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2017年09月03日18:14

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君は「銅閣」を見たか?

皆さん、「金閣寺」はご存知ですか?
ご存知ですね。三島由紀夫の小説にもなっています。
「銀閣寺」は?
もちろんですね。足利義政が作った東山文化の代表。
それでは「銅閣寺」は?
「そんなのありますのん?」
今までの調査で、京都のタクシー運転手が100%そう言われます。(サンプル数は2)
京都の人も知らない「珍スポット」。それだけでは腰の重い狸は動かない。

なんと、設計者が、あの「伊東忠太」だというから、放って置けない。
フォト


なぜか私がいく先々に現れる「怪」建築家。あの「築地本願寺」を設計し(発注は大谷光瑞)、なんといっても鎌倉芳太郎と絶妙なコンビを組んで、「首里城正殿」を一度は守ったサムライである。そして今の首里城が再建されたのも鎌倉、伊東に寄るところが大きい。沖縄文化の恩人である。なぜかこの人、私の行く先々に現れる。最初に名前を覚えたのは五木寛之「百寺巡礼」の築地本願寺。その次は偶然立ち寄った江ノ島の児玉神社。シュールな狛犬さんだなと思ったら伊東の設計だった。それからこれも偶然立ち寄った埼玉県日高市の「高麗神社」。これも伊東の設計。もうビックリ、しゃっくり。それで首里城正殿。まあ心霊学的な意味があるのかないのか?少なくともユングの言うところの「シンクロニシティ」出まくりである。もう「呼ばれている」と思って、追いかけることにした。
これが実物。
フォト

けさ外から見た。朝5時半、朝日を浴びて燦然と輝く銅閣頂上の鶴を狙ったのだが、雲が出て来て、このようなものになった。屋根を見て欲しい。青緑色、ロクショウである。モノホンの銅である。
それで午前中、上加茂神社の特別公開を見て、午後再び「銅閣寺」こと、「大雲院祗園閣」を拝観した。
まず建設の経緯。
発注者は大手建設会社(現在の大成建設)で財閥の大倉組当主、大倉喜八郎。まあこの人の別荘がこの地にあった。大雲院は寺町筋にあった。もともと寺ではなく、あくまで大倉の別荘の建築であった。親交のある伊東に設計を任せ、昭和天皇の大典と、自分の80歳の祝いを兼ねて、贅沢を尽くし、思いっきり趣味的な祗園閣を作る。ところが喜八郎は昭和3年、銅閣の完成とすれ違いに世を去ってしまう。撮影制限が厳しい上に監視者(解説者ともいう)がべったり付いていて撮れないが、入り口の両脇にはシュールな獅子が狛犬さんみたいに守っていて、いかにも伊東らしい。内部にはシルクロードの仏画や怪物のモチーフなど伊東そのものと言っていい装飾があふれている。
大雲院という寺は元々寺町にあり、後から(昭和48年)ここに来たらしい。本能寺で討たれた織田信長ゆかりの寺ということで、裏の墓地に信長の墓も祀られている。ついでに言えば、石川五右衛門の墓もある。「盗撮技術」の向上を祈願した次第である。
まあ普段は非公開だが、隣の大谷祖廟や円山公園から上半分はよく見える。塔だから当たり前だが。上に登ると、すこぶる眺めがよい。絶景かな、絶景かな。東大谷の墓地、八坂の塔、霊山(りょうぜん)の白い観音、京都タワー、比叡山、愛宕山全部見える。遠く大阪の「アベノハルカス」が見えるとか、見えないとか。今日は見えなかった。

まあふらふらに疲れたが、満足した。

付け加えると、母方の祖父は「大倉財閥」の商社マンだった。ただならぬ因縁を感じる。

追記。きょう午前中、上加茂神社で見た特別公開は、神社の修理中の楼門を足場の上で間近に見るというものだった。日本の神社建築の技術の高さに圧倒された。「神社建築」。伊東は日本の神社建築の権威だった。まるで伊東が「見よ」と言っているみたいだ。ちょっと怖い。


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