http://www.sharing.org/node/736#パートIII:愛の実践を行動で示す より
パートIII:愛の実践を行動で示す
先ほど、環境主義者がアドボカシー活動の中で分かち合いの原理をどのように受け入れ始めているかをあなたは説明しましたが、分かち合いについての内部の展望を環境問題への取り組みに導入するというのはどういう意味ですか。他の言い方をすると、運動家が「ハートを従事させ」、そして「愛の実践」を行動で示す時、それをどのように知ることが出来るでしょうか。
それは、私たちが各々の目標を追求し続けると同時に、世界問題の内側について考えるという問題であり、環境運動家がしていることを止めるべきだとか、方向転換すべきだとかいうことではありません。これが主に何を意味するかというと、私の著書、世界人権宣言第25条を布告するの中で考察されるように、気候変動や私たちが支持する何か他の目標に取り組むよう政府に行動を要求すると同時に、世界飢餓の完全根絶を提唱することは可能です。環境危機の基本的な内部的または霊的意味合いは、それが人間の意識を惑星レベルにまで拡大したということであり、それは何百万という人々が自国や自己のコミュニティ内の環境だけでなく、世界全体の環境、私たち万人のものである世界の大気や生物圏にも良いことを考えているということです。飢餓及び風土病的貧困の現実への世界的認識が祟られているかのようである一方、環境的懸念を心棒することはそれに比べて現在おおよそ流行りとなっています。
しかしながらもし私たちが大きな環境デモをオーガナイズ出来るなら、毎年貧困関連の原因から何百万という人々が不必要に死んでいるのを私たちが知っていると同時に、飢餓者に食べ物を与え予防可能な病気に苦しむ人々を助けるために政府に前例のない行動を要求する、大規模な抗議デモをなぜオーガナイズ出来ないのでしょうか。私の著書で既に述べた同じ論点を繰り返したくはありませんが、世界問題に関する私たちの認識は余りに断片的であり、環境主義者の多くに私たちは世界の飢餓及び貧困危機について話すことさえ殆ど出来ません。それは、環境主義が他の幻惑や自ら作り上げた「主義」に服従しているということです。
環境主義者が未来世代の子供たちのために発言するのを私たちはしばしば耳にしますが、公認済みの政府の怠慢の結果として飢餓から死んで行っている今世代の子供たちについてはどうでしょうか。それらの子供たちは事実、私たちの集団的自己満足的な無頓着さ、無知及び無関心を通して主に表現されるように、この惑星に充満する内部のCO2の結果死んで行っているのです。最も実際的及び人間的視点から、貧しいコミュニティの子供たちもまた、私たちが世話をし保護すべき自分たちの子供ではないのでしょうか。恵まれた富裕国における「私の子供たち」または「私の未来」のことだけを考えるものの見方のようなものは、それ自体の中で正しい人間関係に関連して存在する最悪な種類の公害です。それは、愛の実践や真の認識の理解から程遠く、実に偏って惑わされた考え方です。
再度グローバル経済危機が起こった場合、政治家が環境を棚にしまい込んでしまう危険性について私は先ほど述べましたが、何百万もの人々が気候変動の脅威に集中している現在、それはいかにも私たちが永続的な世界飢餓の危機を既に棚にしまい込んでしまっているかのようです。極貧生活の結果、毎週死んで行く何万人という子供たちと比べあなたの家族が既に必要以上に恵まれている時、あなたの曾孫の福利について懸念することが健康的態度だと、本当に私たちは信じることが出来るのでしょうか。これらの心情を地球温暖化に関しての知識豊富な意見の中にいくらくるもうと、それでもそれは「飢餓は過去にも未来にも常に付きものなんだ」と言う、自己満足的で無頓着な人間と同じ思考設定なのです。そしてこの思考設定が世界人口の幅広い層に存続し続ける限りは、気候危機への対応として「どうこうしても私たち全員が結局のところ絶望的なんだから、考えてももうどうしょうもないよ」と言う人々が常にいることでしょう。
世界の死に行く貧困者に食べ物を与えることより世界の平均気温を下げることにもっと関心があるかのように、世界の飢餓及び貧困危機について決して言及することのない多くの著名な気候変動活動家やキャンペーナーもまた存在します。従って、彼らは全世界やひとつの人類の共益ではなく、現代の豊かな社会に住む人々の共益を実際は支持しているのです。私に関する限りは、ブラント報告と最新の回勅「ラウダート・シ(主に賛美)」に反映されるように、それがなぜこの問題の最先端に立つ霊的権威者がウィリー・ブラントとローマ教皇フランシスコであるのかということです。
