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2016年07月03日22:50

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マグマ大使 外伝 【 後編 】

初代ウルトラヒロイン・フジ隊員、科学特捜隊の4人は珍獣?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=14&from=diary&id=4070014

伝説の「ウルトラマンの日」に杉並公会堂で50周年記念イベント、

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=3988577
http://www.nhk.or.jp/ultraman50/


ウルトラマンが放映されて、もはや半世紀が経つのだそうである。
そうであるならば、当然アノ作品もまた祝・五十周年のハズである。

ソレは50年前の明日、1966年(昭和41年)の7月4日。
ウルトラマンの放映日7月17日より遡ること二週間前のことである。

日本の放送史上初のカラー特撮ドラマ『 マグマ大使 』 である。

【前編】より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1953848664&owner_id=980114&org_id=1953852847





【うしおそうじという男 ― 漫画の神様の友人にして、特撮の神様の弟子 ― 】


前番組の『W3』が裏番組の『ウルトラQ』に視聴率を奪われたことから、フジテレビがこれに対抗しうる特撮番組制作を企画したことに始まる。
フジテレビはこれをW3を担当していた広告会社東急エージェンシーに依頼。

これに先駆けて、うしおそうじ氏ピー・プロダクションで『クラブ君の冒険』(秋玲二原作)という
テレビ特撮番組の白黒パイロットフィルムを制作していた。

ピープロ社長のうしおそうじ氏によると、この作品を虫プロで試写した際に、W3の絡みで
同席していた東急エージェンシーのプロデューサー上島一男の目に留まることとなった。

これを買い付けた上島はスポンサーにロッテをつなぎ、局に打診したところ、
ロッテ側から「もっと知名度のあるものを」との要望が上がった。




これを受けてピープロのうしおそうじ氏が、当時手塚治虫が雑誌連載中だった『マグマ大使』の
映像化を思いつき、箱根で忘年会中だった旧友手塚の元へ直接談判に向かい、実現させたのが当作である。手塚側は実写化に当たって、当初この『マグマ大使』と『ビッグX』の2作を候補に挙げたという 。

うしお氏から実写特撮ドラマ化の話を持ちかけられた当初、原作者の手塚治虫は1959年の実写版『鉄腕アトム』が1年間に及ぶ人気作となったものの、原作のイメージと余りにもかけ離れていたため、自分の漫画を実写にすることに対し不信感を抱き難色を示していた。

こうした経緯もあり、手塚が『マグマ大使』の実写化を許諾したことは、うしお氏によれば業界の内外でも大きな驚きをもって受け止められたという。後年、手塚はこの作品に関して、「当時の予算と技術力としては最高水準の出来栄えであり、本当に素晴らしい作品だった」と語っている。

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ただ、フジテレビ側では前代未聞の特撮ヒーロー番組企画に及び腰の声が強く、
「この企画が通ったのはひとえに東急エージェンシーの上島プロデューサーの
プレゼンテーションでの熱弁としつこさがあったおかげ」と、うしお氏は語っている。

因みに、この上島Pと言う人は、まんもちゃんがこの東急AGに入社した時の
最初の上司だった人であるw

こうして制作が決定したが、放映開始までの製作期間に余裕がないために、第1話は脚本を製作する暇がなく、そのため原作漫画をほぼそのまま使用したとのことで、「ジェット気流」の説明のくだりなどは主題歌の歌詞の中だけで未映像化に終わっている。

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番組予算はうしお氏によれば、一本につき500万円で、決して低い額ではないが、やはり手間暇のかかる特撮ドラマだけに、ストーリーは基本的に4話で完結する方式を取っていた。
しかし、あまりにも長いストーリー展開に当時の視聴者が難色を示したため、41話以降は2話完結に変更されている。そのため、シナリオも1冊に4話、もしくは2話分のエピソードがまとめられ、後継作の『怪獣王子』も同路線になった。

うしお氏によれば、番組開始前のプランニングには映画畑の人材が集められたが、
その中には後のテレ朝の朝までナマTVの田原総一朗の姿もあったという。

アニメ制作会社でもあるピープロ作品の特徴として、実写とアニメーションの合成が多用されている。 縮小化した「ミクロン人間」が動き回るカットなど、他社には見られない画作りとして高い効果を上げていた。オープニングや、第1話の始祖鳥のカットなどのリアル・アニメーションの作画は、戦前のアニメ映画で活躍した政岡憲三が担当する豪華さだった。また、これもピープロの特色として、渡辺善夫による緻密な合成作画が「マモルの家」など随所に使われ、独特の雰囲気を画面に生み出している。

