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2020年08月16日08:03

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ニュース(原爆関連その4)(08月09日11時台(長崎)〜08月09日13時台(北九州))

北九州市でも 平和を祈る式典
08月09日 13時58分

長崎に原爆が投下されて、9日で75年となりました。
当初、アメリカ軍が原爆投下の目標としていた北九州市でも、平和を祈る式典が開かれました。
この式典は「北九州市原爆被害者の会」が毎年、長崎に原爆が投下された8月9日に開いているもので、被爆者や市民などおよそ50人が小倉北区の勝山公園にある平和祈念碑の前に集まりました。
式典では「北九州市原爆被害者の会」の吉田龍也会長が「戦争の悲惨さや原爆の恐ろしさを後生に伝えていくことが私たちの大きな責務です。今後も恒久平和の実現に向けて努力を重ねていきたいです」と述べました。
そして、原爆が投下された午前11時2分にあわせて、参加した人たちが黙とうをささげました。
北九州市によりますと、原爆の投下は当時、兵器工場があった小倉が第1の目標とされていましたが、視界不良のため、2番目の目標だった長崎市に変更されたということです。
式典の参加者で、5歳の時に長崎市で被爆した山本宏さん(80歳)は「戦争は絶対にしてはいけません。私も高齢で、残された時間はあまりないですが、若い人たちに原爆の悲惨さを継承していきたい」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/kitakyushu/20200809/5020006701.html

平和祈念式典(屋内会場)
08月09日 13時53分

長崎市のホールに設けられた平和祈念式典の屋内会場では、訪れた被爆者や遺族などが、大型スクリーンに映し出された式典の様子を見守りながら、平和への願いを込めて祈りをささげました。
長崎市は、高齢の被爆者や遺族などの体調にも配慮し、冷房設備がある屋内会場を、式典が開催される平和公園から1キロほど離れた長崎市茂里町の施設「ブリックホール」に設けています。
ことしはおよそ100人が集まり、屋内に設置された大型スクリーンに映し出された式典の様子を見守りました。
そして原爆がさく裂した午前11時2分には、目を閉じて核兵器の廃絶や平和への願いを込めて祈りをささげていました。
父親が被爆し、母親と自身が入市被爆したという東京都の77歳の女性は「毎年、平和公園で参列していますが、ことしは新型コロナウイルスの感染防止のため参列できないので、こちらの会場に初めて来ました。核兵器については、保有国が開発を競っている状況だと思うので、被爆者が命ある限り核廃絶を訴えていかなけれなりません」と話していました。
被爆者の祖父がことし亡くなったという福岡県からの子連れの被爆3世の男性は「祖父が亡くなったのをきっかけに参加しようと思いました。子どもには式典を通じて、当時起こったことや、これからの平和について考えてほしいです。そして、祖父が被爆したということを伝えていきたいです」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20200809/5030008752.html

平和祈念式典 参列者は
08月09日 13時49分

平和祈念式典で原爆死没者名簿を納めた被爆者の川副忠子さん(76)は、式典のあと「75年経ち、被爆体験を語れる人が少なくなり、原爆がなかったことになってしまう気がしてとても恐い。私も被爆した時は1歳で、記憶はほとんどないが、生き残っている被爆者が若い人たちに体験を引き継いでいくことが平和を築くために何より大切だと思う」と話していました。
平和祈念式典には、爆心地から1.1キロの地点で被爆した長崎市に住む90歳の女性も参列しました。
被爆者の女性は「原爆が落ちて目を開けた時には地獄でした。核は絶対ダメだと思うが、個人では阻止できないので多くの人と考えを共有していかないといけません。微力ながら平和について次の世代に話をしていきたい」と話していました。
平和祈念式典に参列したペーター・ファン・デル・フリートオランダ駐日大使は「とても厳かな式典で、平和の大切さを改めて考えさせられました。被爆者の方々の高齢化が進む中、若い世代が彼らのメッセージを引継ぎ、世界中の人たちや、政治家に発信し続けていくことが平和につながると思います」と話していました。
また、国際NGO「ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーン」の川崎哲国際運営委員は、「この場所で多くの方々が理不尽な形で命を奪われたことを改めて思い返すとともに、核兵器がこの世の中にまだ存在するという不条理も感じました。若い世代には、オンラインを活用して創意工夫で世界とつながって、核廃絶に向けた活動を進めてもらいたい」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20200809/5030008749.html

