今から75年前の昭和16年12月8日。早朝に飛び立った爆撃機が
ハワイ島の真珠湾に停泊していたアメリカ軍の戦艦や航空母艦など
を奇襲攻撃をして、日米間の戦争に突入。
私が生まれて1ケ月と10日目のことでした。今や後期高齢者となり
ましたが、戦争責任は私自身は感じていませんが、友人や知人には
父親を戦死で亡くしたり、戦後の抑留により甚大な被害を受けた家族
もいます。幸いに親戚知人には戦死者居ませんが、私の父も終戦の
間際に召集を受けて、沼津の連帯に入隊しましたが、時既に遅く終戦
の日を迎えて、除隊となりました。
乳の母方の実家で、跡継ぎの息子が昭和14年頃?中国で戦死して
跡継ぎがなくなり、父が養子として実家に入りました。そのためお墓に
鉄兜が載っているのです。戦死した息子のためにお墓を立てたのです。
多分出来の良い自慢の息子だったのでしょうね。
私は軍服を着た写真でしか見たことはありませんが、お墓が二つ並び
に立っていますので、いつも両方にお参りしています。
幼い頃に一緒に遊んでくれた御隣のSさんのお宅では、父親がロシア
に抑留されて5年間抑留生活だったので、生活は苦しかったようです。
終戦の間際に参戦してきて、領土を押さえて、しかも兵士を抑留させて
極東の開発作業に投じてしまうロシアほどあくどい国はありませんね。
抑留から帰国したばかりは、やせてひどい状態でしたね。三人兄妹でし
たが上の二人の兄さんたちには良く遊んでもらいました。栄養不足か
二人とも早く亡くなったように聞いています。妹さんは我が家の近くに
暮らしています。
終戦記念日がくると、多くの人の人生を大きく変えた出来事だったと、
実感いたします。
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