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2017年04月24日17:03

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ぶらり大阪を歴史散策 ��

ぶらり大阪を歴史散策 �,破�れた
高麗橋の里程元標がスタート地点の有名な街道
1. 熊野街道 (大阪からはじまる熊野詣の旅)
2. 奈良街道 (大阪と奈良を結ぶ最短の街道)
3. 京街道 (大阪から京都へつながる街道)
4. 西国街道 (西国と京都をつないだ街道)


大阪を代表とする御堂筋
幅が43.6メートル(24間)がある全線南行きの一方通行で、
ほぼ一直線に整備された他で類をみない道路。
北御堂(西本願寺津村別院)と南御堂(東本願寺難波別院)の
2つの寺院が沿道にあることからの由来
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しかし大坂の歴史の中で、
もっとも謎で御堂筋にも匹敵しそうな幻の古代巨大道が、
最近分かってきたそうです。

●難波大道(なにわだいどう)
日本書紀の推古天皇21年(613年)に記載がある、
難波宮の南門から南端は長尾街道・竹内街道・河内和泉国境との交点のいずれか。
約17mの道幅は、藤原京の朱雀大路に匹敵する規模で、
他には類を見ないほど格段に広く(現在の道路の4車線分に相当)、
南北正方位に合致して、一直線に整備されていた。
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地下鉄谷町線、田辺駅下車。徒歩10分。
田辺大根ゆかりの碑がある紫金山 法楽寺
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その法楽寺の外周に立て看板がある。
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道路は圧倒的に地域名を冠して呼ばれることが多いが、
「大道」には地域名が付されていない。
難波宮と関わりがあることから、大和と河内とを結ぶ
特殊な扱いを受けた官道に限って大道と呼んだ可能性がある。
ヤマト王権は推古8年(600)にも推古15年(607)にも遣隋使節が、
駅制が発達し大量の軍隊を即座に派遣できる巨大な道路網を見、
王都で縦横に築かれた巨大な街路を目撃し、報告。
中央集権国家を目指していた当時の為政者たちは、
外国に侮られてはならないと思い、作ったとされている。
http://www.pref.osaka.lg.jp/tondo/omonajigyo/naniwataido.html
1979年に初めて一部が発掘され、明らかになってきた。
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781年に即位した第50代・桓武(かんむ)天皇は、
大和の地から長岡京、
そして794年には平安京へと都を遷していきますが、
難波津を含めた難波潰しを行い、
9世紀初頭には「難波大道」も廃絶したようです.


現在大阪市天王寺区と堺市北区金岡町に、町名として大道という名が残っている。





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