世界人権宣言第25条を布告するの第3章であなたは、「全生態学的問題解決の起点となる豊かさの中の貧困という不正を是正することなく、気候変動や環境危機に取り組むこともまた決して出来ない」と主張しています。あなたの理屈付けの方向性を要約して貰えますか。
読者が自身で理屈付けの方向性を熟考することを私は促しますが、必要不可欠のメッセージは、絶え間ないデモンストレーションがすべての国における何百万人という人々の間の結束の莫大な表現を通して、危機的な世界情勢に新しい方向性を与えるための唯一の方法だということです。すべての男女子供が基本的生活必需品へアクセス出来るべきだと要求する世界人権宣言第25条は、その実現がグローバル政治及び経済情勢において驚くべき変革の前兆となることを考慮すると、大衆のための正義と自由への真に偉大なガイドです。
これは特に、国連安全保障理事会に代表される企業利益や主要なパワーでなく、世界の人々の組織として見なされるべき国連に関係しています。このように、第25条の人権を中心に回る絶え間ない世界規模の抗議デモが最終的にブラント報告を交渉テーブルへ、または少なくとも主要な国際的優先事項として、飢餓及び極貧根絶の再分配緊急プログラムのために第25条の申し立てを高レベルにおける交渉テーブルへ戻すことが出来るのです。それは本質的に、私たちのより長期的な安全保障と環境危機へ取り組むために必要な世界経済の更なる構造変革への入り口なのです。
このインタビューである程度私たちが考察したように、私の著書の中で私が事実と仮定する商業化の問題についての見解が中心となる手短な記述を誰もがフォローし、理解することが出来ます。何ヶ月でなく何年と続く、そして何百万でなく何億もの人々による止むことのない抗議活動なくしては、結果として、政治及び経済制度を支配する商業化勢力は世界の動向を更なる大惨事と大混乱へと激化させ続けるでしょう。
現在の状況では、世界の炭素排出の規制、飢餓の永続的根絶、難民危機への取り組みの重荷分担のための大胆な議題を国々が実施することは不可能です。しかし短い年数内で命を脅かす貧困の道徳的屈辱を根絶するために政府が世界資源を分かち合うことに一度全力を投球するなら、気候変動への取り組みと環境の修復に付随する問題など、解決において国々が協力し合い分担せねばならないであろう他の多くの問題があります。万人の基本的社会経済権を永続的に確保することにより、どのように世界の人口レベルを安定させ最終的に逆転させるかについての難解な問題など、議論の余地のない論理を説明するために私の著書の中では単純な演繹的推理を用いています。
しかしながらこれら実際的及び人間的疑問を理解するために学説や「主義」の中で動く必要はないため、これは私が促進しようと試みている変革に関する更なる学説ではありません。私が提案するままの世界問題の解決策はその概念化において際立って簡単明瞭ですが、より深淵な疑問は、もし何百万という人々が単一目標と統一した目的を持って断続して抗議するなら何が起こるかということに関係します。それは、愛とハートの認識の欠如についての「内部」的探求の方向に私たちを連れ戻す疑問です。もし私たちがすべての国での第25条の実現を監督する権限を国連に与えることに集中した、無限に続くデモンストレーションを見通すことが出来るなら、ひいてはそれは何百万という人々が危機的世界情勢の現実をより明確に見るための、更なる認識をもたらす効果を持つでしょう。
今日私たちが目撃している問題、惨めさ、分裂及び憎しみのすべては、国連の創設以来私たちが世界の資源を分かち合うことに失敗して来たこと、そして間違った方向に一直線に突っ走り続けているという事実が原因だということを、私たちは集団的に認識せねばりません。この意味で、第25条が世界問題への解決策ではなく、認識、共になること、愛を通して、そして、手遅れになる前に分かち合いの原理を世界情勢に実現せねばならないという理解を通して、惑星規模で人間のハートが目覚めることが解決策なのです。
