http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16358 (写真入り記事)
今日は、教会員の1人が入院し、手術をするため、午前中に病院にお見舞いに行く予定で、そのまま、一日外回りをしようと予定していました。
ところが、その手術が朝8時半からに早まったため、その前の時間のお見舞いは難しいし、手術後も、2日間は集中治療室にいなくてはいけないので、家族以外の面会謝絶です。
そこで、急に思い出したのが、長女の高校が入試日のため休校なので、娘をスキーに誘いました。
ところが娘は、ここ最近かかとが痛いらしく、「足が痛いから行くのは無理」と答えが返ってきました。
今シーズンに入って、まだ一度しかゲレンデに行っていないし、その一度も、下の子どもたちにスキーを教えながらの滑りだったので、あまり滑った気がしないので、「今日こそは行きたい!」と思っていました。
今朝になって、急にやらなければいけない仕事が入って来ました。娘がスキーを断ってくれてよかったと思います。
教会員のお見舞いもできなくなったのも、神様が、私が一日仕事をするために、そのように変更されたのではないかと思います。
一日、ずっと仕事をし、手が離せないため、妻に簡単な食事を作ってもらって、それを食べる以外は、ずっと仕事をしていました。
ところで、最近私が好んで食べるのは納豆です。
昨晩、お金を拾ってもらった時に食べていたのが、もりそば+納豆+とろろ=とろろ納豆そばでした。
今日は、納豆ご飯+ビビン冷麺でした。
私は、甘いものが好きそうに思われることがありますが、コーヒーにも紅茶にも砂糖は入れません。好きなのは、辛いものです。
からし、わさび、七味唐辛子、タバスコ、キムチ、コチュジャン(韓国辛みそ)、豆板醤(中国辛みそ)ラー油、こしょう、ニンニク、しょうが、唐辛子等です。
冬に水冷麺だと体が冷えますが、ビビン冷麺だと体がかっかして温まります。
納豆にも、コチュジャンを小さじ半分くらい入れました。
今さっき仕事が終わりましたが、夜8時から9時までは、消防団の定例会がありました。仕方なく、「今日はお休みします」とメールを入れました。
メールがあると便利ですね。連絡を入れなければ、「菅野さん今日来るのかな?」ということになります。
重要な局面では、電話をし、実際に顔と顔を合わせて話をする必要がありますが、メールは使い方次第ではとても便利です。
「ほりえもん」こと、堀江貴文氏は、メールでほとんどの仕事をこなしていると聞いたことがあります。
神様は、何もかもすべてをご存知です。
私が、神様を信じて、神に祈り、神との関係を大切にするようになってからは、ほとんど、重要ないくつかの仕事がバッティングすることがなくなりました。
もちろん、優先順位に従って取捨選択をしなければならないことはあります。
この前の大阪では、関係者の葬式を最優先にしたため、大阪での重要な会議に出られませんでした。
しかし、同じ優先順位のもがバッティングすることは、まずありません。
葬式は、私が司式をし、その場を仕切り、コーディネートし、悲しみに沈むご遺族に寄り添う必要があります。私の代わりがありません。
しかし会議は、私が居ても、居なくても、滞りなく進行していきます。その場に居たかったですし、1年に1度の会議なので、とても残念でした。
しかし、神様がうまく導いて下さって感謝しながら大阪で一週間を過ごしました。
神様から目をそらして現実を見ると、不安になることがあります。
今日も、「今日中に仕事が終わるだろうか?」と、午前中の時点では見通しがたちませんでした。
しかし、神様に委ねて、仕事をしながら、教会員の手術のことに思いを馳せながら、お祈りをし、また仕事をし、またお祈りをし、仕事をしました。
気がついたら、夕方に半分仕事が終わり、9時過ぎにすべて仕事が終わりました。
私を導いて下さる神様は、すべてを知った上で、一番良い道へ優しくエスコートして下さいます。
悪魔も、人を動かそうとしますが、神様と悪魔の違いは、神様は、優しく、平安のうちに導いて下さり、悪魔は、強引で、乱暴に、恐怖心を煽りながら無理やりに動かそうとします。
みなさん、この違いをぜひ理解して下さい。
神様は、優しく、平安のうちに、私たちをエスコートして下さいます。
『盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。』(ヨハネ10:10〜11)
『主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。』(詩篇23:1〜6)
羊飼いに導かれる人生を知り、導かれる人生を生きるなら、人生に、問題や苦しみや痛みがないというわけではありません。
詩篇23編を書いたダビデ王は、自ら羊飼いをしていたので知っています。
良い羊飼いは、羊を優しく、最善の方法で導き、ライオンや熊がやって来ても、命がけで守って下さる。
イスラエルは、雨季と乾季の二季で、乾季の時は、羊たちは、草も水もまったくない場所を歩くことがあります。しかし、羊飼いは、どこに行けば牧草があり、オアシスがあるかを知っています。その上で、羊を導かれます。
だから、途中、飢え、乾き、危険な目に遭う可能性もありますが、羊飼いについて行けば大丈夫なのです。
その人生は、平安で、幸せで、祝福に満ちています。
そんな人生をご一緒に歩んで参りましょう。
今日もお疲れさまでした。
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