「権利と義務、神の愛に生きる」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/20263 (写真入り記事)
あるレストランで、「お客様は神様だ!」と、自分の権利を主張し、わめき散らしている人を見たことがあります。
あるショッピングセンターで、車イスに乗る男性が、「健常者が車いすマークの駐車場に車を停めている。移動するように言え!」とわめき散らしている姿を見たことがあります。
正しいことを言っているのに、醜い姿を晒してしまい、残念に思ったことを思い出します。
もちろん、基本的人権が守られていない時には、言わなければいけない時もあると思いますが、「何かがおかしい!」「何かが違うのでは!?」と感じました。
本来、権利の主張は、自分のために行うものではなく、他者のために行うものではないでしょうか?
権利を主張する心には、何でも「人のせいにする心」が潜んでいます。
つまり、「私は悪くない!人が悪い!」という心です。
その結果、その人には成長がなくなります。
大きなことを言うのに実行しない。
約束を守らない。
時間を守らない。
忍耐がない。
思い通りにならないとヘソを曲げる。
仕事をやり切らないなど、
困ったものです。
もし、「私は悪くない!」と考えるならば、仮に「相手が悪い!」と見えても、「盗人にも五分の理。相手の主張に耳を傾けてみよう。もしかしたら、相手の主張も正しいかも知れない!?」と考えて見たり、「私も間違っているかも知れない?」と顧みてみたいものです。
そして、自分の権利の主張をやめて、他者の権利のために主張してあげ、守ってあげることに思いを向けてみる。
さらに、自分の権利の主張を棚上げし、横に置いて、感謝する。
与えられた義務を果たすことに力を注いでみる。
そんな生き方に向かいたいものです。
その生き方は美しいはずです。
さらに、自分の権利を主張する人には、有言不実行な人が多く思います。
まずは、有言不実行の生き方をやめて、不実行ならば、不言でいるという自制を身に付けたいものです。
そして、不言実行を目指したいものです。
キリストは、「互いに愛し合いなさい」 と教えられましたが、そこには、「僕(私)を愛して!」は含まれていません。
それぞれに対して、ただ「愛しなさい!」と命じられた言葉なのです。
愛のお手本はイエス・キリストです。
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:13)と語られたイエス様は、その愛を実行されました。
イエス様に倣い、イエス様に頼り、神に祈り、神の愛に生きることを目指していきたいものです。
人には愛がないのです。だからイエス様がクリスマスに来られ、十字架にかかって死んで下さったのです。
私は、誰かを非難するためにこういうことを書いているのではありません。
みんな足りないところがあるのです。
その足りないところを含めて愛して、赦して、助けて、成長させて下さるイエス様に頼りましょう。
そして、自分の権利を当然のことのように主張するのではなく、権利を享受する時には、感謝の心で受け止めたいものです。
権利の主張を降ろして、自分の義務を果たすことに向けたいと思います。
そうしたら、成長するし、「私は正しい!人が悪い!」という心は音を立てて崩れ落ち、自分の足りなさいを自覚し、神に頼り、「持っているものはさらに豊かに与えられる」と聖書にあるように、成長の一途を辿るはずです。
自分の権利の主張は神にゆだねましょう。
権利は神が守って下さり、復讐は神がして下さるからです。
そして、もし、どうしても権利を主張したいとしたら、弱い人、困った人、助けが必要な人の権利を主張することに力を注ぎたいものです。
今日も素敵な一日でありますように。
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