北海ホテルは、ネット環境が無く、大量に撮影した画像を上げる事が出来なかった。
最も、それ以前に食事をしてその後、遅くとも21時には就寝していたのだが。
そのお陰か、5時に目が醒めた。
昨日、風呂にも入らなかったから、朝風呂に入る。
流石にこんな朝から風呂に来ている人はおらず、貸切状態。
一休みしてから、朝食。
朝食はバイキング。
烏賊の塩辛などもあり、朝から呑みたくなるメニュー。
そして、荷物を纏めてチェックアウト。
チェックアウト時に宿泊代を精算するのも、今時珍しい。
宿泊代は二食付きで5900円。
酒代は別精算だが、頗る安い。
近隣には、東横イン、ルートイン、ドーミーイン等、聞いたホテルも多数あるから、地方の地場資本のホテルは大変だろう。
こう云う、地方の田舎町では地場のホテルに泊まるのが、地元の経済活性化の為には良いのかも知れない。
網走駅には7時20分頃に到着。
旭川行きの特急「大雪2号」を待つ。
「大雪」とはまた懐かしい愛称で、特急「オホーツク」のうち旭川発着の特急として愛称が復活。
かつて、札幌と網走を結ぶ夜行急行の愛称として、長年親しまれていた。
私も急行「大雪」には乗車した事があり、名寄本線の初乗りの際に遠軽まで乗車した。
1989年の事である。
7時35分位に、改札を開始した。
「大雪」は4輛編成で車輛は183系500番台シリーズ。
指定席が1輛と半分、グリーン車が1輛、自由席は1輛半と云う編成。
そして、4号車17番AB席を取る事が出来た。。
この座席は、知る人ぞ知る展望席。
ただし、遠軽までは最後尾を走るので逆向きなのだが。
指定席は「スーパーおおぞら」キハ283系と同タイプの座席で、半室自由席の3号車も、同じ座席。
しかし、丸丸1輛自由席である4号車は、モケットこそ張り替えられているがキハ183オリジナルの座席。
だが、これが良い。
キハ183系500番台シリーズに初めて乗車したのは、1989年。
初の北海道遠征の時。
函館から乗車した特急「北斗」
この日から、北海道に遠征の度に乗車していた。
「北斗」の他にも「おおぞら」でも乗車した。
都落ちしてからは「サロベツ」でも乗車した。
実に馴染みのある車輛だし、1986年11月、国鉄最後のダイヤ改正で鳴り物入りでデビューした時から、憧れていた車輛。
だからこそ、このシートで無ければならない。
8時6分、定刻に発車。
初めて乗車した1989年に敬意を表して、と云いたいが、乗車したのは3月だったから、1988年のナンバーを聴きたい。
当時、大好きだったのがTM NETWORKやUP BEATで、TM NETWORKは余りに近未来的過ぎて石北本線のイメージに合わない。
UP BEATを聴きながら、旭川を目指す。
網走を出てすぐ、右手側に網走湖が見える。
そして、呼人半島の付け根を走る。
呼人駅を通過し、女満別までは網走湖沿いを走るが、木々に遮られ湖は見えない。
女満別を過ぎると山越え。
とは云え、そんな急坂では無い。
考えてみれば、網走から北見まで、明るい時間に走るのは初めてである。
95年と98年の遠征時は、夜行や最終の網走行きばかりだったので。
北見からは、89年に乗車している。
根室本線の池田から、池北線で北見に出た。
北見から札幌行きの「オホーツク」に乗車した。
お金が無く乾パンを齧りながら、車内備え付けの冷水機で水を飲んで腹を満たせていた、惨めな思い出が黄泉返る。
美幌に到着。
網走行きの普通と交換した。
キハ54がキハ40でサンドイッチされた3輛編成。
美幌と云えば、美幌海軍航空隊。
かの有名なマレー沖海戦で、元山空、鹿屋空と協同でプリンス・オブ・ウェールズとレパルス撃沈した、海軍屈指の航空隊。
美幌から、北海道らしい丘陵地帯を抜け北見盆地に入る。
段々と拓けて来て、家やビルが見える。
石北本線は、高架橋を上がる。
北見っていつ高架駅なったのか?
