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2016年06月29日09:06

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隅田川上流部(浅草→赤羽)散歩オフ

日曜日は東京再発見の隅田川上流部を歩くオフに参加してきました。川沿いを歩く企画で、浅草より下流部を歩いたことは数度ありますが、上流部を歩く企画は初となります。
9時に吾妻橋横の花川戸交番前に集合して出発。最初に松屋浅草(東武浅草駅)、神谷バー、日本初の地下鉄開業時に作られた銀座線出入口を見ました。

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次いで、スカイツリーやアサヒビール本社ビルを見てから吾妻橋を渡って台東区から墨田区に入り、関東大震災と東京大空襲の被災者の鎮魂のために作られたあづま地蔵尊、海老屋総本舗、墨田区役所横の勝海舟像を見ました。
次いで、東武隅田川橋梁と北十間川の隅田川への合流地点にある源森川水門を見ました。隅田川橋梁は、景観に配慮してトラス橋ではなく架線柱に曲線のデザインが取り入れられたものとしています。設計者は、永代橋や清洲橋も設計した橋梁技術者の田中豊博士で、技術やデザインで優れた橋に贈られる「土木学会田中賞」の名称にもなっています。そして、源森川水門は何故川の名前が北十間川なのに水門が源森川という名称なのかというと、かつては大横川の分流点(業平橋)より西の名称が源森川だったためだそうです。
その後は北十間川の枕橋(旧称:源森橋)を渡って東武の高架を通過して隅田公園に入りました。隅田公園は水戸藩下屋敷(水戸徳川家小梅邸)跡ということで、見どころや解説スポットは多数ありますが、今回はコース外なので明治天皇行幸所跡の碑と、関東大震災により若くして死去した俳人の富田木歩終焉の地の碑の解説のみで次に進みました。
その後は明治天皇海軍漕艇展覧玉座跡の碑、言問橋を通過し、対岸の山谷堀合流地点、鬼平情景みめぐりの土手の碑や、葛飾北斎の絵で説明がなされている解説板数種類を見ました。現在は言問橋の南側に隅田公園に隣接して牛嶋神社、北側に三囲神社がありますが、かつての牛嶋神社は三囲神社よりも北にあったそうです。
次いで、歩行者専用の桜橋を見ました。桜橋には、ポトマック帰りの桜の解説板があり、明治末期頃に当時の東京市長からワシントンのポトマック川に贈られた桜の子孫が、約70年後の桜橋開通に合わせて再び東京に贈られたとのことです。
余談ですが、アンジェラアキ「サクラ色」の舞台となった桜は、ワシントンのポトマック川の桜だそうです。
桜橋では上流から水上バイクの集団が横並びで近づいてきて、まるで競艇のようでしたが、別にレースとかをやっている訳ではないようでした。また、水上バイクの色が赤、ピンク、黄色、緑とカラフルで、戦隊のメカみたいでしたが、当然ロボットへの変形も合体もできません。
その後は、隅田公園開設に伴う移転前の牛嶋神社にあった常夜燈を見てから言問団子に立ち寄りましたが、値段が高めなので買うのは断念。
次いで、隣の少年野球場を見ました。ここは王貞治氏が少年時代を過ごした場所で、「王貞治杯」という大会も行われているようです。
そして、野口雨情の歌碑を見てから、すぐそばの長命寺の桜餅を買って食べました。この店は、若かりし日の正岡子規が一時期下宿した場所でもあります。
その後は川沿いを進み、白鬚橋横のリバーサイド隅田で休憩。ここには色々な店があり、約10年前にここのデニーズに数回入ったことがあるのですが、西野カナ系な店員がいたことが印象に残っています(当時は西野カナはデビューしていませんが)。
休憩後は一旦白鬚橋を渡って対岸にある明治天皇行幸対鴎荘跡の碑、橋場の渡しの案内を見てから戻りました。また、汐入を抜けてくる川沿いの道にいつの間にか「川の手通り」という名称がついていたとは知りませんでした。
そして、白鬚橋を渡って戻ったところで第一猫発見。近づいても逃げない上にカメラ目線でした。
次いで、対岸から瑞光橋や産業技術高専を見ました。瑞光橋のところの水路は公園内で終わっていますが、かつては隅田川貨物駅まで続いていて、自動車輸送が普及する前は鉄道と水運の組み合わせによる輸送が行われていたそうです。
次いで水神大橋を通過し、旧綾瀬川合流地点に来ました。現在の綾瀬川は葛飾区堀切付近から荒川と並行した後に中川に合流していますが、荒川放水路が掘削される前は隅田川に合流していました。荒川放水路掘削で末端部にあたるここが分断されてしまい、分断された部分が旧綾瀬川となっています。
荒川放水路ができたことで、隅田川は荒川の本流ではなくなりましたが、かつてはここから上流が荒川で下流が隅田川と名称が変わる境界だったとのことです。

