創立百周年記念誌の編集協力委員を仰せつかったのは、平成10年ころで
まだ仕事は現役でしたから、正委員ではなくてあるテーマについてのことだった
のかもしれない。頻繁に会合に参加したという記憶もありません。
いま手元にある「掛中掛西高百年史」950ページもの厚みのあるずっしりと
重い、掛川市特産の葛布で装丁された立派なものです。その時の第五章の
「誉は映ゆる」の編集責任を担当していた「馨 哲夫」さんが、よせられた原稿
没にするのは忍びないとして、140ページの冊子にまとめたものを、後日送付
してくださいました。
明後日、掛中、掛西高同窓会の遠州巽北会がありますので、ひも解いて読み
直してみました。昭和18年入学のした当時の学徒動員や軍事教練、空襲の
ことなど、戦時中の勉強など抜きの学校生活なども、書かれています。
平成12年度が、創立百周年でしたから、すでに16年が経ちましたね。掛中で
始まり昭和24年掛川第一高等学校から掛川西高校へと名前が変わりました。
(掛川第一高等学校はという名は、昭和23年から1年間だけでした)
そして、男女共学となり初めて女子生徒18名が入学しました。
私が入学したのは昭和34年4月ですから、掛西高校になって10年がたち、
校内は落ち着いていましたね。K¥静岡国体が開催されて、レスリング会場
へ天皇陛下夫妻が体育館に見えられましたね。
ログインしてコメントを確認・投稿する