mixiユーザー(id:445044)

2016年06月03日01:01

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坂爪さんブログ転載

このところ、すごく感じてた事があったのだけど、うまく言語化できないな〜、って思ってたら、坂爪さんがとてもうまく言語化してくださってたので、転載させて頂く事にしました。

感じた時に感じたままをアップしちゃってるので、たぶん後で編集すると思うけど、きっとシンクロしてる人には伝わると感じ、とりあえずでアップしてみます☆


ありのままであるということ。頻繁に耳にする言葉だ。頻繁に耳にするからといって、しかし、簡単なことではないのだと思う。誰かに追いつこうとしないこと。誰かを引き離そうとしないこと。誰かに縛られ過ぎたりしないこと。誰かを過剰に尊敬したりはしないこと。誰かに勝とうとは思わないこと。誰かに負けたくないとは思わないこと。誰かではなく自分を主語に、自分の日々に集中をすること。


あんまり先のことを考え過ぎてはいけないのだと思う。自分以外の誰かの言葉に、影響を受け過ぎてはいけないのだと思う。どれだけ悪足掻いてみたところで、自分は、自分以外の何者にも成り得ない。特別な人間にはならなくても、特別な何かをしなくても、ただ、自分のこころが「いいな」と感じる瞬間を積み重ねた先に、きっと、特別な人生はある。静かなものは、ありのまま、そのままの姿で、満ち足りている。海や空を愛するように、動物や植物を愛するように、自分の中にある自然を愛していきたいと思う。


よく、コップに半分『も』水があると思うのか、コップに半分『しか』水がないと思うのか(ポジティブに考えるか、ネガティブに考えるかで全然違う)的な話を耳にすることがあるけれど、私は、このような話があまり得意ではない。別に『も』とか『しか』とかは不要で、ただ、コップに半分の水がある。『も』とか『しか』とかじゃない、ただ、コップに半分の水がある(ただ、そうである)だけ。以上。それだけでいいじゃないか、と思う。

金がないなら「金がないなあ」だけでいいし、家がなければ「家がないなあ」だけでいいし、友達がいなければ「友達がいないなあ」だけでいいし、さみしいときは「さみしいんだなあ」だけでいいし、ただ、そうであるだけのことを無理に前向きに捉えようとしたり、過剰に後ろ向きに捉えてしまうことは、また、別の問題を引き起こしてしまうような気がしている。


悪を糾弾する心も同じように悪であり、多分、何かを責めているひとの心は静かでもなければ自由でもない。聖書にある「罪のない者だけが石を投げよ」にある様に、他人がした事やしなかった事を見るのではなく、ただ、自分がした事やしなかった事に集中することが「自分を整える」のだと思う。

http://ibaya.hatenablog.com/entry/2016/06/02/102507
海や空を愛するように、動物や植物を愛するように、自分の中にある自然を愛していきたい。
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