「金運」って言葉がある。
お金ってものを、人々がどれだけ重要視してるか。
ってことが分かるね。
金運を告げないおみくじ。
金運を告げないうらない。
なんてものがあったら、それこそ売上ガタ落ちだろう。
お金を用いない社会では、使われることもありえない言葉だね。
貨幣経済が始まる前にはなかった言葉だし、貨幣経済が終わったらなくなる言葉だ。
ちなみに、貨幣経済が定着するより前にあった言葉は「物持ち」だ。
「財産持ち」ってことだね。
「富持ち」なんて言ってもよいでしょう。
充足してる割合。
充足してることによる不安のなさ。
充足してることによって可能なこと。
本当は、お金ってものに限定した運じゃないんだよ。
金運の、金と呼ばるも、金運に非ず。
ホントはなんの運なのか。
何によってもたらされる運なのか。
ちょいと考えてみるのは、よいことだと思うよ。
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あらゆる出来事、森羅万象をなしてるのは「因果」だ。
因がない果はない。
当たり前だけどさ。
然るべき材料・然るべき行程がないなら家は建たん。
当たり前だけどさ。
こんどの初詣やご祈祷では。
自分はなにをもってハッピーとするか。
そのための然るべき材料はなにか。
然るべき行程はいかなるものか。
なんてことを考えるのもよいかも知れない。
お金ってものも。
然るべき果の一部として、然るべき分だけ、もたらされるだろうしさ。
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でもって。
いわゆる「運」ってのは「複合因果」だ。
自分を含めた、宇宙が始まって以来の存在物。
その存在にともなう出来事・経緯。
これらすべての、おこぼれみたいなものだ。
お、雨がポツポツと降りだした。
おでこに雨粒が当たった。
この雨粒は、グリーンランドを何十年かけて下った氷河から崩れた氷山がとけて、大西洋を南下して、蒸発して、ゴビ砂漠を過ぎて、富士山の天然水の蒸気や太平洋のモンスーンにのってきた蒸気や東京上空の粉塵と結びついたものかも知れない。
1万メートルの深海を経験した水の分子もあるかも知れない。
ついさっき水素と酸素が結合したばっかりの分子もあるかも知れない。
そういう、あふれる循環のおこぼれみたいなのが「ご縁」だ。
みんなにあるし、自分もどれかをいただける。
でもって。
なんらかのご縁があらわれて、それをあるものにするか・ないものにするかは自分次第でもある。
あるご縁をどう活きるものにするかは、自分の「思・言・行」による。
その積み重ねとめぐりめぐりが、運ってものの大部分だと思うわ。
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運。
なんで「運」って字があてられてるのか。
(正確には、なんで古代の中国人はこの意味をもつ言葉として「運」を選んだのか)
ってことも、ちょいと考えてみるとよいと思うよ。
あと、よいだわるいだ、ハッピーだったら関係ないことでもある。
それこそハッピーでいる・感じられてる「幸運」を、喜んで、感謝してればよいね。
果報者の足るを知るかな。
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テーマ:愛と僕たち・お金を用いない世界
http://ameblo.jp/eigo-garage/entry-12112333371.html
より転載☆
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