と思ったが、地上に降りた。
そして、そのまま駅に到着。
北見駅は、地平駅のままだった。
北見を出てすぐ、池北線の跡らしき道床の跡が、草に埋もれていた。
「大雪」はそのまま、北見トンネルへと入る。
これは、北見市の立体交差事業で生まれた、日本最北の地下鉄道トンネル。
北見盆地を進み、留辺蘂に停車。
ここから、上り勾配。
金華信号場では、キハ40の普通列車が、「大雪」の通過を待っていた。
そして、更に人跡未踏の山奥へと進む。
スイッチバック式だった、常紋信号所のスノーヘッドから、常紋トンネルに入る。
常紋トンネルは、タコ部屋労働で作られた、貴重な遺跡。
監督の指示に従わなかったタコは、撲殺され人柱としてトンネルの壁に埋められたと云う。
実際、十勝沖地震で壁面が損傷し改修工事を行った際、レンガ壁奥の玉砂利の中から、頭蓋骨に損傷のある人骨が発見されている。
正に、血塗られたトンネル。
常紋トンネルを抜けると下り勾配。
生田原に停車。
95年、日も暮れたこの辺りで、乗車していた最終の網走行き特急「オホーツク」がエゾシカと衝突した事を思い出した。
こんな事は日常茶飯事らしく、10分もしたら列車は発車したのだが。
遠軽に到着。
この駅で進行方向が変わる。
所謂、スイッチバック駅であるが、これは今は亡き名寄本線が幹線だった時代の名残。
かつて、札幌から網走までは、今の根室本線で池田へ。
池田から北見(所謂「池北線」)へ出て網走に向かう「網走本線」が最初。
そして、宗谷本線名寄から興部、紋別、湧別経由で遠軽行く、名寄本線のルートが開業。
最後に、旭川から直接、遠軽に向かうルート。
これが今の石北本線である。
スイッチバックの駅だから、多少停車するので、駅前に出て見た。
遠軽で途中下車するのは実に30年振り。
駅舎も、当時と何も変わっていない。
記念入場券を購入し、車内に戻った。
ここからは、4号車が先頭になる。
遠軽から先も、難所が続く。
森林鉄道で有名な丸瀬布で網走行き特急「オホーツク」と交換。
「オホーツク」が遅れていたため、3分の延発。
勾配がきつくなり、北見峠に挑む。
下白滝信号所辺りで、遠くに雪の残った山が見える。
恐らく、大雪山だろうか。
白滝駅から先はいよいよ急坂とカーブが連続する。
今なら、石勝線の様に高架線とトンネルで一気に抜けて仕舞うが、当時の土木技術では難しい。
なので地形に逆らわず峠を登り、ギリギリの所でトンネルで抜ける。
2001年までは駅だった奥白滝信号所を通過すると、石北トンネルに入る。
このトンネルも常紋トンネル同様に、血塗られた歴史がある。
タコ部屋労働に網走刑務所の囚人も導入し、羆にも襲われながら4.3キロメートルのトンネルを建設した。
トンネルを抜けると、2001年まで駅だった上越信号場、中越信号場を通過する。
そして、同じく2001年に廃駅となった天幕を通過。
駅が廃止になるほどの秘境を抜け、ようやく、下り勾配。
速度も上がる。
層雲峡の入口として名高い上川に到着。
遠軽行きの普通列車が停車している。
地元の園児が散歩しているのか、駅の向こうから列車を眺めている。
上川から保全員が乗車して、助手席側に立ったから展望が望めなくなる。
「大雪2号」が発車するときに、園児たちが列車に手を振る。
保線員も、園児たちに手を振っていた。
遠くに雪の残る大雪山が見える。
石狩川を渡り、旭川の郊外と云う雰囲気になる。
途中、当麻と云う駅を通過した。
当麻町は上川郡だが、上条郡なら面白いのにと考えていたら、新旭川。
宗谷本線と合流。
「アルプスの牧場」のオルゴールが鳴り、旭川到着の案内が入る。
