1つ目
「パン屋」を「和菓子屋」に…道徳の教科書 初検定で8社が一部修正
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1919260.html
「パン屋→和菓子屋」 文科省書き換え指示の誤解が広がった理由とは…
http://www.sankei.com/life/news/170401/lif1704010068-n1.html
「パン屋を和菓子屋にしろ」と指示したのではなく、「文章の何処かに 日本の文化や歴史に関する内容も入れて」と指導した結果、パン屋を和菓子屋にすれば 日本の文化のエピソードを無理なく挿入できるからと 出版社側が自主的に変更したという話。
産経の記事でも言及されているとおり、パン屋のままであったとしても 和洋折衷の代表例である「あんぱん」のエピソードを加えていれば、検定を通過していただろう。
まぁ役所が定められた要項どうりに指導して、業者がそれに従って変更しただけなのだけれども、そんな当たり前のことでも 最近は「忖度」と責めるのだかたら、面倒くさい話だなと。
2つ目
教育勅語の教材使用、説明避ける内閣 判断基準説明せず
http://www.asahi.com/articles/ASK434JXWK43UTFK006.html
まぁサヨクの大好きな「内心の自由」の問題も絡んでくるわけで、「(教育勅語の使用は)認められるけれど 国として使用するつもりはない」という政府の答弁は、出来得る限りギリギリの誠実さではなかろうかと。
いや、サヨク的な内心の自由は神聖にして冒すべからざるもので、ウヨク的な内心の自由は絶対に許されざるものというのは、さすがにフェアではないだろうと。
もっとも、教育勅語を暗唱させてるような幼稚園に、自分の家族を預けたいかというと ノーサンキューではあるけれど。
「(教育勅語は)思想信条とは関係ない 単なる徳目教育のための教材」と言う人もいるけれど、わざわざ教育勅語なんか使わなくても、同程度の道徳教材なんて山ほどある話。それを敢えて教育勅語を使うというのは、そういうことなんだと思わざるをえないだろうと。
自分が考えた結果として、右や左に逸れていくのは仕方ないと思うのだけれども、自分での判断力に乏しい幼児期に思想教育するというのは、さすがに卑怯だよなと。
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