五輪=陸上唯一のロシア選手、クリシナがリオ大会出場禁止に
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世間さんは、リオ五輪のメダルラッシュに沸いている。
8/15現在 日本のメダル獲得数は、
日本のメダル獲得数26個(金7、銀4、銅15) で世界で5位。
対して、五輪開催直前までドーピング問題に揺れ、陸上競技の全選手を欠いた
ロシアは、、、、
4位 ロシア 30個 (金9 銀11 銅10)
米・中・英国に次いで 日本を押さえて堂々4位である。
出場できなかった露の女子走り高跳びのイシンバエバは、先日、
「 私たち抜きで、ニセモノのメダルを獲って喜ぶがいい! 」
と言い放ったが、結構ニセモン喜んで獲りまくっとるやんけw
ニセモンGO!?
かって、そのニセモノの汚れたメダルを大量に取り捲っていた国があった・・・
それは、現在のドイツ、旧東ドイツである。
1972年のミュンヘン五輪では、当時の米・ソについで第三位の金メダル20個
次のモントリオールでは、当時のソ連でさえ抜き去り第二位の40個の金メダルを獲得する。
現在のドイツのメダル獲得数より多い数である。
※ 全体の9位 ドイツ 17個 (金8 銀5 銅4) 8/15現在
現在の半分にも満たない当時の旧東ドイツが、
現在より、メダルを多く獲得できていること自体
オカシイだろーよ?w
その、裏側には旧東ドイツの国ぐるみの不正
【 国家計画 14.25 計画 】があった。
現在のドーピングの主流は、筋肉増強剤(ステロイド)であるが、
初期においては男性ホルモンであるテストストロン投与が一般的な手口であった。
人口1600万人の小国旧東ドイツが国の力を示すため、スポーツはうってつけだった。
そして1968年のメキシコシティオリンピックから、それまで東西統一ドイツチームでオリンピックに参加していたものが単独参加となった。
当時のスポーツ省の医師ヒョップナーたちは1968年からドーピング実験を開始。
選手に「経口トリナボール」という男性ホルモンを投与することでパフォーマンスを上げることに成功。
旧東ドイツ選手は、1964年の東京オリンピックでは金メダル3個だったが、1968年メキシコシティオリンピックでは金メダル9個、さらに1972年のミュンヘンオリンピックでは金メダル20個、を獲得した。
ちょうど、その頃、日本でも奇妙な噂が流れていた。
タマラ・プレスという旧ソ連(現在のウクライナ)の女性選手が男だと言うのである。
タマラ・プレス(ロシア語:Тамара Натановна Пресс、1937年5月10日 - )は、旧ソビエト連邦の陸上競技選手。
1960年ローマオリンピックと1964年東京オリンピックの投てき種目で3つの金メダルを獲得した選手である。
砲丸投、円盤投とも6回の世界記録を樹立している。
ローマ大会の80mハードルと東京大会の五種競技で金メダルを獲得した妹のイリーナ・プレスとともに、プレス姉妹と呼ばれた。
果たして彼女たちは女性だったのか?という疑問がある。実際彼女たちの性別に対してのチェックは行われなかったといわれている。両性具有者という者も、またある者は男性ホルモンを注射していたためという。
「プレス兄弟」と中傷したものもいた。すべての国際的なスポーツ大会で性別検査が義務化されるようになったのは1968年からである。(2000年のシドニーオリンピックでは廃止)
彼女たちはスポーツの舞台から姿を消した。
●国家計画14.25
1974年にIOC(国際オリンピック委員会)は経口トリナボールを禁止薬物に指定した。困った東ドイツは、国家ぐるみでドーピングを行なう「国家計画14.25」をスタートさせた。スポーツ医たちが、選手の人選や新薬の開発などを一手に行なう計画である。この計画のリーダーがヒョップナーだった。
ヒョップナーは、検査の目を潜り抜けて経口トリナボールを使うため「マスキング」という手法を開発した。経口トリナボールは使用をやめても二週間は体内に残って検査に引っかかるため、まず検査二週間前に経口トリナボールの使用を中止する。しかしそれでは急激に筋肉が落ちるため、代わって人体内で生成されるホルモン「テストストロン」を投与する。すると筋肉の落ちが緩やかになるため、検査にひっかからず、それでいてハイパフォーマンスが出せる、という訳である。この手で、1976年モントリオールオリンピックでは金メダル40個を獲得。
しかしこの頃から選手のドーピング疑惑は強く疑われるようになっていた。女子の水泳選手が男の様な低い声でしゃべっていたからである。ヒョップナーは政府に対し、マスコミに女子選手にインタビューさせないようにすべき、と依頼していた。旧東ドイツは、1980年モスクワオリンピックでは、西側諸国のボイコットもあり金メダル47個を獲得した。
●さらなる検査逃れ
1983年、IOCはドーピング検査方法を一新した。人体はテストステロンを使用するとその結果として「エピテストステロン」という物質が作られる。検査して両方の比率が6:1以上ならばドーピングと見なす、というものだった。ヒョップナーはその検査をバスするため、ドーピング効果には直接関係しないエピテストステロンも一緒に投与する、という手を編み出した。
●真実の露見
1989年、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツは統一された。旧東ドイツ政府はドーピングに関する資料を破棄したが、僅かな資料が残り、これによって旧東ドイツの国家ぐるみのドーピングが暴露された。国家計画14.25の犠牲者は選手たちだった。選手たちは、自分たちがドーピングを行なわれていることを知らないまま競技していたのである。彼らが獲得したメダルは全てが実力では無くドーピングの成果でしかなかった。しかも、競技をやめた後もドーピングの副作用に襲われた。うつ症状、腎臓や肝臓の病、ホルモン分泌の異常、等。ある女性選手にいたっては男性ホルモンを投与されすぎたため、体が男性化してしまい、性別を転換する羽目になった。
犠牲となった選手たちによりヒョップナーは訴えられ2000年に裁判となった。
しかしコノ計画を指揮したヒョップナーは執行猶予2年の罪に問われただけだった。
そしてその後ヒョップナーは姿を消し、今でもドイツのどこかに住んでいるはずである。
そして、当時の実験データの多くは当時の東独の親方である旧ソ連、現在のロシアに
持ち去られ、現在に至っている。
ドーピング初期のホルモン投与の研究。
これを最初に着手したのは当時のナチスドイツなのである。
戦場での兵士の士気高揚や、女性兵士の養成のためとも言われる。
現在主流の筋肉増強剤(ステロイド)は、米国でベトナム戦争以来、戦場で負傷した兵士の
治療の為に発達した皮膚及び筋肉の再生復活治療の副産物である。
戦争によって科学は飛躍的に進歩・発達するのは確かに紛れも無い事実である。
だが、ソコには【心を忘れた科学には幸せを求める夢が無い】コトを忘れてはならない。
次の東京五輪で日本がなすべきこと。
それはもしかしたら、世界最高のアンチ・ドーピ−ング技術を駆使した
基準と検査施設の完成なのかもしれない。
【幸いにして当時から、我々の英知たる手塚治虫や阿久悠はこう警鐘をならしていた。
曰く 『心を忘れた科学には幸せを求める夢が無い』と・・・】
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