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また、ここには都内唯一となった造船所もあります。現在の業務はほとんどが整備だそうですが、新造も時々行われているそうです。
その後は、旧綾瀬川の綾瀬橋を渡って墨田区から足立区に入り、墨堤通り沿いを歩いてこの辺りで昼休憩となりました。
昼は焼肉平城苑に入り、おすすめセット二種(オーロラカルビ&サガリ)にしました。税込でもぎりぎり1000円以内に収まる価格ながら、充実したセットなのがよかったです。
午後はまず、千住汐入大橋を通過。開通から10年という新しめの橋で、開通に伴い南千住汐入地区から京成関屋駅、東武牛田駅が徒歩圏内になりました。
ここには水上バス乗り場がありますが、浅草よりも上流に行く水上バスがあることをご存じの人は少ないのではないでしょうか。
以前は毎週末土日の運航でしたが、徐々に減便されて、土日どちらかのみの運航になり、その後は隔週運航になったりした後に、今では月1回程度、しかも平日のみになってしまい、さらに存在感がなくなってしまった感があります。
また、ここには「アメージングスクエア」という遊戯施設があり、かつては巨大迷路やバンジージャンプで人気がありましたが、ブーム終焉によってこれらはなくなり、代わってフットサル場やレーシングカートサーキットなどができました。レーシングカートサーキットには15年くらい前に戸田恵梨香似の怖いお姉さんとその一味と一緒に、フットサル場にはその翌年か翌々年頃にフランスに行った怖いお姉さんとその一味と一緒に来たことがあります。
アメージングスクエア隣は現在スクラップ工場ですが、かつては東武の千住貨物駅でした。国鉄がJRに変わった1ヶ月後の1987(昭和62)年5月1日で廃止になっています。京成高架下などに当時のレールが残っているそうなので、機会があれば確認しに行きたいです。
川沿いを少し進むと遊歩道はいきなり途切れていて、昔からあるカミソリ堤防になってしまい、そこから先はしばらく住宅街の中の道を歩きました。
ここで太成倉庫という会社の横を通ったら、敷地内に「歴史資料館」と書かれた小さな建物がありましたが、調べたところ公式ホームページにも記載がないし、紹介しているサイトも皆無で、一般公開しているのかは不明です。
その先で日比谷線、つくばエクスプレス、常磐線の3路線が並行する高架下を通過しますが、その手前の工場か倉庫で寝ている猫を2匹撮りました。
次いで、尾崎豊が死の当日に倒れているのを発見された家の前を通りました。通称「尾崎ハウス」と呼ばれ、死後に多くのファンが訪れるようになり、住民の好意によってその1室がファンの交流スペースとして開放されていましたが、建て替えに伴い公開は終了しました。
その数軒先には「やっちゃば緑道」という細い遊歩道があります。一見すると川などの水路跡に見えますが、これは北千住駅と足立市場を結んでいた貨物線跡です。緑道の終端はすぐ目の前が市場ですが、貨物線があった当時の建物は残っていないのか、よく探さないと見つからないのか、鉄道遺構らしきものは見当たりませんでした。
その後は、都内唯一の水産物専門市場である足立市場の横を歩いて日光街道に出て、市場入口横の松尾芭蕉像と奥の細道旅立ちの地の碑を見ました。
次いで、かつら並木通りとの交差点を越えて、千住大橋横の大橋公園(奥の細道矢立初めの地、富嶽三十六景の千住浮世絵顕彰碑)を見て、ここで再び隅田川沿いに出ました。千住大橋は昭和2年(1927年)に完成した橋ですが、古い橋は現在日光街道の下り線として使われていて、上り線は後に下流側に増設された橋です。さらに上流側には工業用水の水道橋が隣接してかかっていて、古い橋はそれらに挟まれて川面からは見にくい状態になっています。
また、千住大橋の真下には千住小橋という名前の歩行者専用の小さな橋があるほか、相撲の番付表みたいなデザインの東西の橋番付が書かれていたり、昔の写真や絵が展示されていたりと、資料館並みに色々展示されています。
ここからまた川沿いにしばらく遊歩道が続き、送電線橋、対岸にあるアクロシティを見てから、千住大橋駅周辺の再開発地区に入りました。
この辺りは、(株)ニッピの工場敷地でしたが、再開発によりショッピングモールやマンションとなりました。ここでは櫻神社を見ましたが、門が閉まっていて常時公開はされていない様子でした。元々は工場内の神社だったそうです。
隣のニッピ本社は建物は新しめでしたが、古い門が残されていました。
その後は京成本線線路沿いに出て、線路を越えてからカミソリ堤防沿いの細い道を歩き、都営住宅付近で川岸が整備された場所に出ました。この辺りは川が大きく蛇行していて、水運が盛んだった時代は航行上の難所だったのと、川が蛇行していることで洪水が発生しやすい場所だったそうです。