もし十分な人々がこの喜ばしく希望に溢れる理解に達するなら、ひいては自分たちの集団認識が世界の相互連結した危機の間の繋がりを認識するためにやがて拡大されるであろうことを、私たちは心に思い描くことが出来るでしょう。一度人類の大部分が飢餓及び貧困問題を解決することに心底から集中するなら、人間の人間による搾取の観点から、そして多国間企業によってもたらされ合法化された窃盗と破壊の観点から、環境問題の下地となる正義を私たちはより進んで知覚することが出来ます。その内に何百万という一般人が社会の有形財や無駄な消費への強迫観念に疑問を持つよう導かれ、成功しお金持ちになるために常に奮闘する代わりにもっと簡素に生活することを求めるでしょう。
それは文化的及び社会的制度だけにでなく、教育制度にもまた途方もない効果を持つでしょう;誠に、万人の基本的ニーズを確保することの効果は、最終的に人間の試みの全側面を持ち上げ有益でしょう。もし私たちが第25条を最終的に一世代で実現したら社会に起こるであろう膨大で並外れた変革を、私は手短に要約しているだけです。それは、例え世界の大部分がこの壮大な目標を支持したとしても、長く難しいプロセスになることは疑いありません。
富裕国でのより資源非消費型の生活様式や国内及び国家間でのより公平な生活水準を実際どう実現し得るかということに関係する、これまであなたがただ軽く触れていただけの重要な問題について今あなたは示唆しました。このインタビューの最初の部分でこの問題を顕教的または「外部的」視点からあなたは手短に言及しましたが、現代の消費者社会における私たちの姿勢や態度に不可欠な変革をどうもたらせるかについて多くの疑問が残っています。これは、人間の意識転換や私たちの集団的認識の拡大の観点から、内部的または心理的展望からのみ真に理解され得る問題でもあるのですか。
私たちが真の答えを知覚できる唯一のところの、もっと包括的、霊的または心理的展望からこの疑問の駆け引きを僅かな改革的思想家しか考察しないというのは本当です。最初に理解すべきことは、地球の生物物理学的限界の中で人口がより簡素及び公平に生きるために、全世界を通してストレス及び落ち込みを減少させねばならないということです。人類の大部分が終わりのない紛争、分裂及び不正を伴う機能不全社会で生きる重圧が原因のストレスで苦しんでおり、そしてそれらすべてのストレスの結果がすべての側面における恐怖なのです − 他人に対する恐怖、変化への恐怖、生きることへの恐怖、自分自身になることへの恐怖。そしてより簡素に生きることが、内部的により自由で無執着であることをもまた私たちに要求する時、ストレス、落ち込み及び恐怖に苦しむ人にそうすることは期待出来ないのです。
ストレスや落ち込みに苦しむ誰かを内的に観察すると、その人の中の動きは、その性質が物質的であろうと心理的であろうと執着によってより安心感を得るという逆の傾向なのです。そして存在することへの恐怖の結果として、すべての不平等さを伴う社会に反撃することにより、多くの人々は更に安心感を得ようとし、従って多くの「主義」と「イデオロギー」が常に強化され避難所として目を向けられます。この内部の追求に沿った方向性を追うことは、私たちの時代の大混乱がなぜ非常に深刻で衰弱させる要素を持つのか説明するにもまた役立つかもしれません。なぜなら混乱が世界規模の伝染病となる時、それは人類の創造性を著しく減少させ、社会に必要とされる斬新な変革が起こるのを更に妨げるからです。
熟考すべきこの問題のもうひとつの重要な側面は、生きることの歓びを経験することなく、私たちは集団で自分たちの生活様式を簡略化することが出来ないということです。それにもかかわらず、非常に不平等で不正な、そして非常に混乱して無知な政治家に腐敗させられた機能不全な社会では真の歓びはあり得ません。私たちが識別し大まかに区別できる二種類の歓びに満ちた生活があります。ひとつは表面的な楽しみや商業化の幻惑から生じ、私たちが長い間考察して来たようにそれは全幻惑の中で最大の幻惑です。しかしもうひとつの人生の歓びは真の霊性における生きる歓びであり、分かち合いの原理がグローバル経済と政治情勢に一度融合されるなら、それは明瞭となりその本質を明らかにすることが出来ますが、今日おおよそ誰にも知られていないのです。
