「自分を最高に生きるために」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/20515 (写真入り記事)
日曜日に、牧師がこう説教した。
「あの世ではお金は大事ではない。なぜなら、あちらにはお金事態ないのだから・・・」。
すると、誰かがこうささやいた。
「ママ、今の話し聞いた? ぼくたちもう天国に来ているんだね。」
お金持ちか?貧しいか?
比較から生じるものは、せいぜい「劣等感」か「優越感」です。
劣等感は、通常、自己憐憫に陥り元気をなくします。
「こん畜生!」と、自分を奮起させる人もいますが、劣等感をバネにしてガンバっても、どこまで行っても安心を得ることはありません。
次に、優越感はつかの間の自己満足です。
多少、不足や不満があっても、「他より自分が勝っている」ということで自分を慰め、納得させても、世の中、上には上がいるものです。
自分より勝っている人を見た瞬間、劣等感を感じ、妬みを感じ、最初から劣等感を感じている人よりも楽差が大きい分、どん底に突き落とされたようなみじめな気持ちになります。
どんな世界でも、どんな立場でも、どんな人でも、比較による劣等感によって苦しまない人はいません。たとえ今苦しんでいなくても、必ず劣等感による自己憐憫、失望、絶望、悲しみ、怒りを遠からず経験するものです。
SMAPが歌った、「世界に一つだけの花」(作詞・作曲・編曲/槇原敬之)という曲は、当時、売れに売れて、「NO.1」になったからこそ、「No.1にならなくてもいい もともと特別な Only one」という歌詞に説得力があったのではないかと思います。
世の中にいる限り、比較から逃れることはできません。だから、それを一々気にしていたら、永久に劣等感から解放されることはありません。
どうしたら、人との比較をしないですむのでしょう?
私たちは、相対的価値観の中に生きています。誰かから比較され、そして、比較して来ました。それしか自分の位置を知る方法がなかったからです。
しかし、絶対的価値観の中を生き始めるならば、比較は無意味です。それは神との関係に生きることです。それは、全ての人が「Only one」なのです。
例えば、顔の中で、「おでこ」と「眉毛」と「目」と「鼻」と「口」と「ほっぺた」と「耳」を比較しようにも、比較の物差しがそれぞれ違いますので比較しようがありません。
同じように、あなたはあなたであるように神が最高傑作として造られましたし、他の人は他の人として神が最高傑作として造られました。比較することは全くナンセンスです。
そんな無意味なことは金輪際やめましょう。比較から良いものは生まれません。こと、人と人に関しては。
比較が必要なのは、�〆鯑�の自分との比較 �⊆�分の使命との比較です。
�_甬遒亮�分、昨日の自分と比較して、少しでも前進し、改善し、成長を目指しましょう。
�⊆�分の使命、もっと言えば、自分の本当の姿と比較して、少しでもそこに近づけるように古い自分のカラを破り、変化を受入れていきましょう。
「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」(第二コリント3:18)
今日、「私はあなたを愛している」という神の言葉を聴いて下さい。
人との比較にピリオドを打ち、自分を最高に生きることができますように。
あなたは最高に素晴らしい人です。
素敵な一日でありますように。
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