■「潜伏キリシタン」世界遺産に登録決定 国内22件目
(朝日新聞デジタル - 06月30日 18:14)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5179691
ユネスコは「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本両県)を
世界文化遺産に登録することを決めた。
その世界遺産の中核施設に『 大浦天主堂 』というのがある。
大浦天主堂は江戸時代幕末の開国後、1865年(元治2年)に建立された。
日本に現存するキリスト教建築物としては最古である。
正式名は日本二十六聖殉教者天守堂。
その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、
殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。
1953年(昭和28年)、国宝に指定された。
1865年(元治2年) 大浦天主堂が完成して約1ヶ月・・・
3月17日(2月12日)- 浦上の潜伏キリシタンが大浦天主堂を訪ね、
プティジャン神父に密かに信仰者であることを名乗る(信徒発見)。
この禁教下280年間の潜伏信仰活動は、バチカンにすぐさま報告され
一大事となり「長崎の奇跡」として、神に祝福され「聖人・奇跡」に列せられた。
いわば、信仰上の「横井さん」、「小野田少尉」の発見〜救出のようなものである。
「恥ずかしながら、二百八十年間 隠れておりますた・・」w
それでも当時は、明治の世になっても
まだキリスト教の禁教は続いていた。
『仰天軍人』西郷どんや「廃仏毀釈」の大久保利通は、
無神論者のクソ野郎であり、岩倉、三條実美らの公家は
当然、神道一辺倒。キリスト教他異国の宗教に理解のある人材は
維新政府の中には一人もいなかったからである。
そんな中バチカンは大浦天主堂の主管轄である
パリ外国宣教会に命じて、この奇跡の発見の真偽の確認と
原因や隠れキリシタンの実情を探る為、
一人の若き宣教師を長崎に派遣した。
マルク・マリー・ド・ロ神父である。
彼は、1840年(天保11年)3月27日、フランスノルマンディー地方バイユー近郊の
カルヴァドス県ヴォシュロール(ヴォスュロール)村(Vaux-sur-Aure(フランス語)で
ナポレオンの血を引く貴族の家に生まれる。
彼は赴任すると調査を兼ねて、隠れキリシタンの多くが住む
辺境の地・外海(そとめ)地区の布教にあたる。
そこでかれが目にしたものは、虐げられた信教の人々の
貧しく辛く苦しい日々の暮らしであった。
若き宣教師は、彼らの現世を救うべく信徒の暮らしの向上を思い立つ。
彼、マルク・マリー・ド・ロ神父は、後に明治政府が招聘するお雇いの技師や
後に北海道に米国から赴任するクラーク博士らに勝るとも劣らぬ
優秀な知識や技術の持ち主であった。
まず、貧しく田畑の無い断崖の地に段々畑にセモリナ種の麦を植えた。
そして、自分の資材を投げ打ち、製粉所を造り製粉と製麺を人々に教えた。
貧しき漁師には新しい絹糸網でイワシ漁に革新的な漁法を授けて行った。
そして、次にマルク・マリー・ド・ロ神父は、その出来た小麦粉を使い
日本初のパスタ開発に着手する。
元より長崎県には室町時代禅僧の隠元禅師がもたらした「五島うどん」
そして、我が郷土の島原そうめん(島原の乱後移住した小豆島の民が
もたらした。※現在もOEMで三輪そうめんの揖保の糸の7割を生産する)
等の製麺技術は存在していたが、、、
信徒たちも大まかな乾麺の製麺技術は知っていたが、西洋製麺は始めてである。
試行錯誤の末、最初に出来たのは「マカロニ」と「スパゲティー」であった。
長崎の信徒たちはコノ見たことも無い珍妙な西洋穴開きうどんにビックリ仰天した。
どーすんの?コレ? 湯がいて食うの?喰えるの?と神父に聞いてきた。
だが、ド・ロ神父は有能なマーケッターでもあった。
神父はこう答えた
「コレヲ 売ッテ オ金ヲ モラウノデス」
明治の御世になり、革新的に日本人の食生活が変わるということを
見越していたのだ。つまり黎明の洋食時代である。
ミサを通じて知己を得ていた、死の商人トーマス・ブレイク・グラバーや
リンガー(リンガーハットの開祖ウソですw)やオルトら外国人あきんど経由各国大使館へ、
また、政商・岩崎弥太郎経由で、東京の「鹿鳴館」や上野精養軒、
帝国ホテルの前身である築地ホテルに売り込んだ。
売れた。爆発的に売れた。なぜなら当時国内の西洋製面所はここだけだったからw
しかし、まだまだ市場も小さく限られていて、それでも生産が間に合わないくらい
生産力もキャパがすくなかった。
しかし、兎にも角にも ドロ神父は貧しい信徒の為に現金収入の道を開いたのである。
でもちょっぴり心配になった神父はその後、信徒も口にできるようにと
「 ドロ様 そうめん」も発売しているw
今、まんもちゃんは、仕事の付き合いで、オーマイ・スパゲチーの日清製粉や
ママー・スパゲチーの日本製粉(ニップン)さんにたまに聞くことがある。
「 長崎県のパスタ製品の売り上げって、どうなんですか?」
連中はクチを揃えていつもこう答える。
「 アソコはドーゆー訳かパスタ不毛の地で昔から国内でドベから2番とか3番で
売り上げが伸びないんですよ。やっぱチャンポンばかりたべてるのかなぁ、、、」
アテクシはコノ答えを聞きながら、ホクソ笑みながら、内心
「馬鹿者ども!長崎にはお前らのクッソ不味いパスタより
数段うまいご当地パスタどろ様ブランドが存在するのだ!
それを18年間喰ってきた生き証人が今、
オマエラの目の前にいるんだぞ!
知らぬはおまえら大手製粉業者だけだ!」と
心の中で叫びつつニマニマしているw
おっと、話は脱線したが、その後、ドロ神父は、長崎県民にドロ様、どろ様と
スパゲッチとともに慕われ、「トルコライス」のカツレツの下に敷くスパゲティーは
ド・ロ様のスパゲティー出なくてはならぬ!と
聖マタイ伝七章の二節に書いてあるとかいないとか(嘘)w
とまれ、1886年(明治19年)には、住民を伝染病から救済するため「ド・ロ診療所」を開設し、
社会福祉事業に挺身した。
1914年(大正3年)11月6日、大浦天主堂司教館(旧長崎大司教館)建築現場において
足場から転落、それが元で持病が悪化し、翌日の11月7日に死去した。
遺骸は出津に運ばれ、小高い丘陵にある共同墓地に埋葬された。
長崎の民に最後の最後まで尽くし骨を埋めた生涯であった。
長崎来たなら、どろ様スパゲッチば、いっぺん喰うてみらんね!
長崎の食文化は、チャンポンやカステラだけじゃ、なかけんね!
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