これらふたつの相反する生活様式は、まるでお互いが相殺し合うかのようですが、今日、商業化勢力によって提示され幻惑的な喜びに満ちた生活は、人類が無意識に取り入れるよう押しつけられて来たのです。従って生きることの歓びは、慈悲を通して、認識を通して、そして私たちは皆ひとつであり、共になることや愛において皆平等であり本質的に同じであるという歓びに満ちた理解を通して、ハートによって差し出されるのです − それは、大量消費によって失墜させられ、私たちの日常の出来事の中で大部分が感じられていない生活様式です。コミュニティ・レベル、または2011年のウォールを占拠せよやタハリール広場など平和的大衆抗議のための臨時の野営地において、私たちは歓喜に満ちた在り方のほんのかすかな光を経験したに過ぎません。
これは、世界人権宣言第25条を布告するで紹介され更なる詳細が必要な題目であるところの、豊かな主流社会でのよりシンプルな、より歓びに満ちた生活様式は、世界中での第25条の実現によってのみもたらされ得るという意味ですか。
もしあなたが私が言っていることを知的にだけでなく、ハートの認識を通して理解出来るなら、ひいてはシンプルに生きるということはこの過度に商業化された世界ではかなり大変なことであり、私たち共有の惑星の資源力内でどのようにもっとシンプルに生活すべきかを人類に教えるのは第25条の実現だと理解出来るでしょう。飢餓や他の貧困関係の原因で毎年何百万という人々が不必要に死んで行く限り、私たちは各自の生活水準の中でもっとシンプルにそして平等に生きることが決して出来ないのだとあなたは考えることはないですか。
まさに、日々生存するための苦闘に疲れ果てた何百万という多くの貧困者がいるように、隔離された環境の中で裕福であることに飽き飽きした多くの極度に裕福な人々がいますが、彼ら全員を結びつけ、世界中で生活水準の壮大な格差によってもたらされた緊張を削減出来るのが、第25条を完全に保障することの展望です。心理的及び霊的視点から第25条は、人生と人間関係への私たちの態度の中の貪欲、不正直さ及び野心の発生率を削減させる可能性を持つ尊厳と自由の驚くべき基盤を象徴します。そのことは、社会組織の様々な様式を簡略化するのに必要な愛と認識を解放する前触れとなるのです。
結局のところ、利益やパワーの追求から生まれた乱用でないなら、気候変動の根本的原因は何でしょうか。なぜなら、環境を乱用し、他の人々を食い物にしない限り、膨大な規模で利益を上げることは不可能だからです。持続不可能である大規模な消費パターンを通して、まさに全システムを維持することに私たちが加担しているように、政府と大企業もまたこの破壊的な経済秩序の維持にどのように加担しているかを私たちは観察して来ました。しかし、「ひとつの惑星生活」の視点からは悲惨にも持続不可能だと私たちが知る通り、西ヨーロッパや北アメリカで生活する人々のように過度の消費型生活様式を味わいたいと熱望する発展途上国の何百万という貧困者を含んだおおよそ全員が、更に消費し、彼らの生活様式を向上させたいと望んでいるのです。
この社会で簡素な生活をする唯一の方法は、隔離されたコミュニティに引きこもることですが、それは、一定の不可逆的転換点を既に超えたと科学者の多くが信じる気候変動の世界問題の解決策にはなりません。自給自足のコミュニティでもっと質素に生活することがどのように有益であろうと、それは実際には唯一短命な逃避でしかないのです。なぜなら早かれ遅かれ世界の問題は、どこに住もうと私たちを見つけ出しにやって来るからです。これは、今日のすべての問題は世界的問題であり、それらを解決するには全世界の参加が要求されることを人類に教える、気候変動のもうひとつの霊的意義を指し示しています。それはまるで天候でさえが、人類の霊的結束から自分たち自身を分割するのを止めるよう私たちに求めているかのようであり、貧困根絶と環境救済の問題を連結させることに十分な人々がハートを従事させない限り、よりシンプルでより歓びのある生活様式がもたらされることは決してないのだということを意味します。
世界情勢においてまず初めに第25条の実現が優先されるまで、世界的によりシンプルな生活水準を実現することは不可能だとあなたは言っているようですが、これが、分かち合いの原理に基づく必要のある社会とグローバル経済システムの「外部的」構造改革だけでなく、人類が変革すべき必要性に対する「内部的」認識双方を解き放つものだからでしょうか。
