「最高に価値あること」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/5/6(月・振替休日)【1469】」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19911 〈写真入り記事〉
私の仕事は、神様に仕える事です。
「仕事」は「事に仕える」と書きますが、もっと言えば、神様から与えられた事に仕える事だと思います。
仕事には、必ず対価が与えられます。それは、必ずしもお金ではありません。
充実感もその対価の一つです。
それを忘れてしまうと、対価としての給料の額だけで仕事の価値が計られてしまうからです。
同じテレビのドラマに出ても、主役の俳優とエキストラの俳優ではもらえる額は違います。
主役は代えが利きませんが、絶対そうかと言うとそうではありません。
エキストラは、代えが利きますが、誰でも良いということではありません。
私の仕事である伝道は、代えが利きません。
神様は、誰でも用いられますが、私でなければ出来ない仕事があります。
会社の歯車のように、簡単に入れ替えることは出来ません。
家族伝道、友達伝道、職場伝道など、その人でなければ届けない領域があると思います。
こんなやりがいと充実感のある仕事はありません。
しかし、「1人の伝道に成功したらいくらいくらの報酬が与えられる」という基準はありません。
そうすると、伝道に対して、途端にやる気を失ったり、重要なことだと考えなくなる人がいるはずです。
しかし、本当はそうではないのです。
その働きがあまりにも尊く、価値あるものであるがゆえに、値段がつけられないのです。
「イエス様が与えて下さった救いが、ただ信じるだけで与えられる」というのも同じことです。
「なーんだ」と、軽く見てしまつたり、茶化したり、バカにする人がいることを見たことがあります。
これは、「安かろう、悪かろう」の領域ではなく、あまりにも高価すぎて値段がつけられないのです。
だから、ただ信じるだけで与えられるのです。
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」〈エペソ人への手紙2章8節)
伝道は、この最高に価値ある救いを届ける仕事であり、奉仕なのです。
いくらもらったとか、どれだけの報酬が与えられたとか、どんな栄誉が与えられたかでは計れない働きなのです。
この働きに仕えることが出来て幸いです。
今日の午後5時から、川口駅西口二階歩行者用デッキ上で路傍伝道をします。
一緒に、最高の働きに仕えませんか。
人が価値を認める働きと、神が価値を認める働きのどちらに関心がありますか?
私は、神の前に立った時、「良くやった!」と言っていただけたら、それだけで十分です。
神様は、日毎の糧を与えて下さり、すべての必要を満たして下さるお方です。
日常の雑多なことを心配しないで、神様に仕えていきましょう。
これこそが、最高に価値のあることであり、最高に価値ある人生なのです。
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