今朝は、高松築港発8時45分の一宮行きで出発。
昨日の晩飯が遅かった上に、昼飯もボリュームたっぷりだったせいで、食欲が無かった。
なので、お茶だけ飲んで高松築港へと向かう。
一宮行きは、京急カラーの1000系だった。
ことでんの車庫がある仏生山で下車。
ホームから見える電留線には、23号が停車している。
ことでんのレトロ電車は、古い順番から20形23号電車、 大正14年(1925年)製造。
1000形120号、大正15年(1926年)製造。
3000形300号、大正15年(1926年)製造。
5000形500号、昭和3年(1928年)製造。
そして、23号が昭和36年(1961年)に近鉄から譲渡された車輛で、他は全てことでんオリジナル。
そして、来年から再来年に掛けて、レトロ電車は引退が決定している。
そのせいもあり、そして、今日はレトロ電車4輛全てが運行する事もあり、とてつもない人だ。
改札を出て、駐車場に繋がる路地沿いに牽かれた電留線に、300号と500号が停車していたから、撮影に。
先ずは、3000形300号。
茶色の塗装にリベット打ちの車体が、何とも云えぬ武骨さを醸し出している。
戸袋の丸窓が、レトロ感を上げている。
続いて、5000形500号。
此方は下半分が茶色、上半分がクリーム色の塗り分け。
リベット打ちの車体は同じであるが、尾灯が上部に付いており、顔付きは300号に比べあっさりとした印象を受ける。
矢張り、大正末期から昭和一桁の電車に敬意を表し、その時代の服で来るべきだったと後悔した。
その事をまなにゃーさんに話たら。
「離れて歩くから」とつれない返事。
しかし、これが撮り鉄、乗り鉄、コス鉄と云う人種なのだ。
暫く駐車場側の電留線で撮影をしていた。
そうこうしている内に、23号と120号を隠す様に留置していた1000系が移動した。
お陰で23号と120号がホームから撮影出来る様になった。
早速、ホームに移動する。
先ずは20形23号。
下半分が赤、上半分がクリームの旧標準色。
元は近畿日本鉄道南大阪線の前身である大阪鉄道が新造したデロ20形。
流石、都会からやって来ただけあり、洗練された近代的なデザインである。
最後が、1000形120号。
3000形同様に、非常に武骨な印象を受けるが、上半分がクリーム色なせいか、多少は大人しい印象もある。
今日はこの4車輛が仏生山から琴電琴平を往復するのだ。
それにしても、天気が悪い。
今日は榎井-羽間にある土器川の橋梁で撮影しようと思っていたが、天気がもつか怪しい。
もし、土器川で撮影するなら、10時17分の琴電琴平行きに乗らなければ間に合わない。
決断の時間は残されていない。
結局、天気が不安なのと、300号、500号と23号、120号の併結するも見てみたいのとで、土器川は諦める事にした。
天気がもし、持ちそうなら上りの仏生山行きレトロ電車を撮影しても良い。
10時半頃に、300号と500号が併結する為に構内を移動する。
私も駐車場側、ホームと忙しく移動する。
多分、まなにゃーさんは呆れていただろうと思うが、これが撮り鉄と云う生き物なのだから、仕方がない。
ホームから見える電留線に300号、500号編成がやって来て、23号、120号編成と連結した。
今日の編成は、仏生山側から500号・300号・120号・23号となった。
4輛編成となったレトロ電車は、車庫から本線に出て、スイッチバックして仏生山のホームに到着した。
ホームは、ラッシュ時でもここまで混まないだろうと云う位の大混雑。
幸いな事に、500号に着席する事が出来た。
ただ、それでもラッシュ時並みのすし詰め状態。
500号は昭和3年の車輛。
昭和一桁代の車輛に乗車するなど、2003年に小野田線の本山支線で関西急電モハ42に乗車して以来だ。
10時57分、定刻にレトロ電車の琴平行きが発車した。
吊り掛け式の重々しいモーター音が響き渡る。
これぞ旧形電車である。
ただ、ロングシートで立ち客も一杯では、景色を眺めるのに首を後ろに向けねばならない。
かなりの苦行である。
一宮で、列車交換の為、少しばかり停車する。
カメラを抱えた輩共が一斉に外へと出て行く。
続いて、滝宮でも交換。
ここは、構内踏切があり、良い具合に編成写真が撮影出来る。
沿線でも、彼方此方で砲列が向いている。
車から手を振っている人もいる。
意外な事に、あまり鉄道に興味無さそうな女性も、スマホで撮影していた。
羽間を過ぎて、いよいよ土器川を渡る。
有名撮影地だけあり、かなりの人が砲列を弾いていた。
そして11時55分、無事に琴電琴平に到着した。
次の仏生山行きレトロ電車は、13時19分。
1時間半程、時間がある。
土器川に向かうかと考えていたら、雨が降ってきた。
仕方がないので、構内で撮影をしながら過ごす。
とは云え、座席取りの為に並んでいなければならないし、外に食べには行けない。
なので、コンビニでサンドイッチとお握りを買って来る。
撮り鉄の旅の時には、当たり前の事では、あるが、まなにゃーさんには、気の毒をした。
12時50分頃に、再びドアが開く。
次は120号に乗車。
出来たら最古参の23号に乗りたかったのだが、競争率が半端無かったので断念した。
しかし、23号の車内は撮影する。
何時の物か、古い路線図が残っている。
試運転のマークが取り付けられていた。
