(6.20 今日の一言メッセージ)
「いのちの水を飲みましょう」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/21350 (写真入り記事)
イエス様は、「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい」(ヨハネの黙示録22章17節)と言われます。
いのちの水をもらうために、代価は必要ありません。
また、受けるために資質や条件はありません。
ただ求めるなら受けることができます。
まだ受ける準備ができてなくても、ありのままの姿でイエス様のもとに行けばいただくことができます。
弱く、乏しく、不甲斐なくとも、イエス様はご自分のすべてを与えてくださるのです。
昔の話ですが、小学校の校庭に水飲み場がありました。お金を持っていなくても、誰でも蛇口をひねって水を飲むことができました。
愛媛県に行くと、蛇口をひねるとみかんのポンジュースか出てくるところがあるようです。「ただでご自由にお飲み下さい」と書かれていても、普通ならば遠慮するものではないかと思います。
ポンジュースを善意を持った人が犠牲を払って提供してくれているからです。
いのちの水はどれだけ高価でしょうか。
いのちの水はあまりにも高価なので、誰もその代価を払うことはできません。だから、イエス様がいのちで代価をすでに支払って下さっているのです。
聖歌434番の「来れたれも」という賛美歌の一節に、「来れ何も持たでイエスの 主の死によりて 代価すべて払われたり すでにすでに」という歌詞があります。
今日、大胆にイエス様のもとに行って、いのちの水を飲みましょう。
天のお父さんは、イエス様を与えて下さったのです。
「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」(ローマ人への手紙8章32節)
聖書は、御子を下さった天の父は、御子と共にすべてのものを与えて下さるというのです。
いのちの水の中に、すべての必要が入っているのです。
私たちは、「病気のいやしを下さい」「経済的な必要を満たして下さい」などと、「〜して下さい」と祈りますが、いのちの水を与えられる方は、すべてを与えて下さるのです。
今日、イエス様のもとに行って、無代価で、いのちの水ををいただきに行きましょう。
素敵な1日でありますように。
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