■これはスゴい! はま寿司で注文すると『フリーザ様』が受けてくれる
(しらべぇ - 12月17日 08:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=202&from=diary&id=4907367
江戸前握りずしの定説として、俗に『 江戸三鮨(えどさんすし) 』という言葉がある。
寿司の文化が花開いた文化・文政の江戸時代に江戸で名物として謳われた
・神田小川町毛抜鮓(けぬきすし)、
・両国の与兵衛寿司(よへえすし、旧字体:與兵衞壽司)、
・安宅(あたけ)松が鮨(まつがすし) のことを指す。
今は、神田の笹巻き毛抜鮓以外は現存していない。
学生時代、まんもちゃんのゼミの後輩に、日本橋の老舗鮨屋の跡取り息子がいた。
トロ発祥のお店と呼ばれる有名店ででね。
※ 過去日記 参照
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=287688605&owner_id=980114&org_id=284318457
なぜなら、まんもちゃんたち上級生が面接して無理矢理合格させたからだw
まんもちゃんの所属していたゼミ生は、代々『築地寿司清』でバイトしていて
築地本店、銀座支店、赤坂支店、他各支店に散らばっていた。
学生のクセに何故か寿司とその業界にうるさい連中w
当然、新歓コンパも追い出しコンパも定例OB会も、寿司屋。
いつもバイトのコネで格安にしてもらっていたw
その後輩が、ある日の昼飯時、
『 ちょっと付き合ってもらえますか?行かなきゃなんないトコがあるんですよ。
親爺が大学の近くだから一度行っとけてうるさくて。昼飯は奢りますよ。 』
寿司ゴチかぁ、、先輩の面子もかなぐり捨てて、ノコノコ後輩に着いてゆく
まんもちゃんでしたw
で、連れて行かれた先が、神田ニコライ堂下、
恐らく東京最古のすし店ではないだろうか。
神田小川町『 笹巻き毛抜鮓 』 である。
くどいようであるがケムシ寿司でわない。
元禄15年(1702年)に初代松崎喜右衛門が竈河岸(へっついがし、
現在の日本橋人形町二丁目付近)で創業というから、今年で創業三百十五年。
もしかしたら、赤穂浪士も松尾芭蕉も食べていたんじゃなかろかというくらいの
超々・老舗である。
平成29年(2017年)現在でも、第十二代目松崎喜右衛門が「笹巻けぬきすし総本店」として
千代田区神田小川町で営業を続けている江戸最古参の老舗である。
今日主流の握り寿司や巻き寿司に比べて歴史が古く、
それ以前の押し鮓や馴れ鮓の形態を色濃く残している。
笹の葉で巻いた押し鮓の一種で、保存食とするため飯を強めの酢でしめてあるのが特徴である。
寿司だねも先ず塩漬けで1日、
次に酸味の強い酢(一番酢)で1日、
そして酸味の弱い酢(二番酢)で3日から4日も漬ける。
これをひとくち大に切ったものを酢飯の上に乗せ、
殺菌作用のある笹で圧しながら巻いて空気を抜くことで、さらに保存性を高めている。
このように毛抜鮓は調理するのに大変な手間と時間がかかる高級品だったため、
当時は大名の藩邸や大身旗本の屋敷などからの進物品としての注文が主だった。
後代になって調理がより簡略化された握り寿司が現れると、
従前との対比でそれは「早ずし」と呼ばれて庶民から有りがたれるほどだった。
寿司ネタとしては、コハダ、さいまき海老、白魚、海老のおぼろ、小鯛、卵焼き
と、江戸前寿司の原点ともいえるクラッシック・スタンダードねたである。
そういえば、息子の先輩というだけで我々、ぼんくら学生に
寿司を喰わせながら、面白いお話をたくさん聞かせてくれた日本橋吉野鮨の先代も
昨年お亡くなりになられた。自らもたくさんの鮨の研究本を著作された
寿司業界きっての『 寿司博士 』でらした。
これから、天気の良い小春日和にでも「笹巻き毛抜鮓」でも買って
ニコライ堂でネコをあやしながら寿司を食うとき、きっと当時のことを
懐かしく思い出すことだろう・・・
https://www.youtube.com/watch?v=8q6bajG13mw
https://www.youtube.com/watch?v=D83sqPydxvo
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