わが国の変わらぬ使命だ」と述べました。
また、被爆者を代表してカトリック信者の深堀繁美さん(89)が、「平和への誓い」を述べ、爆心地からおよそ500メートルにあった浦上天主堂は原爆で大きく崩れ、きょうだい4人も亡くした体験を語りました。
その上で、去年11月にローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が、長崎で「核兵器はなくさなければならない」と発信したことを挙げ、「被爆者が1人また1人といなくなる中にあって、教皇のメッセージを糧に『長崎を最後の被爆地に』との思いを訴え続けていく」と決意を述べました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20200809/5030008733.html
長崎原爆の日 山口市で追悼式
08月09日 15時29分
長崎に原爆が投下されて75年となる9日、山口市で犠牲者の追悼式が開かれ、市内に住む被爆者などが平和への祈りをささげました。
追悼式は山口市の被爆者支援団体「ゆだ苑」が毎年、開いていて、9日は、長崎や広島で被爆した市民や犠牲者の遺族などおよそ30人が参列しました。
14歳の時に長崎で被爆し、いとこや友人を亡くした山口市の市川倭文枝さん(89)が代表であいさつし、「原爆でたくさんの友人が亡くなり、悲しみを抱えたまま75年生きてきました。世界から戦争がなくなることを祈っています」と述べました。
そして、原爆がさく裂した午前11時2分に全員で黙とうをささげました。
このあと参列者は近くにある原爆犠牲者の慰霊碑に移動し、一人ひとり、花をたむけて平和への思いを新たにしていました。
支援団体の岩本晋理事長は「核兵器のない世界を実現するために、被爆した経験を持つ人が後世に語り継いでいく必要がある」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/yamaguchi/20200809/4060006697.html
被爆者団体が首相に要望書
08月09日 15時24分
長崎の被爆者団体の代表は9日午後、安倍総理大臣と面会し、核兵器止条約の署名や批准「被爆体験者」の救済などを求める要望書を手渡しました。
長崎県の主な5つの被爆者団体の代表は、平和祈念式典の後、長崎市のホテルで安倍総理大臣と面会しました。
この中で被爆者5団体は、核兵器止条約の署名や批准、国が被爆者と認める地域の外にいた「被爆体験者」の救済に加え、安倍総理大臣をはじめ各国の首脳に対し、原爆資料館を見学するよう求める要望書を手渡しました。
これに対し加藤厚生労働大臣は「被爆体験者」について、「現在の『被爆地域』より広い範囲で、健康影響の観点から問題となる量の放射線被ばくがあったという科学的な知見は今のところ得られていない」と述べ、地域の指定に問題はないという認識を示しました。
また安倍総理大臣は、核兵器禁止条約について、「アプローチは異なるが、条約が目指す核兵器廃絶というゴールは、わが国も共有している。一方、ゴールの実現に向けた道筋を追求していく上では、立場の異なる国々の橋渡しに努めつつ、相互の関与・対話を通じた信頼の構築、共通基盤の形成に向けた行動を、各国に粘り強く促していく必要がある」と指摘しました。
そのうえで安倍総理大臣は「核兵器のない世界の実現、高齢化する被爆者が安心できる援護施策の推進を目指すという基本姿勢は一致している。今後とも、核廃絶に向けて努力を重ね、被爆者の援護施策や、原爆の悲惨な経験を世代と国境を超えて伝えていくための取り組みを誠心誠意進めていく」と述べました。
要望のあと、長崎県被爆者手帳友の会の朝長万左男会長は「核兵器廃絶に対する政府の姿勢はこれまでと変わらなかった。安倍総理大臣は、核保有国と核兵器を持たない国との橋渡しをすると言うが、具体的にどういう行動を取るのかが出てこなかった。本当は、『橋渡しの意思も意欲も今のところない』としか感じられなかった」と述べました。
また、長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長は、安倍総理大臣の長崎原爆資料館への訪問が実現しないことについて「資料館で、原爆の被害の実態を見てから平和祈念式典に参加するべきだ。資料館を訪れないのは、常識を逸脱している。
形だけ1年に1回、短時間、被爆者団体と会うだけでは全く意味がない」と述べました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20200809/5030008753.html
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