怒りや悲しみなどの感情は、抑えてはいけません。
抑制や我慢によって感情を抑えると、その感情は消化されることなく、歪んだカタチでそのまま心に蓄積されてしまいます。
いわば、「感情の冷凍保存」とでもいうような状態です。
そして、知らず知らずのうちに鬱積され、巨大化したそれらの感情はいずれ何かを切っ掛けに大爆発を起こしてしまいます。
そのエネルギーが外側に向けば「攻撃」となり、内側に向けば「自傷」となります。
感情は外界からもたらされるものではなく、僕たちの内側にすでに蓄積されているものです。
そしてその蓄積には、いわゆる今生で積み上げられたものだけではなく、過去世から引き継いでいるものも多々あります。
ただしそれは、多くの方が信じている過去世の考え方、「永続する個的魂」として引き継がれたものではなく、実際は、現在保有している「自分」という感覚とはまったく関連のない、いわば「赤の他人」の記憶(未練)の継承です。
また、これまでお話してきた通り、「個人」という分離意識自体が錯覚であるため(本来は一つの同じものであるため)、「個人が所有してる感情」や「私のカルマ」などといった観念もすべて錯覚です。
感情もカルマも、生命エネルギー同様、我々が共有しているものです。
「誰かにあって、誰かにない」、という性質のものではありません。
その影響を多く受ける状態にあるか否か、という違いです。
いわゆる「目覚め」や「さとり」と呼ばれる状態は、僕たちの中に鬱積されていた膨大な記憶のエネルギーが一気に放出され、歪んだ感情エネルギーの影響を受けづらくなったものです。
僕たちの前に日々現れる、一見不都合な出来事の数々。
それらは、僕たちの心の奥深くに蓄積している、それらの感情の存在を思い出させてくれる「スイッチ」や「サイン」なのです。
その切っ掛けに反応して出てくる感情の多くは、劣等感や罪悪感、恨みや後悔などと呼ばれている記憶と連動しているため、僕たちにとっては、決して心地のよいエネルギーではありません。
そのエネルギーと向き合うことが不快であるため、多くの人はそれに触れないよう、そのまま冷凍させて心の奥底に隠してしまうのです。
そのようにして僕たちの顕在意識は、心の奥底に隠した感情を見ないように努力しますが、潜在意識では、溜まりに溜まったそれら(未消化の感情)の解放を求めています。
怒りや悲しみは、ある日突然僕たちの外側からもたらされるのではなく、潜在意識が、日々それらを解放する切っ掛け・口実を探している、という状態にあります。
僕たちは普段、それらと向き合うことから逃げてしまいがちですが、「感じる」ということを通して、はじめて消化・解放されます。
泣きたいときは思いっきり泣き、怒りたいときは真剣に怒る。
ただしそれは、そのエネルギーを何かにぶつけることとは違います。
僕たちにとってその「現実」がどのように認識されていようとも、その感情があるのは、実は、誰かや何かのせいではないのです。
その感情の原因を探し、誰かや何かになすりつけることは、「感じる」ということを拒んでいる状態です。
それは決して「怒りや悲しみの発散」とはならず、「エネルギーに対しての抵抗反応」をしているにすぎません。
「感じる」というのは、その存在を受け入れるという自己処理であり、いわば「味わい」に近いものです。
また、いわゆる「引き寄せの法則」は、顕在意識ではなく、潜在意識によって発動されるものです。
つまり、怒りや悲しみなどのエネルギーの蓄積があれば、潜在意識はそれらの解放を求めて、一見不都合と思える事象を現象化させてしまうのです。
不都合な出来事によってその存在を知らしめられたエネルギーが、解消されずにそのまま心の中に残っていると、僕たちの潜在意識は何度でも解放を求め、繰り返し「サイン」を送り続けます。
内在していた怒りや悲しみが湧き出てきたときは、それが出てきた切っ掛けの側を責めるのではなく、自分が本来隔離、保有していたものだという認識のもとで、それらのエネルギーを「感じきる」ということを心がけましょう。
冷凍保存されていた数々の感情が解放されるたびに、僕たちはそれらのエネルギーの影響を受けづらい状態になっていきます。
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