東日本大震災が起きてからまだ6年。
あの日、僕は生まれて初めて死を覚悟しました。
あの日、たぶん僕は死にました。午後23:30過ぎ、秋葉原で。
あの日を境に僕はまったくの別人になりました。
居ても立ってもいられなくなる、というのをはじめて感じて、4月に新聞記者に直談判して、陸前高田の、母親を亡くしたある特定の家族に物資を送ってもらいました。
その父親からお礼の手紙と子ども達の写真が送られてきたのはしばらくしてからでした。
6月に気仙沼に行きました。
港や町がぐちゃぐちゃでした。
それから色んなところに行って、色んな活動をしました。
宮城県若林区のリルーツに通うようになり、仲間もできて、まあ、なんというか、各々の道は続いていくものだから、その仲間たちは、一人、また一人と、活動の場を移していきました。去る人がいれば入ってくる人もいました。
次のステージに進まなきゃいけない、そんな感じでした。
僕もそう思っていたところ、何も考えずにワールドビジョンのチャイルドスポンサーになりました。インドネシアに里子の女の子が一人います。
これが僕の中の次のステージの第一歩でした。
東北のボランティアを続けながら、さらに次のステージに進もうと思ってフィリピン、セブ島の海外ボランティアに参加しました。
これが決定的な転機になりました。
東北に行っていた僕はフィリピンに活動の場を移して、フィリピンに行っていた僕は今、別の国に意識が向いています。
それもこれも、大本は2011年3月11日。
失ったものは甚大でも得たものはとても大きい。
母のパーキンソン病、父のアルツハイマー型認知症は震災中も進行していました。
2014年1月末、3回目のセブ、滞在中に父から電話で『今日仕事か?』と言われ、ここから失語症は急速に進行していきました。
認知症の父をうちで在宅介護しているあいだ、ずっと死のうと考えていました。
いいえ、僕は一度死んでいますから、また死のうと考えていてもそれはさすがに出来ませんでした。
昨年夏にロスに行って、今年1月にアリゾナに行って、9月に北欧に行きます。
それまでの僕なら迷わずセブに行っていたけど、アメリカにしたのはやっぱり両親の病気の影響が大きくて、小さい頃からの夢だったからっていうのがあります。
やろうと思ったら今やろう。
明日やろうはバカヤロー。
まだ1年あると思って何もしない人は、5年経っても10年経っても何もしない。
人はいつ病気になるかわからない。
震災はいつやってくるかわからない。
明日生きてる保証なんてない。
タバコ吸ってても健康な人はいるし、吸ってなくても病気になる人もいる。
今の健康志向とか世界的な禁煙ブームとか、はっきり言ってバカだと思う。アホらしいと思うし、イカれてるとも思う。
WHOが言ってるから?医学的に証明されてるから?
タバコ吸ってた人が肺ガンになったなんて医学的に証明されてないし、そんな実験もやってません。あくまで肺ガンになる可能性が高いだけであって、肺ガンにならずに長生きする人はいます。
タバコが身体に悪いかどうかは、吸ってる本人が決めること。
酒は百薬の長って言うし、ベンジャミン・フランクリンは『医者より酒飲みのほうが長生きする』ってことわざを残してるし。
なにか妄信的になってるよね、特に日本人は。
自分を見失ってる。
僕は震災やそこであった出来事や見てきたことや、両親の病気や、セブでの生活や、この6年でやってきたこと全て含めても、これからの自分のことは自分で決める。
たった一度だけの自分の人生だから。
自分の生きる道は自分で決める。
これは何か色んなものを犠牲にしてることも分かってるし、自分勝手なこともわかってるし、でもそんなこと言ってても人生は続くし、自分がいつ死ぬかなんてわからないから、やりたい事はぜんぶやって死にたい。
東北とセブに戻る日は今はまだわからない。
でもやりたい事ぜんぶやって何かしらのほとぼりが冷めた時には戻るかもしれないし。
それはいつか分からないし、その時自分はまだ生きてるのかもわからない。
やりたいと思ったらすぐ動く。
明日どうなるかなんて、誰にもわからないんだから。
ログインしてコメントを確認・投稿する