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ここでちょうど水上バスが通過しました。定期便の運航日ではないので、貸切船ですね。
次いで、帝京科学大学横と水門を通過しましたが、キャンパスに挟まれる状態で東京電力の営業所があり、ここが「おばけ煙突」と呼ばれる4本煙突があった千住火力発電所の跡地だそうで、帝京科学大学の敷地内におばけ煙突の切れ端がモニュメントとして保存されています。
これまで上流に向かって右側を歩いてきましたが、尾竹橋を渡ってからは左側を歩き、足立区から荒川区に入りました。
尾竹橋の名前は、「尾久と竹ノ塚を結ぶ道に架かる橋」でそういう名前が付いたと勘違いしている人が多くいて、私もそれを長いこと信じていましたが、ここにあった茶屋の美しさで人気を呼んでいた女性の名前に由来するものだそうです。橋ができる前は、「お茶屋の渡し」のちに「尾竹の渡し」と呼ばれるようになった渡し船があったとのことです。
ドンキホーテで小休止後に川沿いを歩き、煙突のある皮革工場、尾久の原公園、水再生センター、東尾久グリーンスポット、アデカ本社前を通過しました。東尾久グリーンスポットはバス停の名前になっていますが、非常に小さな公園です。
その後は尾久橋に出ましたが、橋の横にあるアパートはドラマ「トリック」で、仲間由紀恵演じる主人公の住む家「池田荘」として使われました。もちろん、いくらここで待ち続けても仲間由紀恵演じる主人公は帰ってきませんし、阿部寛演じる教授も生瀬勝久演じるかつらの刑事も来ません。劇中の手紙の宛先には「荒川区東尾久9−21−3池田荘202号」と書いてありますが、この番地は架空のものです。
ここで東京初空襲の地と熊野の渡しの案内板を見てから尾久橋を渡って、足立区に戻りました。
ここは日暮里・舎人ライナー足立小台駅前で、今回の街歩きでは数少ない駅近の場所です。
ここで荒川河川敷を見てから、島忠の横を通って隅田川沿いに出ました。猫が2匹いて、1匹は撮れましたが、もう1匹は先客にはよくなついていたのに、私がカメラを向けたら手のひらを反すように逃げてしまいました(涙)。
ここから川沿いに遊歩道はありましたが、まだ完成していないのか、入れませんでした。また、ここにはホンダの2輪テストコースがあったそうです。ネットで調べるも情報が極めて少なかったのですが、島忠の隣のホンダの車ディーラーの店のブログに、2011年9月の書き込みで「新しい店はここにできます」という内容で、スーパー堤防造成前のテストコース跡が残っていたのがよく分かる航空写真が掲載されていました。
次いで、小台橋を通過して対岸のあらかわ遊園を見ました。23区唯一の区立遊園地です。
その先で川沿いの道はなくなってしまい、住宅街に入りました。道がないところに石神井川との合流点があるだけに、見られないのは残念ですね。
都営住宅の間を抜けて、みやぎ水再生センターを通過し、水再生センターの上にある宮城ファミリー公園で再び川沿いに出て、豊島橋を通過して、宮城ゆうゆう公園で小休止。ここも川が大きく曲がりくねっています。
対岸は豊島五丁目団地で、最大14階建ての建物が12棟あるという巨大団地ですが、駅からは遠く、王子駅などからバスが多数出ています。
また、横を通る首都高中央環状線の荒川に架かる五色桜大橋は、土木学会田中賞を受賞した橋です。