13時19分の発車を前に、いよいよ雨が本降りになる。
体か冷えきってしまった。
立ち客で一杯な上に、硝子窓が雲って終い外の景色が見られ無い。
それでも、土器川の橋梁には多数の撮り鉄がいた様だった。
もし、榎井で降りて土器川の橋梁を目指していたら。
行きか帰りかに「悦凱陣(よろこびがいじん)」で有名な丸尾本店の坂口に寄りたかった。
招徳の堀井さんに「香川に行くなら」と、教えて頂いた酒蔵なので。
岡田で列車交換。
ここは、かの有名なNEWレオマワールドの最寄り駅。
1995年に撮り鉄で四国を訪れた際に、阪急学生班のツレに、入場券を買ってきて来れと頼まれた思い出がある。
何故ならこの年、私が九州を乗り鉄して、宮崎駅で入場券を買い、阪急の自分のロッカーの名札の所に差し込んだ。
そうしたら、阪急の連中の中で入場券を名札代わりにするのが流行ったのだ。
中には、東武鉄道の田沼駅まで入場券を買いに行った猛者もいた。
そう云う流れで頼まれたから、仕方が無い。
そう云う訳で、24年振りの岡田駅のホームである。
但し、改札までは行かなかった。
岡田を出て、讃岐平野を走る。
雨が振り相変わらず、窓外の景色は望めない。
まなにゃーさんは疲れて寝ている。
しかし、滝宮でまた列車交換。
慌ただしくカメラを構えて出て行くから、まなにゃーさんが起きて仕舞う。
滝宮には、駅のゆるキャラみたいなのが、ポスターにあった。
仏生山の手前、一宮でも交換。
懲りずに撮影に行く。
矢張り、まなにゃーさんは呆れているだろう。
14時15分、無事に仏生山に到着。
ホームで300号、500号編成と23号、120号編成を切り離す。
そして、300号、500号編成は高松築港方面へ。
23号、120号は琴電琴平方面へと進む。
そして、23号、120号はスイッチバックして仏生山の車庫へ入って行った。
余りにも満員過ぎたので、一本見送り14時41分の列車を待つ。
しかし、施設点検とかで運転見合せの放送が入る。
結局、5分遅れで入っては来たが。
まなにゃーさんが何か食べたいと云うので、瓦町で下車した。
商店街で何か、店を探してと云う作戦だったが、まなにゃーさんのお眼鏡に叶う店が無かった。
或いは日曜で休んでいた。
結局、高松築港まで商店街を歩く。
駅で売っているはずの地ビール「ことちゃんエール」は、店が閉まっていた。
しかし、改札前に
「琴平線は14時38分に発生した施設故障の影響により、滝宮駅〜岡田駅間はタクシーによる代替輸送になります」
と案内があって、駅員が対応に追われていたから、それどころじゃ無かったのだろう。
高松築港から高松駅に移動し、駅ビル内の店で休憩。
16時40分分の快速「マリンライナー48号」に乗車。
座席は1号車17番CD席。
一路、岡山を目指す。
日も暮れる中、靄の掛かった薄暗い瀬戸内海をソフトバレエの「EARTH BORN」を聴きながら渡る。
30年前と全く同じだ。
違うのは、もう、森岡賢がいないと云う事実だけ。
17時32分に、岡山に到着。
17時41分の福山行きで帰るまなにゃーさんを見送り、姫路行きが出る4番ホームへ。
しかし、既に18時の姫路行き待ちの列がもの凄い。
次の姫路行きは、備中高梁始発。
なので、先程の17時41分発の列車に戻り、一駅行った北長瀬まで移動。
北長瀬17時54分発となる姫路行きを待つ。
予想通り、姫路行きは空いていたが、岡山で大量の乗車があり、先程のレトロ電車並みの混雑となった。
途中で降りる客もいたが、姫路まで立ち客が無くなる事は無かった。
19時25分、姫路に到着。
26分発の新快速はかなり混んでいたから見送る。
その間に、キオスクでヤマサ蒲鉾の「はもてん」を買う。
そして、19時42分発の新快速野洲行きに乗車。
しかし、特急列車の遅れを受けて4分遅れで発車する。
いよいよ、呑み鉄の始まりである。
高松駅で購入していた松山駅の駅弁「しょうゆ飯」に姫路はヤマサ蒲鉾「はもてん」。
酒は讃岐の金陵「真紅」
「しょうゆ飯」を食べるのも、もう30数年振り。
小学生の時分にら高槻の西武百貨店で開催していた駅弁大会で食べて以来である。
それで、呑んでいたら、魚住-大久保の踏切でバーが折れたとかで、東加古川-土山で停まって仕舞った。
暫くして動き出したが、魚住と大久保の間で、また緊急停車。
踏切を跨いで停車したから、ドライバーもさぞかし難儀した事だろう。
結局、17分の遅れで発車した。
大阪には20時43分到着の予定が、21時の到着。
その大阪で、ようやく立ち客が出るまで混み合った。
もし、ダイヤ通りだったなら、大阪でもここまで混まなかったのでは無いかと思う。
大阪を出て、これで京都まであと30分と思っていたが。
向日町でまた急停車。
今度は車内で緊急停止ボタン押されたらしい。
直ぐに発車したから良いものの、勘弁して欲しい。
もう、酒も肴も無いのだから。
京都には21時14分到着の予定が、21時34分の到着。
しかも、直ぐに発車せずに車内の点検を行っていた。
どれだけまた遅れたかは解らない。
地下鉄に乗り換え、四条へ。
最後は、波乱なの満ちた旅であった。
願わくばまた、レトロ電車に乗りに。
そして、今回行けなかった土器川の橋梁へ撮りに行きたい。
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