http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16534 (写真入り記事)
今日は、GWを挟んだ日曜日でした。教会員の多くが帰省し、人数的には若干寂しい状況でしたが、その分、親密な礼拝と、交わりの時間を過ごせました。
夕方の礼拝後には、教会に来られた方とネパールの「マトン(羊肉)カレー」を食べに行きました。おいしい上に、値段が500円だったので、心も体も満足して帰ってきました。
礼拝で語った説教のテーマは、「人生の海の嵐を乗り越える秘訣」でした。
パウロは、ローマに行って福音伝道したいと常々願っていました。神様は、囚人という形でパウロをローマに連れて行かれました。
神のご計画は不思議です。
その船旅の途中、「ユーラクロン」という嵐に巻き込まれました。
パウロは神の声を聞いたので、「この港で嵐が過ぎ去るまでとどまった方が良い」と、百人隊長に進言しました。しかし、パウロの言葉は退けられました。
航海士や船長は「大丈夫だ」というので、専門家の意見が優先されました。
加えて、その港は冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の意見に従って、冬を越すのに適した港に向けて船を出帆させました。
さらに、穏やかな南風が吹いていました。地中海を航行するのにこれ以上の状況はありませんでした。
しかし、しばらくすると、パウロが語った通りに嵐に巻き込まれてしまいました。
専門家の意見がどうであろうと、多数決で決めた意見がどうであろうと、状況がどうであろうと、神の導きを優先することが重要であることを、聖書は私たちに教えます。
嵐に巻き込まれた時に、吹き流されるままに嵐に船を任せました。さらに、積荷、船具、食料までも投げ捨てて、最後は、全員で飛び込みました。
これは、ユーラクロンを前に仕方のない処置であったと思います。
しかし、人生の海の嵐の中では、余分なものは投げ捨てたとしても、夢や希望までも投げ捨てて、人生をあきらめてはなりません。
彼らは、その時どうしたでしょうか?
錨を下ろして、嵐が過ぎ去るのを待ちました。
人生の海の嵐という試練に会った時、私たちも錨を下ろす必要があります。
神が共におられるという事実に錨を下ろし、神の御心はなるという事実に錨を下ろし、神が守って下さるという約束に錨を下ろしましょう。
そこに錨を下ろして、信仰が揺れることがないようにしたいものです。
錨を下ろしたら、嵐が過ぎ去るのを祈って待つことです。
やがて嵐を過ぎ去り、陸地が見えたので、陸に近づき、最後は全員で飛び込んで、乗組員全員が無事に陸に上がることができました。
私たちは、しばしば人生の海の嵐に巻き込まれることがあります。その時、神がテストしておられるということを知って下さい。
そのテストに合格する秘訣は、神に望みを置き、神に心の錨を下ろして、神に信頼し、神に頼り、嵐が過ぎ去るのを待つことです。
私は今まで、このようにして試練を乗り越えてきました。
人間関係の嵐、経済的な嵐、様々な問題やトラブルという嵐、病気の嵐、悪魔が持ってくる嵐、罪の罪責感の嵐、ありとあらゆる嵐に翻弄されそうになりました。
嵐の中で、私は神に頼ることを学びました。そして、神は一度も私を裏切りませんでした。
「一難去ってまた一難」ということわざがあります。
私の半生はまさにその言葉の通りでした。
しかし、嵐を乗り越える中で、神がいつも共に居て下さいました。そして、たくさんのことを学ばせていただきましたし、たくさんの祝福を頂きました。
人生の海の嵐は、できれば避けたいものですが、実は、祝福なのだと気づきました。
今日、試練の中を歩まれている人が居るでしょうか?
神に心の錨を下ろし、神に信頼し、神に委ねて嵐が過ぎるのを待って下さい。
必ず嵐は過ぎ去り、そのプロセスを通して数多くの事を学び、成長し、祝福を頂くことができます。
試練を毛嫌いせず、神と共に乗り越えていきましょう。
まだまだGWは続きます。素晴らしい時間をお過ごし下さい。
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