被爆の小学校で平和集会
08月09日 13時33分

長崎市の爆心地に近い長崎市立城山小学校では平和を願う集会が開かれ、こどもたちが犠牲者に祈りをささげるとともに、平和への思いを新たにしていました。
長崎市の爆心地から500メートルの場所にある城山小学校の前身、旧城山国民学校では、原爆で児童や教師、1400人以上が犠牲となり、敷地内に残る旧校舎は原爆の被害を伝える「被爆遺構」のひとつとして国の史跡に指定されています。
小学校では毎月、平和について考える集会が行われていて、9日も体育館で、6年生の児童90人が、平和を願って小学校で歌い継がれてきた「子らのみ魂よ」を合唱したあと、グラウンドの慰霊碑に花を手向けました。
この後、クラスごとに考えた「平和への誓い」の発表が行われました。
ことしは感染症対策のため、各クラスをオンラインでつないだ状態で行われ「つるに平和の思いをのせて世界中へはばたかせよう」などといったメッセージをテレビ画面を通して発表しあっていました。
そして原爆がさく裂した午前11時2分になると、各クラスで黙とうし、児童たちは平和への思いを新たにしていました。
5年生の田浦優衣さんは「原爆でたくさんの人が亡くなっているので、お祈りをしっかりできてよかったです」と話していました。
同じ5年生の片山瑛太さんは「原爆の日はとても大切な日なので、もっと勉強して多くの人に伝えていきたいです」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20200809/5030008747.html

長崎 各地で被爆者の祈り
08月09日 12時28分

長崎に原爆が投下されてから75年の9日、新型コロナウイルスの感染リスクを避けるため平和祈念式典への参加をとりやめ、自宅で祈りをささげる被爆者の姿も見られました。
長崎県大村市に住む松尾勇さん(88)は、13歳の時に爆心地からおよそ1.1キロメートルの距離で被爆し、父親の松尾兼松さん(当時77)と母親の松尾マサさん(当時54)を亡くしました。
松尾さんはこれまで、毎年8月9日には子や孫たちとそろって平和祈念式典に参加してきました。
しかし、ことしは新型コロナウイルスへの感染リスクが高まっていることを考慮し、県外に住む孫たちは帰省をとりやめ、松尾さんも式典への出席を控え、自宅で祈りをささげました。
9日は、自宅のある大村市でテレビ中継の様子を見つめ、原爆がさく裂した午前11時2分には手を合わせて祈りをささげていました。
松尾さんは「75年生かしてもらったことに感謝しています。ことしは新型コロナウイルスの影響で式典に参加できず残念ですが、戦争は絶対してはいけないと強く感じています」と話していました。
長崎市の平和公園の中にある爆心地では、原爆がさく裂した午前11時2分にあわせて訪れた人たちが黙とうし、犠牲になった人たちに祈りをささげました。
このうち、自身も4歳の時に、妹と4キロ地点で被爆し、兄とおじを失った市内の79歳の女性は「原爆で兄とおじが亡くなったので毎年来ています。この暑さの中で熱かっただろう、痛かっただろう、かわいそうにと思います。戦争をしない、平和な世の中になることを願っています」と話していました。
江戸時代に建てられた石橋で、長崎を代表する観光名所として知られる眼鏡橋でも、原爆がさく裂した午前11時2分にあわせて被爆者も黙とうをささげ、犠牲者を追悼しました。
14歳のときに眼鏡橋の近くで被爆した長崎市の89歳の男性は「すぐそこで弟と一緒に被爆したことを思い出します。核兵器のない世界になってほしいです」と話していました。
また、1歳のときに市内で被爆した長崎市の76歳の男性は「被爆してから14年目に被爆した母親が病気で亡くなったことを思い出していました。そもそも原爆は戦争がなければ落とされなかったのですから、なによりも戦争がないことが一番です」と話していました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20200809/5030008745.html