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漫画版と異なり、放送開始当時の「怪獣ブーム」の牽引役として、マグマ大使と怪獣の戦いを見せ場とし、視聴者から募集したものも含めて多くの怪獣が登場。商品化された怪獣も多かった。劇中で怪獣に破壊されるミニチュアの製作は、円谷英二の下で活躍した入江義夫が中心となっており、日本各地の名所・旧跡の精巧なミニチュアが話題となっ]。東大寺のミニチュアなどは、中にしっかり大仏まで作り込まれているこだわりようで、うしおそうじはこれらのミニチュアについて「現在のテレビ番組では(予算的にも技術的にも)作るのは到底不可能だろう」と語っている。

東急AGのプロデューサーの瀬戸口によると、東大寺を破壊した際には宗教界から苦情が殺到し、脅しめいた手紙まで届いたという。

ピープロとしても初の実写特撮番組でもあり、放映開始に先立ち、うしおそうじは師匠の円谷英二に挨拶をしている。

その後円谷は『ウルトラマン』の放送準備で円谷特技プロダクションが大わらわになっている中、「鷺巣(うしお)くんところのマグマ大使は大丈夫かな」とウルトラマンそっちのけでマグマ大使の心配ばかりしていて、息子の円谷粲らが「親父、少しはウルトラマンの心配をしてくれよ」と頼んだほどだった。

複数の関係者が、円谷がよく現場をのぞきに来ていたと証言しており、特撮監督の小嶋伸介は円谷が満足ではない環境で撮影していることに感心していたことを述べている。

大掛かりなミニチュアの制作時には東宝の若手美術スタッフが会社に隠れてアルバイトで参加しており、東宝や円谷プロの関係者が見学に訪れると隠れてしまうこともあったという。


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主題歌、劇中音楽は山本直純が担当。うしおそうじ氏によると、山本自身手塚の大ファンであり、「手塚さんの番組の音楽を担当できるなんて夢みたいだ」と大喜びで作曲してくれたそうである。また、当初は「0戦はやと」とのつながりから渡辺岳夫を予定していたという。

本作のキャスティングは、岡田眞澄や應蘭芳、イーデス・ハンソンなど、子供番組の枠を超えた幅広いものだが、これは東急エージェンシーのプロデューサー、上島一男の尽力によるもので、
先般お亡くなりになった声優の草分け大平透さんなぞは、自ら悪役ゴアの縫い包みの中に
入って最後まで熱演された。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1951945615&owner_id=980114


ドラマ部分の制作は、東急エージェンシーが主に行い。
悪の本拠地や新聞社等の室内ロケは殆ど東急AG内で撮影され、
まんもちゃんの入社した当時は、オレ、「人間モドキ」役とかモブやってたよという社員が
まだ残っておられたw 当時は何でも手作りの時代だったのである。

製作途中、特撮監督の小嶋伸介が特撮に苦戦していた『怪獣王子』への応援に京都へ移ったため、助監督であった堺武夫が特撮演出に昇格した。

視聴率は30%台をマークし、「第一次怪獣ブーム」の牽引役となった。
アメリカでは『ゴールダー/スペース・ジャイアンツ』のタイトルでテレビ放映された。

うしおそうじ氏は、本名を鷺巣富雄さんといい、
弟さんは、アニメ制作会社エイケンでプロデューサーを務めた鷺巣政安さん。
長らく、サザエさんの総合プロヂューサーをなされてきた。
サザエさんで東芝のCMを作るときには大変お世話になったものである。

長男さんは作曲家・現ピー・プロダクション社長の鷺巣詩郎氏
GAINAXのアニメ エヴァンゲリオンの音楽監督と言うアニメ・特撮一族である。






コノ後、怪獣王子までしばらく続いた東急AGとピープロの蜜月関係も、
次作「豹マン」で時、悪しく仮面ライダーブームにぶつかり暗礁に乗り上げて
終わりを告げ、

ピープロは「 宇宙猿人ゴリ 」「スペクトルマン」方向へ
東急エージェンシーは、ガンダムのサンライズと「伝説巨神イデオン」と

各々、独自の路線に舵を切り歩み始めるのである。




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