「どんでん返しのどんでん返し」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/20304 (写真入り記事)
「どんでん返し」という言葉を聞いたことがあると思います。
小説や映画のストーリー展開において、大方の予想を大きく裏切り、一旦終結したかに見えたストーリーを大きく覆した結末が用意されていることを言います。
人生を長く生きていると、何度も「どんでん返し」を経験します。
聖書は、「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」(ヤコブ書1:2)と語ります。
「試練」は、「想定外のできごと」であり、「どんでん返し」です。
「神を信じ、信心をし、善行をしていたら、悪いことは置きることはないはず!?」というのは、全く根拠のない楽観主義です。
聖書は、「どんでん返し」を教えます。しかも、単なる「どんでん返し」ではなく、「どんでん返し」のさらに「どんでん返し」です。
イエス・キリストの「十字架」と「復活」のできごとは、「どんでん返し」が2回連続起こったできごとなのです。
イエス様は、神の御子であり、神ご自身です。罪を犯したことがなく、罪が何であるかでさえ知らないのに、なぜ十字架で処刑され、墓に葬られ、よみにくだり、3日目に復活されたのでしょうか?
キリストは全てご存じでした。
キリストは、死ぬためにこの世に生まれたので、十字架の死は予定通りです。
しかし、聖書を読む私たちには、「どんでん返し」です。
神は立法者です。最初、たった1つの法律を造られました。「エデンの園の中央にある善悪の知識の木の実を食べてはいけない。食べたら死ぬ」というものでした。
アダムとエバは、たった1つの法律を破りました。たった1つの律法を破ったということは全てを破ったに等しいことです。結果、アダムとエバは「死刑」にならざるを得ませんでした。
しかし、神はアダムとエバを愛していました。何とか死刑を回避させたいと思いました。
ここで、神が恩赦を出したり、罪を水に流したら、神の正義は曲げられ、立法者としての面目が立たなくなります。
神の出された結論は、法律を変えるのではなく、神自らがアダムとエバの身代りに「死刑」となって、アダムとエバを赦すことでした。
神ご自身が、アダムとエバの身代りに「死刑」になったのが、イエス・キリストの十字架です。
アダムとエバの罪の赦しの中に、その子孫である私たち全人類の罪の赦しも含まれています。
しかし、罪の赦しは自動的に私たちに与えられることはありません。信じることが必要です。「ありがとうございました」と受け取ることです。
神は、マインド・コントロールして、求めてもいないのに無理やり人を救うことはないからです。
キリストは十字架で死なれ、墓に葬られ、よみに下りました。そこで終わったとしたら、人類は取り残されて寂しいです。しかし、キリストは、死を打ち破って「復活」されました。今も生きておられ、私たちと共におられます。
キリストの十字架の死を冷静に考えてみて下さい。まさに「どんでん返し」です。また、キリストが死を打ち破って復活されたことも「どんでん返し」です。
聖書には、「どんでん返し」が2回連続して書かれています。
今日、この文章を読んで、「どんでん返し」を経験しているかも知れません。
聖書は、あなたは神の前で罪人であると語ります。先祖であるアダムとエバの罪を受け継いでいるからです。
しかし、その「どんでん返し」は、あなたに罪を教え、キリストの十字架と復活であなたの罪を赦す次の「どんでん返し」のためにあるのです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3章16節)
私たちの人生には「どんでん返し」が付きものです。しかし、「どんでん返し」は1度で終わりません。さらに「どんでん返し」が待っています。
1回目の「どんでん返し」がマイナスの出来事だとしたら、もう1度来る「どんでん返し」は、マイナスがプラスに変わる「どんでん返し」です。
マイナスの出来事はできれば起こってほしくないものですが、マイナスという「どんでん返し」とマイナスがプラスに変わる「どんでん返し」は、あなたの人生に刺激を与え、感動を与え、退屈を感じさせることはありません。
今日あなたは晴天霹靂のように、唖然とするような「どんでん返し」を味わっているでしょうか?
心臓に良くないと思えるかも知れませんが、「どんでん返し」を楽しむ余裕が持てたらいいですね。
その秘訣は、「どんでん返しのどんでん返し」を与えて下さる神に信頼し、神と共に歩むことです。
良い一日でありますように。
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