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公園にはキャンプ場があったりもしますが、こんなところでキャンプができるとは意外でした。また、ここでは猫が2匹いるのを撮れました。
また、キャンプ場にソーラーパネルが多数並んでいるのですが、柱の途中の枝分かれした先端に何故かぼっとん便所の換気扇用の風で回るものが付いていました。
その後は川沿いを進み、ハートアイランド新田の新しいマンション群の横を通過して、隅田川で最も新しい新豊橋を通過。これも土木学会田中賞を受賞した橋です。
次いで、近年スポーツで好成績を上げ、プロ野球選手や力士も輩出した足立新田高校横と対岸に見える神谷水上バス乗り場を通過して、環七通り新神谷橋の下をくぐりました。これがいよいよ今回の街歩き最後の橋です。
その後は、新田稲荷神社に寄りました。先日個人的に来た場所で、そのときも今回も猫が2匹いましたが、いずれも逃げてしまい撮れませんでした。
ここは都営バスの新田一丁目折り返し場がありますが、堤防にぶつかりいきなり道もバス路線も終わっているので、最果て感があります。
その先には日本化薬の工場がありますが、ここには隅田川で現存唯一の渡し船が存在します。川を挟んで両岸にある日本化薬の工場と研究所を結んだり、通勤にも使われているそうですが、従業員専用なので一般の乗客は乗れません。
道路を歩くと30分かかる移動が、わずか5分で済むそうです。大まかですが乗り場への通路に時刻表も掲示されていました。
その後は隅田川と荒川の間が、土手と河川敷だけで接するくらいに近づき、荒川と隅田川の分岐点の青水門に到着。
青水門を見た後は、大正時代に建造され、今は水門としての役割を終えた赤水門を見ました。ここには、全日本草刈選手権なる競技(?)を記念して作られた「草刈の碑」があります。また、赤水門の場所は中洲になっていますが、ここは以前に仮面ライダーシリーズの戦闘シーンに使われたことがあり、赤水門と中洲にある「月を射る」というモニュメントが映っていました。
街歩きは一応ここで終了となりましたが、赤羽駅まで途中の見所を見ながら移動。荒川知水資料館前にある船堀閘門の頭頂部、頭がなくなってしまい後からつけたのか、頭だけ新しめの木でできている地蔵、黒田機器赤羽工場洋館、庚申塔、延命地蔵を見て、八雲神社に行きました。
八雲神社には、「岩淵町町名存続之碑」があります。岩淵は日光御成街道の岩淵宿だった場所で、軍の施設や鉄道ができるまではこちらのほうが栄えていたそうです。しかし、戦後になって住居表示の実施に伴う町名変更が行われ、周辺の地名は軒並み赤羽の名前を冠したものに変更されてしまい、岩淵も同様の町名変更が予定されていましたが、住民の反対によって町名変更を免れたとのことです。地図を見ると、赤羽西・南・北があって東がなく、東の方向に岩淵があるので、町名変更で「赤羽東」にするつもりだったのではという行政の意図が読めます。
その後は23区内唯一の造り酒屋である小山酒造、岩槻街道岩淵宿問屋場跡之碑を見て、赤羽駅に向かいました。
終了後の飲み会にも参加を考えていましたが、一身上の都合により自主的に参加断念。まっすぐうちに帰りましたが、綿のように疲れて寝てしまい、日記を書くのが遅くなりました。

今回の日記、その他写真は、こちらにもアップしております。
(1)http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/40107719.html
(2)http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/40107745.html
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