首相「被爆者に寄り添い支援」
08月09日 12時09分

安倍総理大臣は、長崎市で開かれた平和祈念式典であいさつし、広島と長崎に原爆が投下されてからことしで75年となる中、高齢化が進む被爆者に寄り添いながら援護施策を進めていく考えを強調しました。
この中で、安倍総理大臣は「新型コロナウイルス感染症が世界を覆ったことし、世界中の人々が試練に打ち勝つため、奮闘を続けている。75年前、一木一草もない焦土と化したこの街が美しく復興を遂げたことに、改めて、乗り越えられない試練はないこと、そして、平和の尊さを強く感じる次第だ」と述べました。
その上で、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことで、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の取り組みを主導していく決意を改めて示しました。
そして、NPT=核拡散防止条約の発効からことしで50年を迎えたことに触れ、核軍縮に向けた成果が得られるよう各国に働きかけていく考えを示した上で、「『核兵器のない世界』の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍や非人道性を語り伝え、承継する取り組みだ。わが国は被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねていく」と述べました。
さらに、「被爆者の方々に対しては、保健、医療、福祉の支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定は、できるかぎり迅速な審査を行う」と述べ、高齢化が進む被爆者に寄り添いながら援護施策を進めていく考えを強調しました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20200809/5030008741.html

田上市長「核禁条約早期批准を」
08月09日 12時06分

長崎市の田上市長は、9日行われた被爆75年の平和祈念式典の平和宣言で、日本政府などに1日も早い核兵器禁止条約の署名と批准の実現などを求めました。
この中で、長崎市の田上市長は、原爆で妻子を亡くした作曲家・木野普見雄の手記を引用した上で、被爆者が2度と同じ体験を誰にもさせてはいけないと訴えているものの、核兵器の恐ろしさが十分に世界に伝わっていないと訴えました。
そして「新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます」と述べました。
そして、若い世代に対して新型コロナウイルスや地球温暖化、それに、核兵器の問題に共通するのは地球に住む人々が当事者だということで、核兵器のない世界の実現にともに歩んでいくことを呼びかけました。
また、世界各国の指導者には実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めるとともに、日本政府や国会議員には、被爆国として1日も早い核兵器禁止条約の署名と批准の実現や北東アジア非核兵器地帯の構築を検討するよう求めました。
さらに、障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実や国が定めた被爆者と認める地域の外にいた「被爆体験者」の救済を求めました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20200809/5030008743.html

