「今の幸せがいつ終わるかと思うと恐くて仕方がない」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/5/26(日)【1489】」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19968 〈写真入り記事〉
学校の学年で成績が1番の人が、ある日、自らの命を断ちました。
遺書には、「2番になる日が来るのが恐いので、死にます」と書いてあったそうです。
この子は、親の期待に答えようとがんばって、学年1番の成績を取り続けていましたが、「2番になって親に失望を与えたくない」とビクビクしていたのではないかと思います。
親はそこまでして1番になってほしいと思っていたわけではないはずです。
「がんばれ、がんばれ」と口うるさく言ったことを悔やんでも悔やみきれないと思います。
しかし、その気持ちがわからない訳ではありません。
試練に遭うということは、青天の霹靂であり、衝撃的なことです。
試練とは、「思い通りに行かない」ことだからです。
だから、良いことが起こっても、「また試練がやって来るのではないか!?」と怯えてしまうのです。
しかし、その目に見える現象だけを見ていたら、そうなってしまいますが、目に見えるものの背後に、目に見えない神がおられ、この方は全知全能であり、最善以下を行うことがないと信じるなら、世界がガラッと変わってしまいます。
良いことがあったら、素直に喜び、試練がやって来ても、神様が、マイナスをプラスに変えて下さると信じて、感謝したら良いのです。
不幸な幼少期の経験がある人が、幸せな結婚をしました。しかし、「今の幸せがいつ終わるかと思うと恐くて仕方がない」と怯えていました。
「すべてを益に変えて下さる目に見えない神を信じて下さい」と伝えました。
私は、人に教えることは、自分にも教えます。
そのようにして、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝しながら生きています。
目に見えない神を信じましょう。
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(コリント人への手紙 第二4章18節)
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