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2016年05月15日21:13

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「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【405】2016/5/15(日) 人を恐れると罠にかかる。神に用いられる喜び。」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16564 (写真入り記事)

今日は、ペンテコステ。2000年前、イエス様が私たち全人類の罪の身代わりとなって十字架で死に、三日目によみがり、その50日目に聖霊が降り、教会が誕生しました。

教会と聖霊は、切っても切れない関係にあります。

しかし、当初、聖霊が注がれて教会がスタートしましたが、聖霊不在で、教会が形式や建物だけになり、いのちが失われ、単なる人間の集まり成り下がってしまうことがあります。

最初の人間であるアダムは、土をこねた粘土で形造られ、そこに神がいのちの息である聖霊を吹き込まれました。その瞬間、人は生きた存在になりました。

『神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。』(創世記2:7)

しかし、罪を犯したことにより、神のいのちの息である聖霊が離れてしまいました。

神のいのちの力の残像があるので、すぐに死ぬことはありませんでしたが、根のない切花がやがて枯れるように、人は死に行く存在になってしまいました。

人間も、教会も、共に聖霊が注がれたことで誕生しましたが、そのお方との関係が切れてしまったら、死んだも同然です。

聖書のメッセージは、「それだからダメなんだ!」と語るのではありません。

現状をズバッと語り、「神に立ち返れ!そうしたら生きる!」と勧めます。

人が何かを恐れるには大きく分けて2つの理由があります。

�� 危険があるから
�� 神から離れているから

�,龍欧譴蓮�大切な恐れです。恐いことを「恐い」と感じないとしたら困ります。それを「恐いもの知らず」といいます。恐いものを「恐い」と感じることで、危険を回避できます。

私は、車やバイクを運転する時には、この健全な恐れを秘めながら運転します。特に、同乗者がいる時には、大切ないのちを預かっていることを肝に銘じます。

次に、�△凌世�ら離れたことのゆえの恐れがあります。

対策は、恐れの原因である神から離れている状態であることを認め、神に立ち返ることです。

そうすることで、恐れがなくなります。

しかし、神から離れているという原因を解決しないで、恐れを締め出すだけでは本末転倒です。

恐れは、健全な状態にないことを教えてくれる大切なセンサーだからです。

聖書は、『人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。』(箴言29:15)と語ります。

礼拝後に、一人の教会員から仕事の悩みを聞いていました。

なにやら、悪循環に陥っているようでした。

一言、「上司を恐れて、上司の顔色を伺ってばかりいると罠にはまりますよ」とアドバイスしました。

その一言が心に響いたそうです。

しかし、大切なことは、「人を恐れると罠にかかるのか、じゃー、人を恐れないようにしよう」では解決になりません。

なぜ人を恐れるのかの原因を知ることが必要です。神を恐れていないこと、そして、神を信頼していないことが原因です。

神を恐れ、神を信頼することで、人を恐れなくなります。

そうすると、人から何かを言われるのではないかとビクビクするのではなく、人を愛して、人の益を願って関わっていくことができます。

そうしたら、罠にかかることがないばかりか、喜びと平安を失わず、良い人間関係を築き、人からの信頼も得られるようになり、好循環になります。

牧師は、神の器です。神の語りたいことを、神が私を通して人に伝えられます。

神に用いられることは最大の喜びです。

時には、嫌われ役を引き受けることもありますが、それも必要です。

親は、責任があるので、子どもに対してきつく叱ることがあります。しかし、おじいちゃんおばあちゃんは、責任がないし、とにかく孫がかわいいので、叱ることはあまりありません。

牧師は、子育て中の親のような役回りをすることがあります。

長いこと育てた信徒が、他の教会に移っていくこともあります。しかし、限られた時期であっても、神に用いられたことを喜びたいと思います。

インターネットを通して、いろいろな相談を受けることがあります。対面して相談ができるわけではないので、どれくらい助けになるかわかりませんが、神に用いられ、神の言葉と、神の思いと、神の導きを語ることで神に用いられることを喜びと感じています。

『わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。』(ルカ16:9)

私が天国に帰った時、「あなたのおかげで天国に来ることができました」と、迎えてくれる人がいたら、どんなにうれしいだろうと思います。

私は、牧師の成功は、この世の中で目覚しい実績を残すことではなく、天国に共に入る友を作ること。そして、神に、「よくやった」と言って頂ける事だと思います。

『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』(マタイ25:21と25:23)

イエス様から、「よくやった」言って頂ける日のことを心に思い描きながら、一歩一歩歩んでいきたいと思います。

今日もありがとうございます。新しい週もよろしくお願いします。
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