11時50分、旭川に到着。
次の列車まで1時間40分ほど時間がある。
なので、駅を出る。
ペンギンさんが出迎えてくれる。
駅直結のイオンで買物したあと、ホームに戻る。
13時過ぎには、早々と「サロベツ1号」が入線して来た。
車輛はキハ261系の0番台で、初めて乗車する。
自由席は割と混んでいるが、4号車8番A席を取る事が出来た。
13時35分、定刻に発車。
新旭川で先程の石北本線と別れる。
比布を過ぎ、塩狩峠に挑む。
塩狩峠には、身を呈して乗客を守った車掌の話が伝わる。
塩狩峠を越えると和寒。
名寄盆地を進み、名寄に到着。
結構な乗降があり、乗客が入れ替わる。
かつて、興部、紋別、湧別を経由して遠軽まで結んでいた名寄本線が分岐していた。
また、朱鞠内、幌加内を経由して深川まで結んでいた深名線も分岐していた。
今では面影は残っていない。
名寄川を渡り日進を通過。
ここから、幌延辺りまで天塩川沿いを走る。
しかし、新緑眩しい木々に遮られ、天塩川の川面は殆ど見る事が出来ない。
美深では、宿泊研修施設があるのか、そう云った感じの大学生らしいのが何人も乗車して来た。
恩根内と豊清水の間、天塩川に沿って何やら建物が見える。
何も無い所に、オブジェの様に建っているのが気になった。
その、豊清水で札幌行き特急「宗谷」と交換する為に、運転停車。
そして、音威子府に到着。
ここからは、浜頓別周りで南稚内を結んでいた、天北線が分岐していた。
割と乗客が降りる。
天塩中川でも割と降りる。
問寒別の辺りでは、三日月湖が見えた。
天塩川は蛇行が激しく、特に幌延付近では多数の三日月湖がある。
そして、幌延に到着。
かつては、日本海沿いに留萌に至る羽幌線が分岐していた。
長らく付き合って来た、天塩川が西に大きく曲がり、日本海を目指す。
豊富を過ぎ兜沼を眺めて抜海を通過。
熊笹に覆われた丘陵地帯が美しい。
ほんの一瞬だが、日本海が見える。
この辺りが、宗谷本線の車窓の白眉であると思っている。
丘陵を駆け降りると、稚内の街。
かつて稚内駅を名乗った南稚内に到着。
「アルプスの牧場」のオルゴールが流れて稚内到着を告げる。
17時23分、稚内に到着。
云わずと知れた日本最北端の駅。
駅前でイベントをやっており、屋台に並んで自衛隊もいた。
今日の宿は、サフィールホテル稚内。
元は確か、全日空ホテルだったと思う。
昨日とは真逆のホテル。
正にリゾートホテル。
904号室にチェックイン。
シングルなのに何故かツインに案内される。
部屋からは港が見える。
食事は「四季彩ダイニング あんのん」で頂く。
メニューは宗谷会席。
先付 宗谷産もずく酢
造里 サーモン、帆立 あしらい一式
中皿 毛蟹半身 檸檬
鍋物 宗谷産水蛸のしゃぶしゃぶ
揚物 海老と野菜三種の天婦羅
食事 道内産 ななつぼし
鉢物 いくら 鮭フレーク 香の物
お椀 味噌汁(稚内産銀杏草)
水菓子 キャラメルプリン
酒は旭川の国士無双に増毛の國稀。
銀杏草は磯の香りと、海草にあるまじきシャキシャキ感が癖になる。
満足した。
食後に、すぐ近くの稚内ドームに行ってみた。
正式名称は「北防波堤ドーム」
これは、稚内港の防波堤として、また、北海道と樺太を結ぶ鉄道連絡船、稚泊連絡船を利用する乗客の為に1931年から5年間をかけて建設された。
稚内のシンボル的な存在である。
夜間に訪れたのは今回が初めて。
誰もいないから、思い切り撮影が出来た。
そう云えば、稚内で一泊するのも、21年振りである。
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