国連事務総長あいさつ(全文)
08月09日 12時00分

本日、75周年という重要な節目の年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典におきまして、ご挨拶ができることを光栄に思い感謝いたします。
この街は、「再生」、「復興」、そして「和解」の真の実例です。
長崎市民の皆様は、被爆でのみ定義されるのではなく、あのような大惨事が決してほかの街や人々に降りかからぬよう一身を捧げて来られました。
国際社会は、核兵器のない世界を達成するための皆様の献身に常に感謝しています。
私は、何十年にわたり健康、経済、社会的な苦難を耐え抜かれた、長崎の被爆者の方々に、心からの敬意をささげます。
原子爆弾の苦難に囚われるのではなく、その逆境を転じ、核兵器の危険に警鐘をならし、人間の精神の勝利を世に示して来られました。
長崎の例は、世界にとって完全な核兵器廃絶を実現するための日々の動機となるべきです。
しかし悲しいことに、この街が原子爆弾によって焦土と化した日から75年経った今、核の脅威は再び高まりつつあります。
故意に、あるいは偶発的に、もしくは誤算によって核兵器が利用されるリスクは高くなっています。
核兵器をさらに探知されにくく、より正確で、より速く、一段と危険なものにするために近代化が図られています。
そして、核兵器保有国間の関係は、不信感、透明性の欠如、そして対話の不足により危うい状態にあります。
冷戦終結後は見られなかったような好戦的なレトリックを使った、核による威嚇行為が行われています。
そして、核兵器の危険性を低減し、その廃絶をもたらすための条約や協定の網の目がほぐれ、今までの核軍縮の成果が失われる危機に瀕しています。
私たちは、この恐ろしい傾向を覆さなければなりません。
国際社会は、核戦争に勝者はなく、また決して行われてはならないという認識に立ち戻らなければなりません。
徐々に進みつつある既存の核軍縮体制の崩壊に早急に歯止めをかける必要があります。
核兵器を保有する全ての国には、率先してこれに取り組む義務があります。
私たちは、核軍縮のための共同の努力を再開すべく、第10回核兵器不拡散条約運用検討会議を活用しなければなりません。
私たちは、核実験に反対する規範を擁護しなければなりません。
そして、国際的な核軍縮体制を保持し、強化しなければなりません。
私は、新たにその重要な一部となる核兵器禁止条約の発効を心待ちにしています。
75年という長い歳月が過ぎたにもかかわらず、いまだに核の恐ろしさと被爆者の方々からの重要な教訓は学ばれていません。
私はこの機会をお借りして、国際連合が、勇敢な被爆者1人1人のメッセージを受け継いでいくことを誓います。
そうすることで、冷徹な核戦略の論理がもたらし得る人々の悲劇を世界が知ることでしょう。
未来の世代が核の大惨事の陰影から脱け出すことに手を貸すためにも、この歴史を、明日の平和構築者である今日の若者へ継承していくことは私たちの責務でなければなりません。
この日を機に改めて申し上げます。
2度と広島の惨事を繰り返さないように。
2度と長崎の惨事を繰り返さないようにと。
https://www.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20200809/5030008742.html

長崎 平和への誓い(全文)
08月09日 11時34分

平和祈念式典で被爆者を代表して「平和への誓い」を述べたのは、カトリック信者で去年、長崎県を訪れたローマ教皇に爆心地で献花のための花輪を手渡した、深堀繁美さん(89)です。
以下、深堀さんの「平和への誓い」の全文です。
原爆が投下された1945年、旧制中学3年生だった私は、神父になるため親元を離れ、大浦天主堂の隣にあった羅典神学校で生活をしていました。
中学校の授業はなく、勤労学生として飽の浦町の三菱長崎造船所で働く毎日でした。
8月9日、仲間とともに工場で作業をしていた時、突然強い光が見え、大きな音が聞こえました。
近くに爆弾が落ちたと思い、とっさに床に伏せましたが、天井から割れた瓦が落ちてきたので、工場内にあるトンネルに逃げ込みました。
夕方になり、トンネルを出て神学校に帰りました。
夜遅くには浦上で働いていた5人の先輩が帰ってきましたが、1日もたたずに全員が亡くなりました。
翌10日の昼には、浦上の実家へ戻ることを許されたので、歩いて帰ることにしました。
途中には、車輪だけとなった電車や白骨が転がっており、川には真っ黒になった人が折り重なっていました。
生きているのか死んでいるのかもわかりません。
時々「水・・・、水・・・」という声が聞こえますが、助けることはできません。
浦上天主堂は大きく崩れ、その裏手にあった実家も爆風で壊れていました。
父は防空壕の中の兵器工場で働いていたので助かりましたが、姉2人と弟と妹は亡くなっていました。
しかし、たくさんの死体を見てきたためか、不思議と涙も出ません。
今思えば、普通の精神状態ではなかったのだと思います。
まちには亡くなった人を焼くにおいが、しばらく立ちこめていました。
何のけがもない人が次々に亡くなっていく現実を目の当たりにすると、次は自分が死んでしまうのではないかという恐怖感が、なかなか振り払えなかったことを覚えています。
このような思いは、もう2度とどこの誰にもしてほしくないと思います。
昨年11月、「平和の使者」として、フランシスコ教皇が長崎を訪問されました。
最初の訪問地、爆心地公園に足を運んだ教皇とともに原爆犠牲者に献花した、あの時の場面がよみがえります。
そして、39年前に広島でヨハネ・パウロ2世教皇の「戦争は人間のしわざです」との印象深い言葉を、より具体化し、核兵器廃絶に踏み込んだフランシスコ教皇の言葉に、どんなにか勇気づけられたことでしょう。
さらに、「長崎は核攻撃が人道上も環境上も壊滅的な結末をもたらすことの証人である町」とし、まさに私たち長崎の被爆者の使命の大きさを感じる言葉をいただきました。
また、「平和な世界を実現するには、すべての人の参加が必要」との教皇の呼びかけに呼応し、1人でも多くの皆さんがつながってくれることを願ってやみません。
特に若い人たちには、この平和のバトンをしっかりと受け取り、走り続けていただくことをお願いしたいと思います。
私は89歳を過ぎました。
被爆者には、もう限られた時間しかありません。
ことし、被爆から75年が経過し、被爆者が1人また1人といなくなる中にあって、私は、「核兵器はなくさなければならない」との教皇のメッセージを糧に、「長崎を最後の被爆地に」との思いを訴え続けていくことを決意し、「平和への誓い」といたします。
https://www.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20200809/5030008738.html

