「コラムの裏側」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/1/ 26(金)【1014】)
http://9001.teacup.com/sfk/bbs/18440 (写真入り記事)
今朝は、「『人にどう思われているのか?』という心配からの解放」について掲載しました。
ネット上にアップロードするコラムなので、雑誌や新聞に執筆するほど厳密に仕上げた文章ではありませんが、形として出来上がったものです。
この「一日一シャ」では、出来上がった文章ではなく、その文章が出来上がるまでのことや、文章には載らないで切り落とされてしまうことなどにも触れていきたいと思います。
「人にどう思われているのか?」が気になり、そんなこと心配しても何のエネルギーにならないので止めようと思っても、どうにもならならない現実があります。
頭で思っていても、心がそれについていかないということがあるものですよね。
そんな時、神に祈るというのが正答ですが、では、やみくもに祈れば良いかと言うとそうでもありません。
聖書を読み、聖書を信じ、そこに書かれている神に向かって祈るということ。そして、その神に聞くということがなければ、祈りは空振りになります。
聖書には、「神が私を愛して下さっている」と、明確に書かれています。
その事実が受け入れられないとしたら、「信じさせて下さい」と祈るべきです。
大切なのは、「私がどう思うか?」ではありません。「神がどう思っておられるか?」なのです。
私は神に愛されている気がしなくても、神が私を愛して下さっているならば、それがすべてなのです。
その真理が私たちを自由にするのです。
「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8章32節)
私たちが、神の御思いを知り、それを受け入れ、それを深く感じることができますように。
「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5章5節)
「高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8章39節)
ただ、神の愛に感謝致します。
この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
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