どの方向からこの問題を見ても、すべての国々で一連の効果的な法として第25条実施の必要性を私たちが理解するまで、それが人類の「内部的」変革と、惑星的限界内で機能する持続可能な経済を最終的にもたらす社会の「外部的」変革双方への入り口であるため、私たちの考えの中で、そして新たな社会のための遠大な展望を伴う提案の中で前進することは出来ません。枯渇する天然資源の過度の搾取を防止する新たな法律及び経済の実践維持に必要な集団的認識へ他に何が私たちを導くと考えられるでしょうか。万人が基本的ニーズを保証される時、そして資源が世界中でより平等に分配される時、ひいては新たな国際ガバナンスの枠組みが、私たちが環境を保護し、不正義から解放された生活をすることを可能にし、従って人々がただ単に生きることが出来るよう、生きる歓びをもっと簡単に実現するだろうことを恐らく私たちは見通すことが出来るでしょう。
ここで私たちは、国々の間の未来の貿易協定を第25条の実施が決定するであろうところの、グローバル・レベルでの完全に異なった経済的取り決めによる資本主義と社会主義の融合したものについて実際話しているのです。それは例えば、もしどこかの国に余剰食糧があるとして、世界の他の場所で何百万人もが飢える傍ら、その国が利益のためにその食糧を輸出することを求めたり大倉庫で腐るまま放ったらかしにすることがないということです。ひとつの代替的経済パラダイムとして、どの国であっても生産物が国内ニーズを上回るなら、生産が不十分な他国へ再分配または交換されることを可能にする国連内の新たな専門機関など、その目的のために特別に設置された機関によって管理される、世界的蓄えの何らかの形態に寄付するということも可能でしょう。
私たちはこれを、地球の非再生可能資源の限界ある供給を使い尽くすことなく万人が楽しむ権利のある十分な量の物資や農産物を国際コミュニティが生産することを可能にする、真の構造調整として考えるかもしれません。しかし、断続する世界人口の爆発、最富裕国及び最貧困国での人々の生活水準における拡大する両極端、そしてこの惑星のバイオキャパシティを既に遥かに超え増加する天然資源の過剰消費をもって、これをどう達成出来るのでしょうか。
分かち合いの原理に基づく簡略化された経済システムについての詳細を私たちは好きなだけ議論出来きますが、事実は、利益や競争的な自己権益の完全な追求が背後に潜む商業化勢力によって人間が非常に条件付けられている間は、これらの方向に沿ったどのような構造改革も新たな法律も導入され得ません。人類の意識の中で環境コモンズを妨げている心理的要因が利益の追求でないなら、それは何でしょうか。そして、社会でフリーエネルギーの基盤として常温核融合技術を確立することへの内部的障害が利益の追求でないなら、それは何でしょうか。人生の内部的または霊的現実への認識の中で遥かな未来へ私たちの想像を拡張することによって、この古い問題からの唯一の出口は需要と供給の法則の中のグローバル経済情勢に物々交換の実践を構造化することだという結論に私たちは達するかもしれません。知られるように、利益の追求は人間及び自然双方に害を及ぼしストレスの原因となります。その傍ら、物々交換の実践は無害であること、シンプルであること、そして正しい人間関係へと正反対の傾向に基づいています。
このトピックについて更に多くが語られるべきですが、人間関係と経済的交換のこのような新たな様式は、私たちお互いの関係や私たちと自然環境との関係を完全に異なった方法で見ることを要求するそれ自体が広大な主題である、自己知識に基づいた新教育が同時に導入されることなくして持続することは不可能でしょう。言うまでもなく私たちは、もっと原始的な生活様式に戻ることについて話しているのではありません。そして宇宙の中の自己の存在について人間生来の好奇心が学ぶことを止めることが出来ない傍ら、人間社会の進化においてイノベーションとテクノロジーの役割が常にあるでしょう。より簡素な生活水準の必要もまた、私たちが消費する資源の量や種類以上のことに関係するのです。なぜなら、外界と私たちの関係における内部の自己についての認識を暗示する生きる術があるからです。更にシンプルで更に歓びのある、そして更にハートが従事する生活のあり方は、外部からのどのような権威者によっても人々に強制されるべきでなく、そしてそれは他のすべての生き物と霊的結束の中生きるという自己の意図への内部の認識を通して各人、そしてすべての人の内部から養成されねばなりません。
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