長崎平和宣言(全文)
08月09日 11時26分

私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど75年。
4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。
どうして私たち人間は、核兵器を未だになくすことができないでいるのでしょうか。
人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。
75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこう綴っています。
私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がりの下に繰り展げられた惨劇、ベロベロに焼けただれた火達磨の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫の中に転がっていた数知れぬ屍体、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女(ひと)、そうした様々な幻影は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってくる。
被爆者は、この地獄のような体験を、2度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。
しかし、核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わってはいません。
新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。
ことしは、核不拡散条約の発効から50年の節目にあたります。
この条約は「核保有国をこれ以上増やさないこと」「核軍縮に誠実に努力すること」を約束した、人類にとってとても大切な取り決めです。
しかしここ数年、中距離核戦力全廃条約を破棄してしまうなど、核保有国の間に核軍縮のための約束を反故にする動きが強まっています。
それだけでなく、新しい高性能の核兵器や、使いやすい小型核兵器の開発と配備も進められています。
その結果、核兵器が使用される脅威が現実のものとなっているのです。
“残り100秒”。
地球滅亡までの時間を示す「終末時計」が今年、これまでで最短の時間を指していることが、こうした危機を象徴しています。
3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は「核兵器をなくすべきだ」という人類の意思を明確にした条約です。
核保有国や核の傘の下にいる国々の中には、この条約をつくるのはまだ早すぎるという声があります。
そうではありません。
核軍縮があまりにも遅すぎるのです。
被爆から75年、国連創設から75年という節目を迎えた今こそ、核兵器廃絶は、人類が自らに課した約束“国連総会決議第一号”であることを、私たちは思い出すべきです。
昨年、長崎を訪問されたローマ教皇は、2つの“鍵”となる言葉を述べられました。
1つは「核兵器から解放された平和な世界を実現するためには、すべての人の参加が必要です」という言葉。
もう1つは「今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません」という言葉です。
世界の皆さんに呼びかけます。
平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。
ことし、新型コロナウイルスに挑み続ける医療関係者に、多くの人が拍手を送りました。
被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に、同じように、心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。
この拍手を送るという、わずか10秒ほどの行為によっても平和の輪は広がります。
きょう、大テントの中に掲げられている高校生たちの書にも、平和への願いが表現されています。
折り鶴を折るという小さな行為で、平和への思いを伝えることもできます。
確信を持って、たゆむことなく、「平和の文化」を市民社会に根づかせていきましょう。
若い世代の皆さん。
新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです。
あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。
核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き、そして一緒に歩んでいきましょう。
世界各国の指導者に訴えます。
「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。
今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。
来年開かれる予定のNPT再検討会議で、核超大国である米ロの核兵器削減など、実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器の怖さを体験した国として、1日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。
「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。
そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。
東日本大震災から9年が経過しました。
長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。
新型コロナウイルスのために、心ならずも今日この式典に参列できなかった皆様とともに、原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、長崎は、広島、沖縄、そして戦争で多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。
https://www.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20200809/5030008737.html
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