http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16552 (写真入り記事)
人と人がふれあったり、心通わすことが少ない時代になったと感じます。
以前、教会では、近くの2つの公園に出向いて、前半は子どもたちと遊び、後半は、聖書の「紙芝居」を見てもらう集まりをしていました。
半数の子どもたちが参加してくれましたが、子どもたちとの関係作りと同時に、子どもたちの保護者との関係作りが必要だと感じました。
意図が誤解されて、いかがわしい宗教の勧誘であるかのように警戒されてしまうことがありました。
PTA活動をしていると、否が応でも子どもたちとふれあう機会がありますが、そうでもなければ、なかなか子どもたちのふれあう機会が乏しいのではないかと思います。
今日は、朝から消防の広報活動で、近くの学校に行ってきました。
この活動は、毎年行われています。校庭に消防車を乗り入れて、写生をしてもらいます。
しかし今日は、養護学校だったため、写生よりも、消防車に乗り、消防服を着たり、消防用具を手に取ったりしながら、写真撮影をしました。
子どもたちは大喜びで、消防署員・消防団員との貴重なふれあいの時間でした。
一般の小学校では、1年生と2年生の二学年くらいの子どもたちが、ひたすら消防車、救急車の写生をし、クレヨンで色を塗って絵を仕上げていきます。
「これはなあに?」って聞いて、「これはね・・・」と、話はしますが、絵を描くことが主なので、子どもたちと話に夢中になっていると、担任の先生が、「ほら、そこ!早く絵を描かないと時間がなくなるぞ!」と叱るので、ゆったりふれあうこともままなりません。
養護学校では、子どもたちとのふれあいが中心です。持っていった帽子、ヘルメット、防火服などを貸してあげて試着してもらったり、防火用具の使い方を説明しながら、たっぷりとふれあうことができました。
貴重な時間だなと感じました。
その点、牧師をしていると、赤ちゃんからお年寄りまで、いろいろな層の人と関わることができます。それは、毎週教会に通っている人も同じだと思います。
しかし、多くの人は、新しい出会いの機会が少ないと聞きます。
私は、インターネットを通して知り合い、オフ会で出会うことが、貴重な出会いの場の一つではないかと思います。
ネットを通しての出会いは、自己責任が基本です。
それだけに、どんな相手なのかを判断し、ある程度、「良い悪い」を判断できる能力が必要だと思います。
いかがわしい投資や設け話を持ってくる詐欺、ナンパや援助交際などの狩人、犯罪の間の手を事前に察知しないといけません。
しかし、悪意を持った人ばかりではありません。健全な出会いを求めている人がネットの世界にはたくさん居ます。
イエス様は、『いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。』(マタイ10:16)と教えられました。
�� この世界には、羊の皮をかぶった狼のような存在がいるから気をつけよ。
�� それゆえ、蛇のようにさとくあれ。
�� しかし、鳩のように素直であれ。
と教えられました。
私は、不思議なくらい、人の本質を見分けることができます。
「すごいでしょう」といいたいのではなく、「この人はおかしい!」「何か裏がある。隠し事をしている。嘘をついている!」「この人に気をつけよ!」と感じた人の多くが、後で、感じたとおりの人だったと明るみに出るのです。
しかし、多くの人が、おかしく感じる人を高く評価し、時にはたたえたり、信頼しているのです。
これは、私の心の深層を見抜ける能力があるといいたいのではなく、神様が教えてくれているのだと思います。
「詐欺師は、口は笑っていても、目は笑っていない」といいますが、プロの詐欺師は、相手を心底騙してしまうのです。
よっぽど見る目がないか、よっぽど人を騙すことがうまいか、どちらかか、両方です。
自分の過去の経験を総動員して見ることとともに、神に聞き、神の目を通して相手を見ることで、私は、相手の真相はある程度わかるのではないかと思います。
聖書によるならば、人は信じるべき対象として教えられていません。むしろ、人は信じられない存在です。自分自身を含めてそうじゃないでしょうか?
人は、信じる対象ではなく、愛する対象です。
愛することで、その人のことが見えてくるものです。
愛の心を持って人と接していきましょう。
ネットを通しても、ある程度良い出会いを得ることができるはずです。
教会活動や地域活動でたくさんの出会いがあることに感謝をしていますが、私が語りたいのは、このネットを通しても、神の愛によって相手を見抜く力を養えば、良い出合いがあるし、良い友だちを作ることができると思います。
私は、「あなたとの出会い」に心から感謝しています。「1対みなさん」ではなく、「1対あなた」です。
これからも、「1対あなた」、「あなた対わたし」の関係をよろしくお願いします。
「ここで会ったが百年目」という言葉は、「長年探し続けていた仇に会った時に使う言葉」だと思いますが、私は、「心の中でずっと会いたかったあなたに出会えた時」に使ってもいいと思います。
「思い立ったが吉日」。ぜひ、今日、友としての関係を深めていきましょう。
神様は、人と人とのふれあいを通して慰め、助け、愛を伝えられることが多くあると思います。
私は、神様が与えられる良いものを「あなたと分かち合いたい」と思ってネットで情報発信をし、交流を続けています。
いつもありがとうございます。
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