『「病気を自覚した病人」と「病気の自覚のない病人」』
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/20047 〈写真入り記事〉
重病の入院患者に医者が聞いた。「だれか、呼んでほしい人はいないかね?」
医者の耳もとに口を寄せて、患者は苦しい息の中から答えた。「ほかの医者を!?」
病院に入院していると、患者の立場は弱くなります。喉元まできても言えない言葉です。
「医者や看護師の機嫌を損ねてしまったら、キチンと治療してもらえなくなってしまうのではないか!?」。
不満を飲み込んで、「お願いします」「お世話になります」「ありがとうございます」と言わざるを得ない場合があります。
私が喘息に入院した時、ひどい処置と対応をする看護師がいたので、致し方なく、内科部長が回診に来てくれた時に相談したことがあります。
とびっきり優しく、面倒見のいい看護師が担当してくることになり、幸せな入院の時間を過ごせたことを思い出します。
しかし、一歩間違えると、ナースステーションで、「あの患者は、要求が多くて、何にでも文句を言う人だから気をつけてね・・・」と、噂になってしまう可能性もあります。
医者や看護師を信頼しつつも、どうしようもない場合に限るのではないでしょうか。
『イエスは答えて言われた、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」』(ルカ5:31〜32)
イエス様は、世界一の医者です。全幅的な信頼を寄せても何も不安はありません。
上記聖句は、「病人と義人がいて、イエス様は病人だけを招くために来た」という内容ではありません。
「全ての人は、アダムとエバの罪によって罪人であり、病人なので、医者であるイエスが必要である」という内容です。
しかし、病人は病人でも、自分の病気を自覚していない病人は病院に来ません。病気を自覚した人だけが診察と治療のために病院に行くものです。
「病気一つしたことがない人」が、突然亡くなってしまうことがあります。
「病気の総合デパート」と言われながらも長生きする人がいます。
病気があるなら、病気を早期発見し、治療できた人はラッキーです。
同じように、自分の罪を早期に自覚し、イエスの元に来れた人は幸いです。
神の目から見たら、全ての人が罪人です。
しかし、「私は人に迷惑をかけていないし、結構いい人だ」と思っている人もいます。
日本人は、道徳的に優れた人が多く、自分の罪を自覚することが難しい人が多くいます。
聖書が語る罪は「創造者との関係の罪」です。「道徳的罪」や「法律的罪」は、その結果表面化した罪です。
自分を造り、生かし、導き、救って下さる神に背を向け、信じず、ないがしろにして生きていることが「創造者との関係における罪」なのです。
この状態を植物に例えるなら、根が切られた花束のようです。
病院に病気の人を見舞う時、「病気が根付く」というメッセージになるので鉢植えは避けて、花束を持って行くことが普通です。
花束は、すぐに花瓶に移して、水を入れますが、しばらくすると枯れてしまいます。
人間は罪の結果、花瓶の花のように、しばらく生きたら死んでしまいます。
「私たちの齢は七十年、健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。」(詩篇90:10)
「そこで、主は、『わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう』と仰せられた。」(創世記6:3)
聖書が語る罪は、自覚しにくいですが、その結果は明確です。
「罪の支払う報酬は死である。」(ローマ6:23)
しかし、もう一つの明確な事実があります。(ローマ6:23)の後半にはこう書かれています。
「しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける 永遠のいのちである。」(ローマ6:23)と書かれています。
世界一の医者であるイエス様の元に行くならば、永遠の命が与えられます。
あなたを造られた神から離れているとしたら、それが罪です。
罪を認め、神様にお詫びをし、あなたをいやし、救って下さる一人子イエス様の元に行きましょう。
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